1-13 ドラゴンとエルフ
◆セリア
「セリアさーん、がんばってくださーい!」
はるか遠くの木の陰から、ワトラビーの声援が聞こえる。彼女は今キュリアスに護衛されているため、あんな不用意に大声が出せるのだ。
目の前にはキュリアスの一撃により空から落とされ、その目に怒りを宿す大型のドラゴン。
「ゴガアアアアアアアアァァァァァアアアアア!!!!」
獰猛なトカゲに似た恐ろしい顔。咆哮だけで小型の生物を失神させる魔力。開いた口には私の腕よりも太い牙が何本も生え揃い、滴る唾液は強力な酸だ。
大型船の様な身体に太い幹を思わせる四肢。体長と同じ長さの尻尾の先は斧のような刃物に進化している。キュリアスのせいで失われた翼は、しかしすでに再生を始めており、あれが羽ばたくだけで小さな家が吹き飛びそうだ。
対して私はといえば、あくまで対人戦闘レベルの防刃防魔術の戦闘服と両手に持ったなまくら短剣が2本。揃えてきたはずの魔導具はキュリアスに奪われている。
「……どうしてこうなった?」
絶望的な状況だというのに、何故か私の心に恐怖はない。むしろ十分に引き絞られた弓矢のように、今にも駆け出しそうな高揚感がある。
キュリアスの言葉が思い返される。勇者なら、勇者になるなら、他の勇者がやってきたこと程度やってみせろ。そう言われた瞬間から、心臓が妙に熱い。
「グガアアアアァァァァアアア!!」
来る! ドラゴンが咆哮とともに右前脚を上げ、その瞬間から世界が急激に遅くなる。私だけが加速する。振り下ろされた右前脚は大地を砕き、同時に左前脚が振り上げられる。
それが突進だったのだと悟ったときには、私はすでにドラゴンの目の前にいた。どうしよう。何も考えていない。こんなに早く距離が詰まるとは思っていなかった。そう言えばレテリエとの戦いのときもそうだった。そもそも相手が突進しているなら避けなければ。
その場で右に跳びドラゴンの左前脚の脇を抜け、折角なので横腹を斬りつける。本来なら絶対に通らないなまくらの短剣だが、魔力を込めることで聖剣ヴォルグラスとなったそれは、勢い余って左後脚をも斬り落とした。
「ガガアアァァァァア!?」
「……すごい……!」
魔力を通さず、魔力を斬り裂く。この聖剣の能力は魔物に対して絶大な威力を発揮した。本来なら再生するはずの脚がいつまで経っても治ることはなく、その断面からは魔力が漏れ続けている。
ドラゴンからすれば走り始めた瞬間に突然脚を失った形になり、2歩目までは前に進んだが3歩目で勢いのままに倒れる。
「そうだ。今ならやれるはずです!」
通常は魔術陣を予め敷設し、そこへ誘導することで捕獲するのだが今の私には聖剣がある。咄嗟の思いつきだが、要はドラゴンが動かなければいいのだ。
「ガアアア、ガアアアア!」
尻尾を振り回し、立ち上がる時間を稼ごうとするドラゴン。しかし今の私にはその巨大な鞭のような尻尾でさえなんの障害にもならず。一度目は跳んで避けたが、折り返しで面倒になったので刃を立てて切断した。勢いのままに振り抜けた尻尾は落下する前に魔力へと消えていく。それを見届けることもなく私はドラゴンの背に降り立ち、残った四肢を断つ。
四肢は再生しないのでこれで拘束完了だ。仰向けにするのも面倒なので背中側から内蔵まで開こうとしたところでドラゴンの魔力が尽き、巨大な魔石を残して消滅してしまった。コア部分しか残らなかったので思ったよりも若いドラゴンだったようだ。
「おっと…… ふう……まさかこんなに容易く倒せるなんて」
「すごい! 凄すぎますセリアさん! 何が起きているのか全くわかりませんでしたよ! ドラゴンが突進した瞬間セリアさんはもうだめだと思ったのに、突然ドラゴンは倒れて、気がつけばセリアさんはその真横にいるしで、もう何がなんだか!」
