1.5-7 レオーラの勇者たち
◆レオーラの勇者たち
ショートがこの世界で最初にいた場所はレオーラではない。そこは異世界から来たものを専門にした施設だった。名も無い研究所であり訓練場。本人はただディアナの隠れ家と呼んでいるが、とてもそんな小さな規模ではない。野球とサッカーを同時にして余るほどの土地があり、宿舎も学校のような大きさをしている。
「此処から先の侵入は認められていません。お引取りください」
ただし、その場所は簡単に行くことはできない。彼女の隠れ家はその名の通り秘匿されている。それも、パストラリア大陸で最も広い大森林、エルフの森の自治区の中にあるのだ。
「ボクたちはこの先にあるディアナさんの隠れ家に要件があるんだ。エルフや森には何もしない。通してくれないか?」
「此処から先の侵入は認められていません。お引取りください」
「頭が固いとは聞いていたが、ここまでとはな」
「なんとか入れないでしょうか。賄賂とか、袖の下とか……」
「無理。森の中はすべて監視されている。番人を買収しても許可がなければすぐに見つかる」
自治区へ続く道の前には顔を隠すために独特な面をしたエルフが番兵をしている。
エルフの森の一番外側にある「北ギルド門街」。ここは数少ない自治区への通行許可が出る街なのだが、ディアナの隠れ家への通行許可は下りない。なぜなら表向きにはそんなものは存在しないからだ。そもそも自治区へ向かう方向とも違う。
ではなぜここに来たかといえば、ショートがレオーラに向かう際に立ち寄った街だからだ。1泊だけ、半日以下の滞在時間だったが、森の中からこの街を経由してレオーラに向かった。この街には隠れ家への手がかりがあるはず。
「しかしエルフの森にそんな施設があるなんて聞いたことないぞ?」
「私も知らない」
熟練の冒険者ガリウスやエルフであるナディも知らないと言う。だが確かにショートは森の中を通ってきたのだ。
その日は一度宿を取り、翌日ギルドで情報を集めることにした。
◆
「あ? 誰かと思ったらショートじゃねえか!」
「え……!? サゼンさん!?」
それは全くの偶然だった。宿に向かうための道すがらショートは見知った顔に出会った。ショートと同じ黒髪黒目だが右半分を赤く染めたリーゼントに三角形の尖ったサングラス。上着は派手な柄の入った和服を羽織り、腹には包帯、白のニッカズボンと足袋を履いた不良のような鳶職のような格好の男がそこにいた。
「元気そうじゃねえか! そのだせえマントを付けてるってことは無事レオーラの勇者になれたんだな! おめでとう、俺も鼻が高いぜ!」
「……ありがとうございます」
ショートは彼が苦手だった。同じ日本から来た異世界人だが、サゼンは所謂ヤンキーかつ体育会系の思考をしており、現代っ子であるショートとは色々と相容れない。しかしサゼンはこの世界での先輩であり、その実力も確かだったために逆らえないのだ。
「ショートさん、誰です?」
「ああ、彼はサゼンさん。ディアナさんの隠れ家でお世話になった先輩だよ。サゼンさん。彼らはボクの仲間勇者パーティ【黄金の夜明け】のメンバー。リーダーで大剣使いのガリアス、斥候のターシャ、魔術師のナディ。それから勇者付きのリアラだ」
「おう、よろしくな」
サゼンは握手のために左手を出す。それを見てガリアスたちの雰囲気は悪くなり、ショートが慌てて止める。この世界でも左手を差し出しての握手はバッドマナーなのだ。
「ちょ、サゼンさん。悪い冗談はやめてください。すみません。サゼンさんには右手がないんです」
サゼンは羽織っている和服を広げ、隠していた右腕を見せてヘラヘラと笑う。ショートの言葉通りその腕は肘から先、前腕の中程からベルトで覆われていた。
「ネタバレすんなよショート。それより、レオーラの勇者サマが何だってこんなところに居るんだ?」
「……ディアナさんに挨拶と、聞きたいことがあって」
「なんだそんなことか。連れて行ってやりてえが、俺も別に用があるんだ。どうしたもんかな……」
暫く左手で顎を撫でるサゼン。
「そうだ。お前のパーティメンバー、それなりにやれるんだろ?」
「俺たちは元々Aランクの冒険者パーティだ。ランク相応の実力はあるぜ?」
「ならこういうのはどうだ? 俺はショートをディアナさんのところまで届けてやる。その間にメンバーには俺の用事を頼みたい」
「どういうことだ?」
「ディアナさんは外の人間とは会わない。どの道ショートしか連れていけねえから、お前ら暇だろ? だったらお前ら代わりに用事をしといてくれねえか?」
