2-3 ヴォルグラスとセントグラス
◆セリア
「えーっと、つまり。リィンノートさんが探していたのは殺されたサンハルトの勇者の手がかりと、その遺品である勇者の心臓と呼ばれる神器であって、勇者の心臓そのものではない、と」
「ええ、ええ。そのとおりです。私もきちんと説明せずに、奪ったものを返せと言ったことで誤認させたかも知れません。しかし! しかしですね!? 普通こんな事ができるとは思わないでしょう!?」
キュリアスの魔術によってすっかり回復したリィンノートは、ドレスの胸元をずらす。そこには心臓から血を吸って赤く染まった、痛々しくも美しいガラスの花が咲いていた。小さな花であり、彼女の胸がもう少し大きければ隠れてしまうのだろうが、見えているということはそういうことだ。
「わたしはお前の望みを叶えただけだ。勇者の心臓が欲しかったのだろう? 言われたこと以外は知らん」
「当家の勇者が殺害されて盗まれたと言っていたでしょう!?」
「そうだったか? どのみち盗まれたのは元の勇者の心臓も同じことだ」
「まだ言いますか! 正当な勇者は初代サンハルト様です。クレイル? 誰それ? そんな人物は歴史のどこにも現れませんよ」
「そうか。クレイル……つくづく哀れなやつだ……あいつは一体何のために戦っていたんだろうな」
リィンノートは売り言葉に買い言葉でクレイルを貶すが、キュリアスは悲しげに遠くを見つめる。
「ともかく、私たちはその殺害されたサンハルトの勇者を知りませんし、盗まれた勇者の心臓なる神器も知りません」
「何度も言いますが、今目の前にこうして証拠があるんですよ。色こそ違えどこれは間違いなく聖剣の破片。これについてはどう言い逃れをするつもりなんですか?」
「なんだそんなことか。セリア、本物の聖剣を見せてやれ」
「え? あれすごく痛いんですけど。それに戦闘中でないと集中力が……」
「口答えをするな。常在戦場。勇者の休息とは戦いの果てに倒れ、意識を失ったときだけだ」
そんな無茶な。勇者だって人なのだから夜には眠るだろうに。しかしいつまでもリィンノートに嫌疑をかけられているのは迷惑だ。
右手の平に意識を集中させる。せっかく新調した装備をこんな事で汚したくない。できるだけ小さく、しかしそれが聖剣の破片だと分かる程度には大きく。
「……いっ……! これが私の聖剣です。きっとあなたの言う勇者の心臓のものとは違うはずですが」
「ひぇっ……!」
手の平の肉が裂け、テーブルナイフくらいの小さな聖剣が出現する。このサイズでも痛いものは痛い。すぐに引き抜き回復魔術を掛けるようとしたところで、その小さな傷はもう傷は治ってしまった。さすが理想の右腕。
私の血と肉片の付いたガラスの欠片。それを彼女の持ってきた証拠の横に並べる。
「これが私の扱う聖剣です。同じものでしょう?」
「……確かに、色は違いますがこの2つの欠片は同じもののようです。そもそも私の探す勇者の心臓は、当然ですが実際の臓器ではありません。魔力を込めて握ることでガラスの剣、セントグラスを生成する剣身のない剣。柄だけの剣なのです。こんな、体内で生成されるおぞましい剣ではありません」
おぞましい剣というのには同意だ。一体何を考えてこんな剣を作ったのか、本当に理解に苦しむ。
「……わかりました。確かにあなた方は当家の神器、勇者の心臓を持ってはいない。それは認めましょう。しかし……」
「しかし?」
「どうしてそれを先に言わないんですか!? どうするんですか私の身体! 胸にガラスが刺さってるんですよ!? ちょっときれいだしアクセっぽいなとも思いましたが、これでどうやって普段を過ごせっていうんですか! 寝返りをうったら死にますよ私!」
ああうん。それは死活問題かもしれない。今は胸元の開いたドレスを着ているのでぱっと見アクセサリーで通せるだろうが、衣服の着脱の度に引っかかるだろうし、経験上あれはたぶん普通に割れる。それが刺さった痛みは今さっき体験したばかりだ。
「あー、どうするんですか、キュリアスさん?」
「ふん。それはお前への罰だ。クレイルを裏切った血筋が真の勇者を騙り、厚かましくも殺して奪った心臓で繁栄しておいて、まだそれに固執する。反省せよ。しかしお前に与えたその心臓は福音でもある。お前がその力を使いこなせるようになれば、その傷は自然と癒える」
「またそれですか。初代サンハルトが裏切り者だなどと、そんな妄想信じませんよ。それにもし、もしもその話が仮に本当だったとして! そうだとしても私はなにも悪くないでしょう?」
「悪い悪くないの話ではない。お前が求めた勇者の心臓とはそういうものだった、それだけの話だ」
「いいえ、いいえ断じて違います。そもそも私が求めたのは返却。持っていないのなら与えられること自体間違いなのです。さあ、わたしの身体を元に戻してください」
「それは不可能だ」
「…………え?」
私はそうだろうと思っていたが、やはり彼女はまだ気がついていないらしい。リィンノートの魔力反応はキュリアスによって勇者の心臓を移植されたときから変質している。そもそも彼女の本来の心臓はキュリアスが食べてしまった。どれだけ強力な再生魔術でも、元の臓器がなければ復活は不可能だ。
「では、私は、私の胸に刺さったこのガラスは、一生このままだと言うんですか!?」