「まあ、初めてにしては上出来なのだろうが……これがドラゴン? 英雄譚のはもっと筋骨隆々で荒々しく、一息で村を焼き尽くすような力強さがあったのだが。これではただの飛んでいるトカゲではないか」
ワトラビーは喜んで魔石を回収しているが、キュリアスは不満気だ。そしてそれは私も同じ。手応えがないというか、誰かの戦いを間近で見ているような、これが本当に自分の手で行われたのだという実感がない。
「どうした? そんなにぼんやりと手を見つめて。ヴォルグラスが刺さったのか?」
「いえ、なんというか、それほどのことをやり遂げた実感が無いというか。アレをしたのは本当に自分だったのか、と考えていました」
「セリアさんは最近デザイアが覚醒したんですか? 能力の発現が遅いとそういう感覚の落差があるみたいですけど、すぐに慣れますよ。実際私たちはこの目でセリアさんの活躍を見ていたわけですし、そこに疑う余地はありません。あ、いえ、目は追いついていなかったんですけど」
そういうものなのだろうか。
デザイア。思えばこの能力は、どこからが、どこまでが自分の力なのだろう。努力して手に入れた体捌きとは違う、降って湧いた奇跡の身体。これは本当にどちらも自分のものだと言えるのだろうか。
「そんなことよりも次だ。見ろ、またヘビが空を飛んでいる。次の相手はアレだ」
キュリアスが指差す上空にはまた別のドラゴン。先程よりも大きく細長いスラリとした流線型で、大きな翼の他に手足まで翼のように変化している。
「あれは確かに期待できそうですね。先程の個体は固有能力も特に見られず、内蔵も確認できませんでした。ですがあの変貌っぷりはきっと強力に違いありません! キュリアスさんやっちゃってください!」
「うむ。華麗に撃墜してやろう」
なぜか興奮して指示を出すワトラビーと、満更でもなさそうなキュリアス。会って間もないが相性はいいようだ。しかしワトラビーはこんなキャラだったのか。
落ちた後戦うのはきっとまた私なのだろうが、そう思うと何故か身体が高揚する。明らかに妙だ。私は戦闘狂ではない。先程といい今の感覚といい、明らかに私は何者かに感覚を引っ張られている気がする。
先のドラゴンを落としたようにキュリアスは雷撃をその手から放つ。彼女曰くその威力は以前クラウドドレイクを蒸発させたほどのものではなく、通常の雷程度らしい。それでも十分人は死ぬし、回避なんてできないのだが。
しかし彼女の放った雷撃は上空を飛ぶドラゴンのその流線型の身体に沿って受け流され、宙に消えていく。ドラゴンの方も攻撃を気にすることはなく悠然と飛び去ってしまった。
「ほう。あの巨体でどうやって飛んでいるのかと思っていたが、その身に魔力を纏うことで空間そのものを割いているのか。素晴らしいな。常に流れる魔力のせいで防御能力も同時に獲得していると見える。やつの翼はただの飾りだが、空を泳ぐ能力は実に見事だ。アレはわたしもほしい」
どうやらキュリアスの感性になにか引っかかったようだ。しかし欲しいと言っても落とせないのでは意味がなく、と言うかそもそもどうやって能力を得るつもりなのか。
「あれ? そもそもキュリアスさんは全ての生物のデザイアが使えると言っていませんでしたか?」
「そうだが? ああ、お前勘違いしているな? 先程の戦いを見て私も確信したが、魔物は生物ではない。私のデザイアのすべての生物とはこの世界の自然から発生、進化した個体だけだ。つまり魔物は全て一般的な生物とは異なるし、そのデザイアも自分で回収する必要がある」
「すべての生物のデザイア? 人間以外にもデザイアが使えるんですか?」
ワトラビーは驚いたように聞き返してくるが、そういえば私も同じ反応をしたような。
