1-3 帰ってきたセリア
◆――――――
――ここで死ぬのか?
声が、頭の中に浮かんでくる。見覚えのない、凛として、遠くから、囁くように、はっきりと。
――ここで、死んでもいいのか?
鈴のように、雷鳴のように、泥のように、重く響いて頭の中を埋め尽くす。
――――死にたく、ない。
口を動かしたつもりだったが、壊れた笛のような音しか出ない。
霞む視界にぼんやりと映るのは赤黒いなにか、そして首のない私の身体。
なぜ生きているのだろうという疑問と、もうすぐ死ぬんだろうなという感覚。だが諦めはつかない。
――――死にたくない。
私はまだ何もしていない。私は勇者になりたいんだ。勇者になると決め、勇者になる努力をし、勇者になるために生きてきた。
――――私はまだ、勇者になっていない。
デザイア。原初の魔法。神の残した最後の奇跡。願いを叶える願望具現能力。
勇者になる。私はそれしか願っていない。私は勇者だけを願い続けた。まだその願いは叶っていない。叶える前に死ぬなんて、そんなことはあってはならない。詐欺だ。ペテンだ。神よ。最後の神よ。奇跡の力だと言うなら、この程度の奇跡叶えてもらわないと困る。
――――私は、勇者になるんだ!
「勇者になる、か。そうか、生よりも勇者を選ぶのか。わたしでは勇者になれなかったが、或いはお前のようなやつが勇者になるのだろうな」
玉虫色の瞳が、私を覗き込んでいた。
◆
どさりと重たいものが落ちる音が聞こえ、それは自分の発した音なのだと全身に響く鈍い痛みが気づかせる。
「痛た…………ここは?」
立ち上がり周囲を見回す。ゴツゴツとした岩肌、踏み荒らされた砂利道、途中で途切れた線路、横倒しになったトロッコと砕けたランプ。
そこは未登録ダンジョンのあった廃鉱山によく似ていて、いやダンジョンがなければこういう場所だったと記憶している。
「……っ! 怪我は!? ない……?」
腹部を貫かれた記憶が突然蘇り咄嗟にお腹を擦るが、そこには傷も傷跡もなかった。だがそこは確かに貫かれていたのだろう。私の着ていた制服は血が乾いてこびりつき、大きな穴が空いていた。
「いったい、どうなってるの?」
状況に理解が追いつかないが、とにかく一度ギルドに戻らなくては。現時点で私の任務は継続中のはずだし、ライツェが提出した報告書の行く末も気になる。
◆
記憶を頼りに外へ出ると、やはりここは未登録ダンジョンのあった場所だと確信する。辺境都市オルラーデからほど近い場所にあった廃鉱山ではあるが、歩いて移動すれば2、3時間はかかるだろう。廃棄されてからは寄る人もおらず、以前は使われていたであろう通路もすっかり獣道になっている。
「とにかく、まずはオルラーデへ戻らなければ。ギルドへの帰還報告と、あの冒険者の件と……」
やるべきことは多い。特に今回は様々なことが起きている。頭の中で報告書を纏めながら道なき道を進むと、不意に魔力の気配を感じる。
「……魔物」
気配は隠しているが魔力がだだ漏れなので方向の特定は容易い。視認はできないが風に揺れる草の音とは別に、なにかが擦れる音は聞こえる。足音はないがゆっくりと迫っている。今の私に武器はないが、この程度なら問題ないはずだ。
パキリ、と枝を踏み折る音が聞こえた。来る。
「グルァアアアア!!」
草陰から飛びかかってきたそいつは猫の身体に狼の頭を付けたような、奇妙な見た目だった。噛みつかんと開いた口には牙が並び、大きく広げた両前足からは鋭い爪が飛び出ている。
「ふっ……!」
見た目は奇異、性質は凶暴。だがそれだけだ。予想通り小型の魔物で、予め来るとわかっていればいくらでも対処できる。その場に屈み、攻撃を躱すと同時に魔力を込めた掌底で顎を打つ。
