第84話
「何やってんだ、姉ちゃんは」
赤い目をして帰ってきた美緒に、優牙が冷たく言う。
「う……、だって……」
「ほら」
濡らしたタオルを美緒に渡して、優牙はベッドに座った。
「佐井さんの彼女ね、別れるつもりなんだって」
腫れた目にタオルを押し付けながら美緒が呟く。優牙が鼻を鳴らした。
「ふーん、それで?」
「お互い好きなのに別れるのは何故?」
「ああ? 知らねーよ」
「おかしいよ、好きなのに」
「だから知らねーって。泣くな」
ポロポロと涙を流す美緒に、優牙が舌打ちして片膝を立てる。
「だって……」
「鼻をかめ」
優牙は枕元にあったティッシュの箱を美緒に投げた。箱は美緒の頭に当たり、コン、といい音を立てて床に落ちる。美緒はのろのろとティッシュを二枚箱から引き出して、大きな音を立てて鼻をかんだ。
「好きだったら――」
「まだ言うか」
優牙は深い溜息を吐いてゴミ箱を投げた。
「好きにも色々あんだろ? 別々の道を歩む方がお互いにとっていい場合もあるんだよ」
美緒の肩に当たって転がるゴミ箱。ぶつかった衝撃に一瞬だけ眉を寄せ、美緒は顔を上げて口を開き――だが何も言わずに優牙をじっと見つめた。
「……なんだ? じろじろ見んな」
優牙が眉を寄せる。
「優牙?」
「ああ?」
美緒は膝歩きで優牙の足下まで行くと、立ち上がって優牙を強く抱きしめた。
「何しやがる!」
優牙が怒鳴り、美緒を突き飛ばす。衝撃で美緒は床に倒れた。
「うう、痛い……」
「胸を押し付けてくるな、馬鹿が!」
「だって、優牙が泣いてるように見えたから……」
「泣いてるのは姉ちゃんだろう!」
倒れている美緒の腹を優牙が踏みつける。
「痛い痛い」
「ふざけるなら自分の部屋に戻れ」
「ふざけてたわけじゃ……う、グリグリしないで。ごめんなさい」
美緒があっさり謝罪し、優牙は美緒から足を退けて再びベッドに座る。腹を押さえながら美緒が体を起こした。
「で? 姉ちゃんはこれからどうするつもりなんだ?」
「どうするって……」
「言っとくけど、佐井と彼女の仲を取り持とうとか、余計なことは考えるなよ」
「…………」
黙り込んだ美緒に、優牙が舌打ちする。
「考えてやがったな?」
美緒は上目遣いで優牙を見つめた。
「だって……」
「『だって』ばっかり言うな。他人の恋愛ごとに首突っ込むなよ。特に姉ちゃんは、だ」
「…………」
「返事」
「はい……」
美緒が渋々頷く。優牙は息を吐いて腕を組んだ。
「変態にするか人間鳥にするか、――偽装結婚か、どれにするかちゃんと考えろよ?」
「え?」
優牙の言葉に美緒が首を傾げる。
「偽装結婚は……」
「――向こうサイドのゴタゴタは無視して、このまま話を進めて籍だけ入れちまうって手もあるだろ? もしくは本気で佐井と結婚しちまうとか」
「ええ!?」
「別の狼男と見合い結婚するのもいいかもな」
「あう、なんで選択肢を増やすの? 私はどうすればいいの?」
頭を抱えた美緒に、優牙は肩をすくめた。
「さあな。好きにしろ」
「好きに、って言われても……」
「本能のままに」
「……え?」
美緒が顔を上げる。優牙が口角を上げた。
「姉ちゃんは好きに生きていけ。それが似合っている」
二人が見つめ合う。
「……意味が良く分からないんでしゅが?」
優牙が眉を寄せた。
「馬鹿が。ほら、自分の部屋に戻れ」
「ええー?」
「うるさい、出て行け。俺はこれから風呂に入る」
「じゃあまた後で来るよ」
「来るな」
立ち上がった優牙が、美緒を持ち上げてポイと廊下に捨てる。
「うぅ、乱暴者め」
美緒は渋々自室に戻ってベッドに寝転ぶ。そこに――。
コンコン。
窓を叩く音。美緒はがばっと身体を起こした。
「ゆ、幽霊!? 駄目でしゅ! 幽霊の入室はお断りしており――あれ? 前にも同じことがあったような。デジャブ?」
美緒が首を傾げたと同時に、カラカラカラという音がした。
「美緒ちゃん、窓の鍵を開けっ放しにしてたら危ないって前にも言ったよ」
「あ、ジュニア」
にっこりと笑って、吉樹は窓から美緒の部屋に入ってきた。