「詳細は省くが使える。というかお前エルフとか言うやつなのだろう? お前だって人間ではないではないか」
「あーっ! 亜人種差別! それ亜人種差別発言ですよ!」
「何だいきなり。やかましい」
「キュリアスさん。今の発言はどうかと思います。……ああ、そういうことですか。ワトラビーさん、キュリアスさんにかわって謝罪を。本当に申し訳ありません」
らしくない発言だと思ったが、私は気づいてしまった。そもそもキュリアスが人間でないことも起因しているのだが、恐らく彼女は人間の範囲を知らない可能性がある。
「セリアさん、あなたに謝られても私は許せません。同じパーティのメンバーとして、勇者になる者として、とても許容できるものでは……」
「すみません。ですが聞いてください。彼女は、キュリアスさんは亜人種の存在を知らないんです」
「まさか! そんな言い訳を信じるとでも?」
ワトラビーは、ハーフエルフだけにその手のセンシティブな言葉に敏感なのだろう。どんな事情があれ、説き伏せるのは難しい。況してや今は勇者になるための試験の場。減点は免れないし、なんならそのまま失格点にもなりうる。キュリアスが人間ではないとわかればきっと彼女の怒りも落ち着くだろうが、それを話すのは難しい。
「なんなのだ? ルナの言っていた人間の定義とやらか?」
「……まさにそれです。キュリアスさん。今の人間とは、体内に魔石を持たない人型の生命全般を指します。なのでエルフやドワーフ、獣人種など多種多様な種族はみな同じ人間なのです」
キュリアスは納得したように頷き、しかし火に油を注ぐ。
「なるほどな。そうか、お前は自身の種族の、エルフを捨てて人間を望むのか」
「!? キュリアスさん! 私の話を聞いていましたか!?」
「まだ言いますか! この件はギルドに報告しますからね!?」
「聞いていたとも。そのうえでわたしは疑問なのだ。ワトラビー、お前を見ていてわかったことがある。お前に流れるエルフの血。それは元々はただの人間などでは到底辿り着けない、魔法の局地へと至った存在の血だ」
「…………何の話ですか?」
ワトラビーは眉にシワを寄せているが、とりあえず話を聞いてくれるようだ。
「まあ聞け。今よりはるか過去になるらしいが、デザイアがまだ魔法と呼ばれていた時代のことだ。当時も魔法は一代限りの奇跡の技とされ、その技の継承はとても難しかった。今を生きるものならわかるだろうが、それは自分のデザイアが魔法と言う名で発現されていたのだから当然のことだ。当時そんな事を知る由もなかった魔法使いたちは考えた。どうにか魔法を次世代に残せる方法はないかと。そこで魔法使いたちはまず自分たちだけで子を生み育み、その子らに魔法以外の情報を与えなかった。それは半分は成功し、半分は失敗だった。その子らは正しく魔法使いにはなったが、同じ魔法を引き継いだわけではなかった。そこで次に生まれてくる子に、腹の中にいるときから魔法使いになる魔法を施すことにした。これはとても難しい魔法だったが、魔法使いたちはそれを研究し続け、願い続けた。次世代もさらにその次世代も、何代にもわたって魔法使いは魔法使いの血統を望み続けた。果たしてそれはいつしか叶った。あらゆる魔法に適正を持つ種族、エルフ。それがお前の血だ」
「……その話、もっと短くならない?」
「えーっと、つまり、キュリアスさんはこう言いたいんだと思います。エルフは元々人間が願って進化した種族だと。そうですよね?」
振り返るとキュリアスは満足そうに頷いた。
