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第86話

 蓮を追いかけて、美緒はマンションの中に入った。

 リビングまで行くと、蓮が持っていたビニール袋をテーブルの上に置く。

「コンビニ、行ってたの?」

 この袋には見覚えがある。近所のコンビニのものだ。

「ああ」

「ふーん、そう……」

 会話が続かない。それに狼の姿だというのに反応が薄い。

 どうしようかと美緒が困っていると、蓮はビニール袋から炭酸ジュースを取り出し、左手にそれを持って飲みながら、右手でテーブルの上のノートを開いてシャーペンを握った。

「勉強?」

「美緒も叫んでばかりいないで勉強しなよ。それとも、やっぱり先生になるのはやめる?」

「…………」

 蓮は小さく溜息を吐いて、袋からプリンとプラスチックのスプーンを取り出して美緒の前に置いた。

「ほら」

「……うん。ありがと」

 美緒は人間の姿に戻り、服を整えてからスプーンを手にする。

 そんな美緒の顔を見て、蓮が眉を寄せた。

「その額の魔方陣はなんだい?」

「あ……」

 ここに来る前、吉樹に描かれた『おまじない』だ。蓮の知らないところで吉樹に会っていたことに、今更ながら軽い罪悪感を覚え、美緒が左手で額を隠す。

「……まあいいけど」

 蓮はフイと視線を逸らし、テキストを見ながら勉強を始めた。

 カリカリとペンを走らせる音を聞きながら、美緒はプリンを食べる。

 何故ここに来たのか訊かれなかった。同じ部屋に居るのにまるで無視をするような蓮の態度に、美緒の気持ちが沈む。

「ごちそうさま」

 美緒がプリンを食べ終わると、蓮がペンを置いた。

「送っていくよ」

「…………」

 それだけ、なのか。

 立ち上がる蓮のズボンを、美緒は掴んだ。

「泊まっていく」

 蓮が軽く目を見開く。美緒はもう一度言った。

「こ、今夜はここに泊まる、から……」

「…………」

 蓮が深く息を吐く。

「馬鹿言ってないで――」

「馬鹿じゃない。泊まっていく」

「…………」

 美緒は泣きそうな顔で蓮を見上げ、蓮はそんな美緒をじっと見つめる。そして――蓮はテーブルの上に置いてあった携帯電話を手に取りどこかに電話を掛けた。

 コール音が美緒の耳にも微かに聞こえ、相手が電話に出る。

「ああ、優牙君? お願いがあるんだけど。うん、そう。うちに泊めるから、ご両親にはうまく言っておいて」

 電話の相手は優牙だった。

 お願いするよ、と言って蓮は電話を切ると、美緒に視線を向けた。

「シャワー浴びておいで」

「え!? いきなり!?」

 驚く美緒に、蓮が目を眇める。

「それはどういう意味だい?」

「……いえ、何でもありません」

 美緒は肩を落とし、すごすごと脱衣所に向かった。

 何を期待したのだろう。

 服を脱いでシャワーを頭からかぶりながら美緒は溜息を吐く。

 勢いで泊まっていくと言ったが、蓮に限って『間違い』は起こらないのだろう。

「うう……私の馬鹿……」

 軽くシャワーを浴びて浴室から出て、蓮が置いてくれたらしい着替えを着てリビングに戻ると、食事が用意してあった。

「ご飯、食べるだろう?」

「うん」

 そういえば食べていなかったと気づくと、急に腹が鳴る。

 蓮の作った料理を黙々と食べて、食べ終わると今度は何もすることがなくなり、美緒は蓮が後片づけをするのをボーっと見ていた。


「美緒」


 不意に声を掛けられてビクリとする。

「僕もシャワーを浴びてくるから、先に寝てていいよ」

「寝る……?」

 ふと美緒は疑問に思い訊く。

「寝るって、どこで?」

「うちにベッドは一つしかないよ」

 蓮は美緒の額をパチンと叩き、脱衣所に消えた。

「…………」

 それはつまり、同衾。

 そこまで考えて、美緒は項垂れた。

「うぅ……私って、まるで欲求不満。もう寝よう」

 それだけが目的ではないのに少々混乱している、と首を横に振りながら歩き、美緒はベッドのある部屋のドアを開けた。ところが――。

「あれ?」

 部屋に何か、違和感がある。

 それがなんなのか、少し考えて気づいた。


「ハニー人形がない」


 そう、蓮が美緒の毛で作った等身大狼美緒人形、通称『ハニー人形』が見当たらないのだ。

「……何で?」

 あれは蓮の宝物で、いつもこの部屋に飾ってあり、時には『よからぬこと』にも使用されていた筈だ。それをどこかにやるなど考えられない。

「おかしいな、どこやったのかな?」

 クローゼットを開けて中を確認する。

「無い」

 美緒は顎に指を当てて唸った。

「他の部屋? まさかベッドの下にあるわけもないし……」

 呟きながらベッドの下を覗き込んだ美緒は、そこで固まった。

 ベッドの下に何かがある。それは――。

「DVD?」

 DVDケースがいくつも積まれている。


「…………」


 デジャブ。

 こんなことが、以前にもあったような――いや、確実にあった。

「まさか!」

 美緒はベッドの下にあるDVDを引っ張り出した。また犬のDVDで欲望を満たしているというのか、私というものがありながら。しかし、ベッドの下から出てきたのは……。


 『桃尻一番』。


 大きな尻をこちらに突き出した女性の写真に、美緒の目が大きく見開かれた。


「な、なんですかこれはー!」


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