そのたった一発のカウンターで魔物は身体を維持できなくなり霧散した。
「……え?」
魔物は、特に低レベルの魔物は生物ではない。詳しい発生原理は不明だが、一説ではダンジョンの異質な魔力が生物を模倣したものらしい。魔石と呼ばれるコアを中心に魔力でできた身体を持ち、他の生物や魔物を食らうことで情報密度を上げる。ちなみに魔石と呼ばれているが石ではなく、倒れたその魔物の性質を表す部位がその場に残り、それを総称して魔石と呼んでいる。今回の魔物の魔石は鋭い爪だった。
だが驚いているのはその点ではない。自身の変化だった。
低レベルの魔物であることは漏れる魔力の濃度でわかっていた。だが飛びかかる魔物を視認した瞬間からそいつがやけにゆっくりと動いているように感じ、それに合わせた自分の動きは驚くほどキレが良かった。
そしてただ魔力を込めただけの、素手での攻撃で霧散した魔物。いくら低レベルの魔物相手でも一撃で倒せるほど、それも即座に霧散させるほどの攻撃能力はない。そもそも魔力を込めたのは自身の素手を保護する目的でだ。攻撃魔術ではない。
「……せい。痛っ!」
試しに木を殴ってみたが、普通に痛い。多少揺れはしても折れることなどなく、その一撃はいつもの自分だった。一体あの時、何が起きていたのか。
「……何を馬鹿なことをしているんでしょう」
きっとあの魔物がやたら弱かっただけだ。そう考え魔石を回収する。そういえば、外にはいるのになぜあのダンジョンには魔物が居なかったのだろうか。
◆
オルラーデに着いた頃にはすっかり夜中になっており、都市を囲む門は全て閉まっていた。しかしどんな時でも使用可能な通用口が1ヶ所だけある。ギルド門だ。
ギルド門はギルド公認国家に義務付けられている専用通用口であり、ギルド所属の人間やギルドに用件がある人間なら誰でも使用できる。一見ザル警備のようにも思えるが、この門の管理はギルドが行っているため通常の門よりも警備は万全だ。
門と言っても大通りに面しているわけではないので、せいぜい馬車が通れるほどの小さなもの。すぐさまそちらに向かい、警備にあたっているギルド職員に声をかける。
「遅くなりました。勇者付きセリアです。未登録ダンジョンの攻略より只今戻りました」
「……え? ちょ、ちょっと待ってください。あ、えーっ、と、取り敢えず義務なんで、ギルドカードの提示を、お願いします」
「はい。……こちらです」
ギルドの職員ならある程度顔を知っているはずだが、2人とも見覚えがない。首から下げ服の内側に仕舞っているギルドカードを取り出し、そこで気がついたが2枚で1組のカードのうち1枚がない。内容は同じものなので問題はないが、怪我をしたときに落としたのだろうか。
一旦疑問は横に置いてカードを渡すと、2人いる職員のうち1人がそれを持って中に駆け込んでいく。
新人だろうか。ギルドカードの偽造は不可能に近く、一般職員でもすぐに見分けはつく。況してやギルド門の警備員なら見慣れたもののはずだが。
「お久しぶりです先輩。…………イメチェンしましたぁ?」
しばらくして戻ってきたのは先程の職員ではなく、もう1人の勇者付きライツェだった。
◆
「まあまあ。積もる話もあるでしょうし、ゆっくり寛いでくださぁい」
通されたのは勇者付きの執務室。いつの間にかソファベッドが設置され、彼女が脱ぎ散らかしたであろう制服や下着が散乱している。備え付けの書棚や執務机はきれいに整っているのだが、私に無茶振りされていた書類仕事の山は一体どこに?