サゼンが懐から出したのは数枚のギルドへの依頼書だった。その内容は中ランクの魔石の入手と、このあたりでは入手できない食材の買い出し、そして護衛依頼。
「……前2つはともかく、護衛依頼? 対象は?」
「おっと、こっちは今すぐじゃなくていい。受けてくれるんならありがてえが、パーティ募集用の依頼だ。すぐに必要なわけじゃない。今は無視しろ」
「難しい依頼ではありませんし、報酬も平均より高い。割の良い依頼ですが……」
「ショートさんが決めろ。俺はパーティのリーダーだが、基本的に勇者の判断で動く」
ガリアスの言葉は少し冷たい。メンバーの態度もいつもより距離がある。それはサゼンへの不審とショートの会いたがっているディアナが、その仲間とは会わないと言い切られたからだ。
それをショートも表面では感じ取っていたが、自分の気持ちを優先することにした。
「ごめん。どうしてもディアナさんには会わないといけない。今のボクには自分では解決できないわだかまりのようなものがある。問題と言うほどではないかもしれないけど、抱えて歩くには危険な気がする。それは日に日に大きくなっている、そんな気がするんだ」
「それは俺たちじゃダメなんだな?」
「……ああ」
ショートの悩みは異世界人特有のものだった。
自分はこの世界の主人公なのに、自分の思いどおりに物事が進まない。剣と魔法のファンタジー世界であらゆる願いを叶える力を貰ったのに、なぜかうまくいかない。
この世界の住人にはいまいちピンとこない、むしろなぜそれをそんなに信じ込めるのかがわからない、そんな悩みだった。
「わかった。俺たちはお前を信じてこの街で待つ。その間にこのおつかいをクリアしといてやるよ」
「ありがとう。リアラも勇者付きのほう、大丈夫かな?」
「……エルフの森は、ギルドとしてはその広大な土地すべてをひとつのものとして認識しています。勇者付きとしては推奨しませんが、距離はともかく同じ土地から離れるわけではない。苦しい言い訳ですが、なんとかなるでしょう」
「すまない」
「話は終わったか? じゃあよろしくな!」
サゼンは依頼書をリアラに渡し、森の方向に歩き出す。そこは先程ショートたちが断られた自治区へと続く道。話の通じない番兵がいる場所だった。
「え、今日もう行くんですか?」
「ああ。用事は終わったからな。暗くなる前に帰りてえ」
そうは言うが時刻は昼過ぎ。かつてショートが彼とともに隠れ家からこの街に来たときは、朝に出て夜中に着いたのだ。今からでは絶対に辿り着かない。そう考えていたのだが、サゼンは入口の手前にある詰め所に入っていき、
「ばばーん! 見ろよ! ついに完成した俺の魂! 飛翔式魔導バイク、ニシカゼだ!」
それは大型バイクだった。所謂暴走族仕様にカスタマイズされたそれをショートは詳しくなかったが、ロケットカウルに鬼ハンドル、三段シートに竹槍マフラー、背負った旗には夜露死苦の4文字。現代でも漫画やアニメでしか見たことのないようなバイクがそこにあった。
「初めて乗せるのが男ってのは気に入らねえが、他に乗せる相手もいねえしな! ほら、跨がれや」
「……し、失礼します」
ショートは日本にいたときもバイクに乗ったことはなかった。恐る恐る後ろのシートに座る。しかしヤンキー仕様のシートはどこが正しい座席なのかよくわからない。
「乗ったか? じゃあ行くぞ!」
「ちょ、これって、シートベルトとかは……」
「そんなもんねえよ!」
「掴むところとかは……」
「そんなもんねえよ! おっと、俺の腰に手を回すなよ? シートの脇でも掴んどけ!」
「ヘルメットは……」
「そんなもんねえよ! もうほかにはないな? 行くぜ、エンジン全開!」
爆音と共に高速回転する後輪。地面と擦れ白い煙が周囲に立ち込める。
「飛ぶぜ、ニシカゼ!」
その日、ショートは初めて空を飛んだ。
◆ショート
「戻ったぜー」
「あれ、早かったね。おかえり。……おや、君は……」
「……お久しぶりです、ディアナさん」
ウェーブがかった白銀のセミロングとおっとりとした黄金の瞳。タートルネックのセーターとロングスカートを愛用し、研究員らしく白衣を纏っているどこか保健室の先生のような雰囲気の美しい女性。彼女がこの隠れ家の主ディアナだった。
「ショートくん。元気してた?」
「はい。お陰様で無事勇者にもなれました」
「ふーん。おめでとう。まあ座って待っててよ」
