第9話
「・・・う・・・うぅ・・・」
美緒はベッドから這い出すと、床に座り込んで窓を見た。
「・・・眩しいー。朝だ・・・」
昨日はショックな出来事から逃げ帰り、そのままベッドに潜り込んで眠ってしまった。
夕飯も食べず、風呂にも入っていない。
「・・・シャワー浴びたい」
蓮に舐められた顔が、カピカピになって気持ち悪い。
美緒は着替えを用意しようと、四つん這いでクローゼットの前まで行って、ハッと気付いた。
「あぁあああああーっっっ!!!」
鞄が無い。昨日、昇降口に置いてきてしまった。
「ど、どうしよう・・・」
もしかしたら蓮に持って行かれたかもしれない。
美緒が涙目になった時、派手な音がしてドアが開いた。
「うるせー!朝っぱらからなんだ!!」
優牙は全裸で四つん這いの美緒を見ると、額に青筋を立てて、部屋に入ってきた。
「何やってんだよ!姉ちゃん!」
美緒の背中を踏みつける。
「そんな格好で誘ってんのかコラ!?俺が『禁断の愛』に目覚めたらどうすんだよボケ!!」
グリグリグリグリ!
「うぅ・・・痛い」
グリグリグリグリ!
「で?何があったんだ?」
グリグリグリグリ!
「鞄、学校に置いてきちゃった・・・」
「・・・・・・・・」
グリグリグリグリグリグリグリグリ!!
「痛い痛い痛い痛い!」
「そんなことくらいで叫ぶんじゃねえ!」
「だって、制服も無いし・・・」
「ジャージでも着て行けばいいだろ!?」
優牙は足をどかすと、怒りながら部屋から出て行った。
「うぅ・・・」
美緒は溢れる涙を指で拭って、クローゼットから下着とジャージを出す。
一階に降りてシャワーを浴び、ジャージに着替えた。
「お腹空いた・・・」
リビングに行くと、昨日の夕飯の残りのハンバーグがテーブルに置いてあった。
両親はもう仕事に行ったようだ。
電子レンジで温めて、朝からしっかりと食べると、いつもより少し早かったが学校に向かった。
登校中、いつも何らかのトラブルが起こるのだが、不思議なことに、今朝は何もなく、無事学校に着く。
「うぅ・・・逆に怖い。なんかドカンと悪い事起こりそう・・・」
トラブルが無い分、いつもよりかなり早く学校に着いた。まだほとんどの生徒が登校していないようだ。
下駄箱を開けると、昨日置いて帰った靴が入っていた。その上に今脱いだ靴を重ねて押し込む。
靴下のまま歩き、昨日鞄を置いた場所を見た。
「・・・無い」
がっくりと落ち込んで、涙を浮かべる美緒の肩を、誰かが掴んだ。
「―――――ひっ!」
驚いて振り返る美緒の目の前にいたのは、蓮であった。
「さ、佐倉君!」
蓮の顔を見た途端、昨日されたことを思い出し、美緒の身体がカッと熱くなる。
蓮は気味が悪い程ニコニコと笑って、美緒に手に持っている物を見せた。
「おはよう。大上さん。これ、君のだよね」
蓮が持っているのは美緒の鞄だった。
「あぁあああっ!」
美緒が手を伸ばすと、蓮はそれを高く掲げた。
美緒はピョンピョンとジャンプして取ろうとするが、届かない。
「ねえ、大上さん。あの子とはどういう関係?」
美緒の動きがピタリと止まる。
「・・・何のことでしょう?」
「教えてくれたら、鞄返してあげるよ」
美緒は目を見開いて蓮を見ると、数歩下がった。
「・・・あなた誰?私の知ってる佐倉君は、そんな意地悪じゃない」
蓮は爽やかな笑顔で、とんでもない発言をした。
「僕はあの子の為なら、悪魔にだって魂を売るよ」
美緒は唖然として蓮を見上げた。
「・・・何すかそれ?意味が分かりましぇん・・・」
「運命なんだ」
「・・・は?」
美緒が首を傾げる。
「運命だったんだ。あの子と僕が出会ったのは」
「・・・え?」
「愛し合う運命なんだ」
「・・・・・・・・」
美緒の背筋に寒気が走った。
(やばい・・・。佐倉君は相当頭がイッちゃってる)
気付いてしまった事実に美緒は愕然とした。
「知ってるんでしょ?」
「わ、私は何も知りましぇん」
「本当は知ってるんでしょ?あの子はこの鞄を持ってたんだよ」
「し、知りましぇん。そんな犬、知りましぇん」
蓮はニヤリと笑って、美緒と額が触れ合う程、顔を近付けた。
「僕は『犬』だなんて一言も言ってないよ」
「―――――!!」
蓮は美緒の肩を掴んだ。
美緒は逃れようと後ろにさがる。
気が付けば、美緒は蓮に壁に押し付けられるような格好になっていた。
「ねえ、あの子は・・・」
「な、な、な、何?」
「大上さんの飼い犬だよね?」
「・・・は?」
美緒はポカンと口を開けて、蓮を見た。
(あ・・・そうか!)
普通は狼人間なんているとは思わない。
(なんだ、そうじゃない。飼い犬ってことにしちゃえばいいんだ!)
美緒が肯定しようとした時、蓮がうっとりした表情で遠くを見つめた。
「僕は今までいろんな子を好きになったけど、こんな運命を感じたのは初めてなんだ。いつも片想いで、誰にも言えない秘密の恋をして・・・」
「そりゃ、言えないでしょうね・・・」
「でも、こんな僕をあの子は受け入れてくれた」
「いや、受け入れてはいないのでは・・・?」
「僕の手を取ってくれたんだ。彼女の目は語っていた」
「・・・何と?」
「『私もあなたを愛しています』と!」
「言ってましぇん!」
「もう自分を偽るのはやめるよ。例え種族が違っても、まわりに理解されなくても、自分の気持ちに正直に生きるんだ!」
美緒はもう泣きそうだった。そして悟った。
(全力で逃げなければ・・・!)
飼い犬なんて言えば、きっと会わせろとしつこく言ってくる。
もしまた狼の姿で会えば、今度こそ貞操の危機だ。
「・・・で?大上さんちの犬なんだよね?」
「いや、知りましぇん!」
「何で嘘吐くんだい?」
「本当に知らないんだよう」
「じゃあ何で彼女は君の鞄を持っていたをだい?」
「き、昨日・・・えっと、あの犬に盗られて・・・」
「彼女はそんなことする子じゃない!」
「本当だってばー!」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
蓮は鞄を美緒に差し出した。
「・・・え?返してくれるの?」
美緒は鞄を受け取って、ホッと息を吐いた。
「分かったよ」
「分かってくれましたか!」
「君がその気なら、僕も全力で彼女を奪ってみせる!」
「・・・はい?」
「さあ、教室に行こう!今日から彼女をこの手に抱くまで、君を徹底的にマークさせてもらうよ!」
「・・・え?何でそうなりますか?」
呆然とする美緒の手を引いて、蓮は教室へと向かった。