「そうだ。そもそも生物の進化とは願いから始まる。それは人間も同じことだったが、人間は欲が強すぎた。万能の願いを種ではなく自分のためだけに使い続けていたのだからな。それはエルフの祖も同じであったが、同じであったが故に更なる進化に辿り着くことができた。そのうえでもう一度問おう。半分とは言え人間の先に進んだエルフの血を持つワトラビーよ。エルフの誇りはないのか? 自ら進んで人間にまみれ、人間だと嘯いて、思うところはないのか?」
「……私だって! 私だって好き好んで人間の群れにいるわけじゃないです! ハーフエルフにだってエルフの誇りはある! 私の魔力は純血のエルフにも引けを取らないし、ただの人間では到底操れない魔術を幾つも使える! でも、エルフの森にハーフエルフの居場所はないの! 居場所のない私には! 人間に紛れて生きて行くしかないんです!」
「ワトラビーさん……」
冷静に考えるとワトラビーも人間差別発言をしている気もするのだが、今はスルーすることにした。
「……もし、お前の身が純粋なエルフになれるとしたら、どうする?」
「はっ、叶いませんよ、そんな願い。願ったに決まっているじゃないですか! どうかエルフでいさせてくれと、どうかエルフに生まれ直させてくれと。でもそんなことは叶わなかった。魔力は増えたし顔もスタイルも人並み外れて良くなったけど、どれだけエルフに似ていようと、私はエルフにはなれなかった……」
確かにエルフはみな美形だが、自分でそれを言うのか。というかやっぱり願うほど人間嫌いなんじゃないか。そこで人間になりたいとを願わないあたり、彼女もまたエルフ特有の人間嫌いがあるのだろう。
ああ、そうか。キュリアスの言葉が本当に正しければ、人間と混ざったエルフの子は魔法使いであれという願いの血統から外れてしまう。それは願いの果てに辿り着いた種族としての弱体化にほかならない。だから人間を執拗に嫌うし、他の亜人種が人間を嫌うのも同様の理由なのだろう。
「それはお前がエルフというものを真に知らなかったからだ。だがお前の言葉しかと聞き届けた。これもなにかの縁だ、わたしに任せろ。その程度の変化は容易い。そもそも半分はエルフであるしな」
「……何を言ってるの?」
「キュリアスさん? まさかとは思いますけど、だめですよ?」
「ワトラビー、謝罪の代わりにお前をエルフにしてやろう」
「だめですよ!?」
私の、勇者のデザイアを持ってしてもキュリアスの凶行は止められなかった。或いはそこに悪意がなかったからかもしれない。
それは刹那の出来事だった。突き出したキュリアスの右手からどす黒い魔力が吹き出し、ワトラビーの胸を貫く。キュリアスの右腕を掴んだときにはもう遅く、黒い魔力はその貫かれた胸に吸い込まれるように侵入していく。
「ゴホッ! ゴホッゴホッ! 何するのよ!?」
どれだけ時間が経っただろう。或いは本当に一瞬だったかもしれない。黒い魔力がワトラビーを包み、そのすべてが彼女に取り込まれ靄が晴れた時、そこに居たのは輝かしいほどの魔力を纏い、更に美しく、身長も伸び胸も若干膨らんだワトラビーだった。
「ワトラビー……さん?」
「なに!? 一体何だったの!? なんだか胸も苦しいし、私に一体何をしたの!?」
「……鏡をどうぞ」
キュリアスに預けてあるバッグの中から手鏡を取り出し、ワトラビーに今のその姿を見せる。
「………………え!? 本当に!? ないのかと思うくらい低かった鼻も、子供の頃から成長が止まった短い耳も、私の夢見た正常なエルフに戻ってる! なんだか髪の艶もいいし、胸がきついのは大きくなったからなのね!?」
ワトラビーは喜んでいるようだが、本当に良かったのだろうか。キュリアスが行ったのは、恐らく私を勇者に変えたのと同じ彼女のデザイアによる人体改造。
死にかけだった、いや殆ど死んでいた私は致し方なかったとは言え、これは明らかに生命に対する冒涜。魔術ギルドや錬金術ギルドが禁じている禁忌に等しいのでは?
