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第83話

 猛の恋人の住むアパートを美緒は見上げる。このアパートの二階、端の部屋がどうやら猛の恋人の住む部屋のようだ。

 優牙から貰った資料によると、年齢は三十歳で、会社勤めをしているごく普通の女性らしい。

 ここまで来たが、これからどうするか。勢いで飛び出してきたが、よく考えれば在宅中かどうかも分からない。

 美緒が迷っていると、その恋人が住んでいる部屋のドアが開いた。美緒はびくりとして、慌てて物陰に隠れる。


「あれが……?」


 髪を一つに纏めたぽっちゃり体型の女性、あれが恋人なのか? 手に持っているのはいわゆるエコバッグだろうが、買い物にでも行くのだろうか。

 美緒は女性の後をこっそりとつけた。

「うう、ストーカーみたい」

 少々の罪悪感と共に辿り着いたのはやはり近所のスーパーで、そこで女性は数点の買い物をして、道を戻り始めた。

 空はオレンジ色に染まりつつある。アパートに戻れば今日はもう外出することも無いか。そう思いつつ後をつけていると、女性が躓いて体勢を崩した。


「あ!」


 美緒が思わず声を出す。すると――女性が声に気付いて振り向いた。

 二人の視線が合う。


「…………」

「…………」


 やばい。美緒は引きつりながら、女性に背を向ける。近付きすぎていた。

 内心は汗をだらだら流しながら、そのまま何事も無かったように歩き出そうとした美緒。だが、そこで女性が美緒に声を掛けた。


「あなた、猛の偽装結婚相手?」


 美緒の動きが止まる。女性は美緒に駆け寄ると、正面に回り込んだ。

「そうよね?」

 美緒が引きつる。

「なんのことでしょう?」

「隠さなくていいわよ」

「…………」

 完璧にばれている。美緒はがくりと項垂れた。

「うう、ごめんなさい。ちょっとした出来心だったんです」

 怒るだろうか、とビクビクしたが、女性はふっと息を吐いて美緒に微笑んだ。

「うち、そこなの。来る?」

「いや、それはその……はい」

「じゃあ行きましょう」

 女性が歩き、美緒がその後に続く。女性からは怒っている気配はせず、むしろ穏やかな雰囲気がした。

 アパートの階段を上がり、女性は美緒を部屋に招きいれる。

「ごめんね、散らかってるけど」

「いえ、綺麗です」

 勧められるまま小さなちゃぶ台の前に座り、買ってきたものを冷蔵庫に片付けてお茶を淹れ始めた女性を見上げた。

「あの、どうして私のこと知ってるんですか?」

 女性が微笑む。

「その前に、私は木島千代子きじまちよこ

「あ、大上美緒です」

 資料と同じ名前。やはり女性は猛の恋人のようだ。

 千代子が美緒の前にお茶を置く。

「それで、どうして私があなたを知っているか、だったわね。それは猛があなたの写真を持ってきたからよ」

 千代子の言葉に、美緒は軽く目を見開いた。

「持ってきた?」

「『この人と偽装結婚するから、何も心配はいらない』だって。笑っちゃう」

「…………」

 困ったように眉を寄せて鼻を鳴らす姿に気付く。どうやら千代子は猛の偽装結婚に同意していなかったようだ。

 千代子がお茶を一口飲んで、美緒を見つめる。

「あなた、猛と結婚するの?」

「いや、それは……」

「あなたも、人間と付き合ってるんですって?」

 そこまで猛は千代子に教えていたのか、と美緒が渋い顔をする。

「はあ、まあ……でも……」

「その彼は、偽装結婚に賛成なの?」

「……いや、まだ偽装結婚するって決まってはないので」

 千代子が軽く目を見開いた。

「え? そうだったの? 猛の口ぶりでは、もう決定している感じだったけど」

 千代子の言葉に、美緒が驚いて慌てて首を横に振る。

「とんでもない! 今日初めて会って話を聞いたばかりなのに!」

「……今日?」

「はい、そうなのです……」

 美緒は俯き、目の前に置かれた湯飲みを両手で包み込んだ。

「それで、どう思ったの? 偽装結婚のこと」

「いや、正直まだ何も考えられないというか、戸惑ってるというか……」

 ふーんと頷く千代子に、美緒が顔を上げて訊く。

「千代子さんは……やっぱり反対ですよね」

「反対、というか」

 千代子はふぅっと息を吐き、上目遣いをする美緒に向かって驚きの発言をした。


「私達、もう別れているの」


 美緒がポカンと口を開ける。

「え?」

「正確には、私が一方的に別れを切り出したんだけど。だから悪いけど、偽装結婚なんて成立しないから。ああ、お茶請けがほしいわね」

 千代子は壁際に置いてあった棚から煎餅の袋を取り出して、一枚を銜えて残りをちゃぶ台の上に置いた。

 バリバリと煎餅を食べる千代子を、美緒はまじまじと見つめる。

「――何で?」

 訊かれた千代子が肩をすくめた。

「正直疲れたの。散々待って、出した答えがこれじゃあね。あのヒトは頭はいいんだけど分かっちゃいないのよ」

「……分かっちゃいない?」

「そう、私が何を望んでいたか、全然分かってなかった。まあそれは、私にも問題があったんだけど。だからスッパリ切りたいの」

 千代子の言動はさっぱりとしている。まるで遠い過去のことを話しているようだ。

 だがしかし――、美緒は眉を寄せた。


「……でも、まだ好き?」


 千代子の眉がピクリと動く。

「…………」

「…………」

 数秒見つめあい、千代子は息を吐いた。

「嫌な子ね」

 美緒が俯く。

「うう、ごめんなさい」

 千代子は左手で頬杖を付き、右手でもう一枚煎餅を手に取った。

「長く付き合ったから、多少未練はあるわよ。でもね、もう修復は出来ないと思う。終わってるの、私達」

 笑いながら千代子が煎餅を口に入れた。バリバリと、先程よりも大きな音が響く。その姿があまりにも悲しくて――。


「う、うう……」


 ぽろぽろと涙を零す美緒に、千代子が渋い表情をした。

「なんであなたが泣くの?」

「だって、だって……好きなのに、まだ好きなのに……」

「仕方が無いでしょう? これ以上一緒に居ても、互いの為にならないの」

「まだ何とかなるかもしれないよ」

「ならないの」

 きっぱりと千代子は言う。

 美緒は涙が止まらなかった。決断をした千代子の姿が――蓮と重なる。


「ほら」


 差し出されたティッシュで、美緒は溢れる涙と鼻水を拭いた。



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