ディアナは書類仕事を一度切り上げ、コーヒーメーカーを操作し始める。明らかに現代の機器だ。
「ディアナさん、俺は飯の仕込みをしてくるわ」
「うん。できたら呼んでね」
サゼンは左手で返事をして執務室から出ていく。彼は意外にもこの施設の管理人、ハウスキーパーの1人だ。元々はどこかの勇者だったらしいが、自分の実力に見切りをつけて引退。冒険者として世界を巡り、たまたまここに戻ってきたのをディアナに拾われたらしい。
なので彼も元々はこの施設の出身であり、見た目は若いが結構な年上だったりする。サゼンというのも偽名で彼の好きな時代劇の侍だとか。
「それで、何をしに戻ってきたの?」
「……わからないんです。ボクは初めてディアナさんに会ったとき、この世界の主人公だと言われた。願いの叶う奇跡の力デザイアを与えられ、主人公らしく勇者にもなった。でも、この世界には同じ異世界から来たやつや、もっと強力な能力者もいる。だから不安なんです。本当にボクが主人公なのか、本当にこの世界の中心は自分なのか。言いようのない焦燥感のようなものがあるんです」
「ふーん」
ディアナは紙カップを自分とショートの前に並べ、コーヒーを注ぐ。香ばしい独特な匂いが部屋に溢れ、その懐かしさから不安を吐き出したショートの精神も少しばかり安定を取り戻す。
「砂糖いる?」
「大丈夫です」
スティックシュガーを何本か纏めて千切り、コーヒーに入れるディアナ。彼女は結構な甘党だ。だがショートはここの外で砂糖を見たことはあっても、スティックシュガーなどと言う形で個包装されたものは見覚えがないことに気がついた。
「で、なんだっけ。君が主人公という話だったね。それはもちろんそうだよ」
「……しかし……」
「努力しなよ。RPGのレベル上げ、したことないの?」
「……」
そう言われてしまうとショートは何も言い返せない。努力をしてなかった訳ではないが、足りていなかったと言われれば結果的にはそのとおりだ。もっと努力していれば、自在にデザイアが使えていれば、試験でドラゴンを倒せていたはずだし、仲間を飲み込まれることもなかった。
ターシャは確かに助かった。だがそれは本当なら発生しないイベントだし、発生したとしても助け出すのはボクだったはずだ。
「主人公だって努力してるよ。まさか異世界に来ただけで自動的に無敵だと思ってたの? 君は君の世界に主人公だけど、ライバルはいっぱいいるし、世界そのものから見たら誰だって舞台装置さ。モブになりたくないなら努力しなよ。誰だってそうしてる。日本でもここでもそれは変わらない」
「……はい」
ディアナの言葉が胸に刺さる。異世界に来たと浮かれていたショートは、理想の英雄を思い描いていたはずだ。そしてそれは叶った。だから自分が主人公だと信じていた。
ならそうあるべきだった。だがショートは理想の英雄の活躍していた一面しか見ていなかった。その程度の理想だったので同じ日本から来たケシニの勇者フィローに出会い、彼が自らを主人公だと言い放っただけで軸がぶれてしまった。
「でもここには元の世界とは違って明確に他人と違う君だけの能力がある。デザイア、すべての願いを叶える万能の奇跡。ゲームみたいにパラメーターはなくても、それを鍛えればいいってことくらいはわかるよね? だってそれは君の希望したものなんだから」
その言葉でショートは他人のデザイアを思い浮かべる。この世界の住人のデザイアは、願いは尊いが、能力そのものは通常の魔術の上位互換であることが多い。失礼な話だが仲間であるガリアスとターシャの能力は肉体強化系と呼ばれるものであり、魔力を正しく運用できれば誰でも似たようなことができる。デザイアはそれを無意識に行っているにすぎない。
ナディの『フォローミスト』は召喚系能力であり、ミストスライムと呼ばれる人工魔法生物を操っているだけだと本人から聞いた。かなり高度な魔術だし簡単な命令しか理解しないが、デザイアでなくてもミストスライムがいれば同じことはできる。
何が言いたいかというと、つまり彼らのデザイアはそれ単体ではそこまでのアドバンテージではないのだ。それを運用する戦術や勝負勘、経験の差こそが現地人と異世界人の最大の違い。
今のショートは理想像はあってもそれを支える台座がないと思っていた。それは元より逆だったのだ。そもそも彼が勇者を目指した時点でギルドという巨大組織があり、勇者とはギルドによって管理されている傭兵のようなものだと理解していた。初めからライバルはすでにたくさんいた。