「いやぁ、疑ってはいましたが、本当に戻ってくるなんて。荷物を捨てなくて正解でしたぁ」
「……どういう意味?」
私の問にライツェは部屋の隅の旅行鞄を指差す。確かにそれは私のものだが、丸く膨れている。
「先輩がいなくなった後、わたしが正式にオルラーデの勇者付きになりましたぁ。ナルシックさまは捨ててしまえって言ってたんですけどぉ。これでもわたし、あそこに置き去りにしちゃった責任を感じててぇ、一応残してたんですぅ。無理だろうなぁとも思ってたんですけどぉ。よくぞご無事、では……ないっぽいですねぇ」
「ちょっと待って。確かに私の任期はもうすぐだったし、引き継ぎはあなただった。でもなんでそんな急に……」
その問いに対して、ライツェは崩した態度を戻す。
「急ではないんですよ、先輩。あの日、未登録ダンジョン内で襲撃にあってからすでに1年。1年以上経っているんですよ」
「…………え?」
ライツェが執務机の引き出しから取り出したのは私のギルドカードだった。私が紛失したと思っていた、もう1枚のギルドカード。
冒険者や職員が携帯しているギルドカードが2枚1組なのには理由がある。それはダンジョン内で死亡確認された冒険者や職員の遺体をすぐに回収できない場合、止むを得ずギルドへ報告するために1枚を持ち帰り、もう1枚を本人確認のために遺体に残す。
そして差し出された私のカードは、そういう意味で、誰かが引き千切って持っていったであろうものだった。
「……な、なんで……?」
「これは先輩を殺したと自白した冒険者が持ち帰ったものです。相手はケシニに雇われた冒険者パーティ。報告書によればダンジョン内でパーティメンバーが先走り先輩を狙撃。救助を試みるもすでに手遅れと判断し、……彼曰く、楽にした、と。直後にダンジョンは崩壊。ギルドからも調査確認を試みましたが、すでにダンジョンは存在せず、しかし先輩の遺体は発見されませんでした。……報告書、見ます?」
手渡された自分自身の殉職報告書。読むに連れ自分に襲いかかってきた3人組、そして振り下ろされる刃が鮮明に思い出される。
あの状況で、あの一撃を回避できるとは到底思えない。しかし、本当にそこで私は死んだのか? なら今生きている私は? どれだけ考えても答えは出ない。
「……彼らの処遇は……?」
「知っていますけど……報復は……」
「ああ、そういうのではないの。生きているのに殺された仕返しなんて馬鹿げてるし、ダンジョン内ではどんな事態も想定していなければならなくて、私はそれが出来ていなかった。ただ、あの後どうなったのか、私の仕事はどうなったのか、その結果が知りたいの」
正直まだ混乱している。だが、それよりも自分の残した結果のほうが気になってしまう。
「……あの後、先輩が用意していた報告書は正式に受理されたんですが、攻略自体が同日ということもあり、貢献度の分配は相手と6対4で分割になりました」
「やはり、そうよね。私もあなたが去ってすぐにダンジョンコアの破壊を試みたけれど、直後に襲われた、気がするわ」
「そうだったんですね。相手は隣の旧エミニア領ケシニ。現役勇者パーティとダンジョン内で競り合うだけの実力を認められ、現在はあちらも公認国家入りとなりました。……お互い何もしていないんですが、先輩の件もあり外野から見るとそういう判断になったようです。勇者ナルシック様と領主のナルドス様はケシニの公認国家入りに対し抗議を行いましたが、オルラーデはどちらかといえば負けた側ですし、本部は門前払い同然で追い返したと聞いています」
それはそうだろう。クーデター後、元のエミニアはなんとか立て直したらしいが、対価として広大な国土を旧領主たちに切り売りした。そのため現在の旧エミニア領はギルド本部にとっても把握しきれていない烏合の衆。ギルドから手を出すにはやや面倒だが、相手から仲間入りをしたいというのなら止める理由はない。
ただ、私が殺された(死んだつもりはない)ことでケシニが有利になり、オルラーデが不利益を被ったのであれば多少のしこりが残る。
「あの日現れたケシニの冒険者パーティ。彼らの勇者への昇格は現在も保留となっています。理由は先輩への殺害容疑。先輩を介錯したという大男は翌日そのギルドカードを持ってこちらに現れて、事情を説明していました。本来であればその場で処分もあり得たんですが、先輩自身が勇者付きであったこと、彼らのほうが低ランクのパーティだったこと、現場がダンジョン内であったこと、ダンジョン消滅後も遺体が確認できなかったこと等々、様々な事情から現在は本部で研修中です」
今一度報告書に目を落とす。納得はできないが、理由はわかる。勇者付きは単独でBランク相当の戦闘能力がなければならない。それに対して彼らは最高ランクがあの大男、パトルタのCランク。元はBランクだったようだが、年齢のためランク相応の貢献度が稼げず降格。あれで70を超える老人らしい。私を撃った青年フィローと拘束具を付けた少女マルカは新人同然のDランクだという。
ギルドのダンジョン内における暗黙の了解の1つに、格下に負けた者の言い分は通らない、というものがある。まず常識的に考えて格下が格上相手に手加減などできるわけがない。それが常に緊張状態にあるダンジョン内、しかも武力衝突の現場なら尚更だ。
今回の場合私はオルラーデの勇者付き。立場も実力も上であり、尚且つ本来なら勇者もその場にいる。他国から見れば勇者とは人の姿をした軍事力そのものだ。そこで争いが起きた時、普通ならそこらの冒険者では太刀打ちできない。
だが、それを覆してしまったら? 今一度言うが、勇者は本来ただの人間ではない。国を背負った最強の存在だ。もしそんな相手を打ち破ってしまったら、それこそケシニにとって新たな英雄の誕生だ。
たとえナルシックの実力が新人以下だとしても、勇者と認められている以上、むしろ勇者とされているからこそ、言い訳などできるはずがない。
しかし保留になっているのもまた、殺した相手が、(私は死んでいないが)勇者付きだったことだろう。オルラーデ側についていたとはいえ勇者付きはギルドの人間。これから勇者になろうという人物が、味方になるはずの人間を殺しました、では示しがつかない。
……おや? ひょっとして私が生きていると彼らから新たな勇者が生まれるのでは?