「先程言ったが、お前が勇者の心臓を使いこなせればもとに戻る。それにお前も願っていたはずだ。いつか自分もガラスの剣を手に取り、勇者として生きたいと。そうでなければこれほど早く身体に馴染むわけがない」
キュリアスが右手に魔力を生み出すとそこにはガラス製の、ヴォルグラストは違う透明なガラスのサーベルが握られている。……私もそっちが良かった。芸術品のようにきれいで見栄えがいいし、何より体内で生成したわけではないので痛くない。
「セントグラス!? やはりあなたが!」
「違いますよリィンノートさん。あの剣はガラス剣ですが、あなたの言う柄がない剣ではありません。剣身も柄も揃っています。もし盗んだ武器なら、そのどちらかしかないはずです」
「ふむ。わたしも初めて扱うが、ずいぶん無駄が多いな。使い切りの武器を産み出すにしては魔力消費が多すぎる。それに切れ味も特別いいわけではなさそうだ。……やはりヴォルグラスのほうが優れている」
何度か空を切るように振り回し、テーブルに振り下ろす。半ばまで斬ったところでガラスの剣は砕け、魔力となり霧散してしまった。魔力防壁もないただの木製テーブルを貫通できないとは、いくらガラスとは言え脆すぎる。試しに私の作り出したヴォルグラスを摘んで落下させるとテーブルは貫通し、床に当たった時点で砕けて消えた。
「嘘……? 手を抜いたのでしょう? サンハルトの聖剣がその程度の斬れ味であるはずがないわ」
「……私は逆にヴォルグラスの威力に驚いています。ただ落としただけでこの斬れ味とは…… オーバースペックすぎるのでは?」
「目の前の障害をすべて斬るのが聖剣であり、この程度の木の板など斬れて当然だ。しかしお前の言うことも気になるな。いくら偽の聖剣とはいえ、クレイルの心臓を元に造られたデザイアがこの程度なはずがない。リィンノート、お前たちはこの剣をどのように扱っていたのだ?」
キュリアスの問に、リィンノートは悔しそうに俯く。
「……勇者の心臓は、サンハルトの勇者にしか扱えない秘伝なのです。魔力を込めて握り、振るう。概要は知っていますが、私はサンハルトの勇者ではありません。……後継者に選ばれなかった。なので詳細は知らないのです。父が振るっていたのも、任命式で披露したのを一度見ただけ。……ですが、その時父が斬ったのは訓練用の鉄鎧。それも一刀で幾つもの人形を斬り伏せました」
「ならばなにか仕掛けがあるのだろう。しかし、父か。もしや殺された勇者というのは……」
リィンノートは黙って頷く。なんと、殺害された勇者は彼女の父だったのか。彼女の目には薄っすらと涙が見える。
「それは残念なことだ。正しい巡りに旅立てるよう今からでも祈っておこう。だが1つ気になる。なぜお前は後継者に選ばれていない?」
「……それは、他に後継者が居るから、としか……」
「え? サンハルトの次代勇者が居るんですか? その人は今何を?」
「……後継者は、私の弟です。弟は父と共にこの地のダンジョンでの任務に就き、父と同様に殺されかけています……」
「殺されかけた、ということは死んでいないのだな?」
「意識はまだ戻りません。医者からは生きているのが奇跡だと言われています」
「……ダンジョンの中、殺されかけ、意識不明…… なにか、聞き覚えが……」
ふと自身のことが脳裏によぎる。あまりにも状況が似ている気がするのだ。
そして突拍子もない考えが頭をよぎる。それをありえないとは断言できない。なにせ、自分はそのようにして戻ったのだから。
「これは完全に憶測、妄想でしかありませんが。リィンノートさんのお父様と弟さんが襲われたとき、お父様は弟さんを生かすために、勇者の心臓を使ったのではありませんか?」
「……え……?」
まず前提として、キュリアスのデザイアは生物全てのデザイアだ。そこで疑問なのだが、サンハルトの勇者の心臓は果たして生物か、ということだ。
キュリアスは彼女に心臓を与えたとき、なんと言っていたか。勇者の心臓は、生物の一部だ。
しかしサンハルトの勇者の心臓は、殺されたクレイルの心臓を元に造られたデザイア。いくら元は生物とは言え、死後加工された臓器はデザイアであっても生物ではないだろう。
私の心臓はかつてクレイルの心臓であったものと同じ。彼女の心臓は勇者の心臓だがクレイルの心臓ではない。ではリィンノートに与えられたのは一体誰の、どの勇者の心臓なのか。
「願いは、デザイアは、人の死くらい簡単に超越します。奇跡の力なのですから、そのくらいできます。それに加えて武器に加工されたとはいえ、かつて幾度となく死線を潜り抜けた勇者の心臓。この2つが合わされば、絶体絶命の危機から人一人を生かして返すくらい、出来るのではないかな、と」
「面白い考察だ。たしかに不思議ではあった。勇者の、クレイルの心臓とはいえ、解体され武器にされたものが生物なのかという疑問はあった。だがなるほど。新しい勇者の心臓ということなら、それはあり得るのだろう」
「いや、いやいやいや? なぜ2人が納得してるのか、全く意味がわかりませんけど? 武器が臓器になるなんて、ありえませんよ」
「だから妄想のような考察ですよ」
だが同じ勇者の心臓を持つものだからだろうか、この考えには妙な確信があった。
勇者の心臓は、彼女の弟の中にある。
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