肉体が成長した状態で転移してきた異世界人には、身体を鍛え上げる時間は彼らよりも少ない。彼らがこの世界の住人に勝っているのは、何も願っていない無垢な状態の、全力で発揮できるデザイアだけ。ショートに必要だったのは理想像の台座を探したり造ったりすることではなく、理想像を何もない平原に打ち込む意志の強さだった。
初めから答えは自らの中にあったのだ。少し遠回りをしたがショートはそれに気がつくことができた。
「魔力や身体の変化は自分では気が付きにくいけど、君は初めてここに来たときよりもずっと成長している。つまらない悩みで迷うことはあると思うけど、自分の願いは信じたほうがいいよ」
「はい。話を聞いていただき、ありがとうございます」
ショートは用意してもらっていたコーヒーを口にする。微温くなっていたが、久しぶりの味とその懐かしさに思わずほっと息が出る。高校受験のときに毎日何杯も飲んでいた嫌な思い出の味だが、それでもこちらではまだ飲んだことがなかった。
「そうだ。勇者になったんだよね。お祝いにこれあげるよ」
ディアナは思い出したように立ち上がり、研究机から小さな箱を取り出す。
「……これは……?」
「懐中時計とオートナビ」
箱の中にあったのは一見小綺麗だが蓋を開くと途端に安っぽく見えるデジタル時計。この世界にも時計はあるが、時差以外にも技術的な問題でどれもずれていることが多い。この時計も今は夕方だというのに表示時間は22時13分。どこが基準なのかもさっぱりだ。
オートナビというのもよくわからない。液晶画面は明らかにデジタル数字しか表示できず、なにをナビするのかも不明だ。
「ありがとうございます。……ですが、なんのナビですか?」
「魔力を込めるとこの隠れ家の方向とこの世あらざる場所、ダンジョンの方向がわかる。時間調整は自分でやって」
試しに魔力を込めると薄く金色のオーラが時計を覆い、ディアナの方に引き寄せられるように伸びる。それとは別に青い魔力も溢れていて、それは四方八方に拡散して消えていく。魔力の込め方や量で調整は可能のようだ。
それだけ言うとディアナは要件は終わりだと言わんばかりに研究机に戻り書類仕事を再開した。そういえば彼女から直接何かをもらったのは初めてだとショートは思い出す。もしかしたら照れ隠しなのかもしれないと思い、頭を下げて部屋を後にした。
「……ありがとうございました。失礼します」
「またね」
◆
ショートはすでに用件を終えてしまった。元々移動時間がかかると思っていたので仲間たちにサゼンの依頼を任せたのだが、こんなに早いと逆に気まずく戻りづらい。だが彼らはショートを待っているのだ。できるだけ早く戻り、その依頼を一緒に達成と考えていた。
「ああ? 戻る? 今からか?」
「はい。ボクの用は済みました。あまり長居をして研究の邪魔をするのも悪いので……せめて挨拶をしてから帰ろうかと……」
「おいおい、ナメんなよショート? 今俺が何をしてるかわかるか?」
そこはかなり広い厨房だ。サゼンはスライサーを使いながらキャベツを千切りにし、大きな鍋でスープを煮込んでいる。
「……料理中、ですね」
「そうだ。お前の分も含めて明日の朝飯まで仕込んでんだよ。なのに帰るだあ? テメエ俺の飯が食えねえっていうのかよ!」
「いえ、そういうわけでは……」
「それにテメエ、どうやって帰るつもりで居るんだ?」
「……あ」
そう、彼は忘れていた。そもそもここに来たの方法はサゼンの空飛ぶバイクであり、前に北ギルド門街へ行ったときもサゼンの護衛と案内があった。つまり戻る方法を知らなかったのだ。
「わかったらテーブルでも拭いて待ってろ!」
「はい……」
「あ、ショートちょっと待て! せっかく来たんだ。とんかつと生姜焼きどっちがいい?」
「……とんかつで」
サゼンの言われるがままに雑務をこなし、夕食の時間になった。この研究所は研究員の他にも警備員やハウスキーパー等で意外と人が多いのだが、みんな不定期な時間に食事をするため基本的に作り置きになっている。
なので過去にここに居たときと同じようにサゼンとディアナとの食事になるとショートは思っていたのだが、食事に呼ばれたディアナの後をついて見知らぬ少女が現れた。
年齢は15、6くらい。黒髪黒目で顔立ちは可愛らしく、何故か猫耳カチューシャとメイド服を着ていた。それを見た瞬間、ショートは彼女も同じ日本から来た異世界人だと悟る。
「紹介しよう。彼女は奥村リンゴ。君と同じ日本人だよ」
「奥村リンゴです! よろしくお願いします、先輩!」