「喜んでもらえて何よりだ。なるほど、これこそ勇者の行いか。人助けは気分がいいな」
「やめてください」
「ん?」
満足気に頷くキュリアスだが、それをやめるように注意するワトラビー。彼女もエルフを気に入っていたようだが、その顔は険しい。
「キュリアスさんには本当に感謝しています。本当に、本当にありがとうございました。ですが、先程の発言は訂正してください」
「ふむ? どの言葉だ?」
「今の私はエルフ。低俗な人間とは違う、決してハーフなどではない純粋なエルフです。私はそのエルフなのですから、人助けではなくエルフ助けと、訂正をお願いしますね?」
「なんだこいつ」
思わず口から漏れるほど、彼女は人間嫌いを加速させていた。何もそんなところまでエルフにならなくていいのに。
◆
「アッハッハハハハハ……! 見てください! ドラゴンがまるで羽虫のようです! これもう私が勇者ってことになりませんか!? 吹き荒れよ嵐! かき鳴らせ稲妻! 砕け散れ、アイスストーム! あは、アーっハッハッハ!」
「楽しそうだな」
「……楽しそうですね」
純粋なエルフ、それもキュリアスの知る最も純度の高かった頃のエルフへと変わってしまったワトラビーは、その溢れ出る魔力を抑えきれず全力でドラゴン討伐に励んでいた。
「本来ならお前もあれほど喜んで、勇者稼業に精を出すと思っていたのだがな」
「……どうでしょう。彼女には元々魔術の素養があったのでそれほど違和感がないだけだと思います。私の場合は全く未知の能力、今でも何がどこまでどれ程できるのか、検討も付きません。それよりも彼女は勇者付きで、ある意味試験官のはずだったんですけど……この状況、どうしましょうか」
「別に構わんのではないか? そのうち魔力の枯渇に気がついて戻ってくるだろう」
今のワトラビーはただの魔術士ではなく、もっと昔の、原初のあらゆる魔法を行使できるものとして望まれた魔法使い、エルフだ。その出力は凄まじく、両脚に風を纏って宙を舞い、光の翼で空間を制御し、両腕から射出される魔法は一発一発が戦術級魔術を遥かに凌ぐ。
そのせいでこの2層の上空は大変に荒れていた。気ままに飛んでいた並のドラゴンは全て撃ち落とされ、多少力のあるドラゴンは歯向かって討伐されるか、その身に受けた傷を庇って逃げるかのどちらかだ。ちなみに上位のドラゴンはそもそもこの2層にはほとんどいない。
「魔法最高! エルフ最強! ああ、過去の自分が恥ずかしい。エルフに引けを取らない魔力? 今の私の1%にも満たない出力でよくもまああんな大口を。ああ恥ずかしい!」
しばらくの間エルフを絶賛しながら飛び回っていたワトラビーだが、飽きたのかそれとも攻撃目標がいなくなったからか私たちのもとまで戻ってきた。
「ずいぶん暴れていたな」
「それはもう! この身体をくださったキュリアスさんにはどれほど感謝をしても足りません。今の私は人間よりも進化したエルフをも超える存在。例えるなら超エルフです!」
「……ネーミングはともかく、ワトラビーさんが魔法の試し撃ちをしすぎたせいで目標のドラゴンがいません。ミッションの方はどうしましょうか」
「合格でいいんじゃないですか? これほどの奇跡はまさに勇者の所業です。というか勇者でもできません。私の願いを叶えられなかった神の奇跡を超える奇跡です! そう例えるなら超神勇者!」
「そんないい加減な…… それに今どき子供でも超とか神とかいいませんよ」
「わたしも神は好かん。それは外せ」
「ようやく見つけたぞ!」
そんな取り留めもない話をしていたとき、足元に向けてナイフが飛んできた。方角は自分とキュリアスの真後ろ。振り返るとそこにはボロボロの鎧を纏ったナルシックとそれに付き従う冒険者の軍勢。20人近くいるだろうか。
「勇者……ナルシック?」
「俺を知っているとは、やはり俺の妨害が目的だったのか! いや、待て。その顔どこかで見覚えが……」
「セリアさんの知り合いですか?」
「ええ、まあ、私が勇者付きだった頃に、ちょっと」
まさかこんなところで出会うとは思ってもいなかった。いや試験を受けていたのは知っているが、彼の実力で対人の模擬戦を抜けられると思っていなかったのだ。