「……殺されていないなら、彼らの評価に瑕疵はなくなる。でもそれは相対的にオルラーデが……」
「ああ、それなら気にしなくていいですよ。今のオルラーデの勇者付きは私ですし。それにもう一度言いますが、遺体はなくても先輩はすでに死んでいます。ギルドの殉職報告書が出ている、その意味がわかりますよね?」
「……生きているわ。私は、こうして変わらずに…… そうだ、魔力による生命反応捜査。ギルド本部でもう一度確認してもらえれば……」
「それができなくなったから……! ……それができないから、ギルド本部の殉職者名簿に名前が載っているんです。わかりますよね? わかってください……」
「……でも、じゃあ私は…………いえ、私はギルドの勇者付きのセリア。勇者になるのよ。ダンジョンから生きて戻って息をして歩いてここまで来て、こんな紙切れ1枚で納得できるはずがない!」
私は生きている。勝手に殺されて認められるものか。だが、ライツェの鎮痛な表情は私の怒りをすぐに冷ます。冷静に考えれば、彼女にだってこの状況が飲み込めているはずがない。
深呼吸をし、状況を整理する。
「ついカッとなって、ごめんなさい。私もまだ混乱しているみたい。……纏めると、私がダンジョン内で彼らに負けてから1年が経ち、私は死んでいることになっている。要はそれだけなのよね? 本部の殉職報告書はなにかの間違いで、私が本部に行って戦闘職員統括に誤解を解いてもらえばそれで済む。そうよね?」
私は生きているのだから。死んだというのが誤報ならそれを正せばいい。それだけの話しだ。そうとなればギルド本部へ向かえばいい。
「……力になれなくてすみません。明日の昼に本部から定期便が着ます。馬車ですが、それを使えるよう申請を出しておきます」
「ありがとう。なら、それまで休ませてもらうわ。……私の使っていた部屋はまだある?」
「はい。今は私が使っているので……これが鍵です」
ライツェから鍵を受け取り、纏められていた荷物を持って部屋に向かう。オルラーデのギルド支部からほど近い冒険者や職員向けの集合住宅。やや手狭だが1人なら特に苦はなく、個室のシャワールームもあって人気の物件だ。
「……ふぅ」
部屋に入り、ベッドへ倒れ込む。シーツにはライツェの使っている甘ったるい香水の匂いが染み込んでいた。彼女に悪気はないのだろうが、こんなところまで私の痕跡が消えていると思うと涙がこみ上げてくる。
……私が死んだ? 1年経った? 仕事も執務室も私室も、後輩に奪われた?
後半は、八つ当たりかもしれない。だが考えずにはいられなかった。
あの場に3人共残っていたのなら。ライツェがもっと早く実力を出していれば。ナルシックがクズだとわかっていたのなら、もっと早く攻略に切り替えるべきだった。
考えれば考えるほど、仮定と後悔に捕われて息が詰まる。
頭が痛い。嗚咽が止まらない。私は生きているのに。世界が私を否定する。そんな暗い考えが胸を貫く。……あのとき腹に突きられた矢の痛みが蘇る。そんなものはまやかしだ。涙でぼやけた視界は暗い室内を何も映さない。泣いている自分がうるさい。引きつけを起こし呼吸がうまくできない。苦しい。生きているから苦しい。死んでいたら苦しくない? 甘い空気が胸に入ってくる。嫌だ。出て行け。私を見捨てた女の匂いだ。無理に吐き出し、しかし何も出てくるはずもなく。喉の痛みに血が混じる。ただただ溢れる涙の熱が冷めていく。それはまるで死んでいく自分のようで、
◆
いつの間にか気を失っていたようだ。
この部屋には元々カーテンがなく、朝明けの光が私の意識を呼び覚ます。
生きている。私は死んでいない。改めてそれを自覚し、ふと視線を上げると、
「おはよう、わたしの勇者よ」
玉虫色の瞳を持つ深緑の闇が、そこにいた。
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