「あ、先輩じゃないですかぁ。お久しぶりでぇす」
「セリア……? 先輩……? ああ! 思い出したぞ、私の経歴に傷をつけた無能が! お前というやつはあの時といい、今といい、無能のくせに何度俺の邪魔をすれば気が済むんだ!?」
「……邪魔をした覚えはありません。今も、ダンジョンのときもです。私は貴方の逃げる時間を稼ぐためにあの場に残った。それのどこが邪魔なんです?」
「うるさい! お前が死んだせいで俺は勇者付きを守れない勇者だと不当な評価を受け、あまつさえ勇者付きを置き去りにしたと事実無根な非難を浴びたんだ! それが邪魔でなく何になる! ライツェが出した報告書がなければ、俺の実績はお前のせいで何もなくなるところだったんだ! それなのに死んだお前がなぜここにいる!? どうせその下らないデザイアで俺の邪魔をするために戻ってきたんだろう!」
なんとまあ、言いがかりも甚だしい。非難も評価も事実ではないか。ライツェの出した報告書も書いたのは私だし、本当に救いようがない。
「おい。あれが勇者だと? この街で見たどの冒険者よりも弱そうだが、ルナの目は曇っていたのか?」
「……彼が勇者になったときのギルマスはマスター・ルナではありません。あとマスター・ルナがすべての勇者を選定しているわけでもありません。それで勇者ナルシック、邪魔なんてしていませんが、用件はなんですか?」
「なぜ俺がそんなことをわざわざ答える必要がある? 自分のしたことくらいわかるだろう!? まさかダンジョンに脳を落としてきたのか? それほどまでに無能なのか!」
わからないから聞いているのだが、怒りで真っ赤になっているナルシックとは会話ができない。ちらりとライツェに視線を送ると彼女は申し訳無さそうに答えた。
「率直に申し上げますと、ドラゴンを狩られすぎてミッション達成が難しくなりましてぇ」
「あー」
それは間違いなく私たちのせいかもしれないが、私のせいではない。直接の原因を見やるとワトラビーはあからさまに不自然な口笛を吹き始めた。
「だが、俺は寛容だ。お前らが俺の邪魔をした非を認め、詫びたうえでドラゴンの魔石を献上するのなら、今回の件は水に流そう!」
「そんな無理筋通るはずもないでしょうに。それはそれとして……ワトラビーさん。魔石の回収はしていました?」
非を認めるつもりも詫びるつもりも一切ないが、私が狩った1体を除いて彼女が落としたドラゴンの魔石を見た覚えはない。
「あー、中型のなら落ちてるんじゃないですかね? 一撃で落ちたドラゴンは、多分魔石ごと消滅してると思いますよ」
「だそうです。魔石はありません。ついでに言うと先程まで行われていた大規模なドラゴン狩りはこの勇者付きワトラビーの暴走によるもので、私たちのパーティは一切関係がありません」
「そんな!? 私を売るんですか!?」
「いやそれは事実だろう。お前が勇者付きで、あんなのでもあれが勇者というなら、迷惑をかけた詫びくらいはするべきだ」
珍しく正論を言うキュリアス。たしかにあんなのでも今はまだ勇者だ。どうしようもないクズだが試験を受けに来ている立場の人間を、一応は試験官の立場である勇者付きが妨害したのでは筋が通らない。まあ、あれが妨害になるのなら私も彼女に妨害されたことになるのだが、そこは一旦飲み込もう。
「うっ、確かに…… キュリアスさんが言うなら仕方ありません。この度は私勇者付きワトラビーがエルフの魔力を見せつけるべく、下等な人間に迷惑をかけ申し訳ありませんでした。お前らがもっと強ければこんな事にはならなかったこと、ここに謝罪します」
「……ん、ふっ……!」
「…………ギルドの犬の分際で! 勇者である俺をコケにするつもりか!」
ワトラビーの実に慇懃無礼な謝罪にライツェは吹き出し、ナルシックは爆発した。私も思わず天を見る。荒れた空はもうすでに晴れていた。ダンジョンの修復能力は素晴らしいなあ。
「決闘だ! 試験中だろうと関係はない! オルラーデの勇者ナルシックがここに誓う! おい。そこのお前!」
「ん? わたしか?」
「お前が相手だ! 謝罪と賠償を賭け、我々と戦え!」
……はい?
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