第78話
「翼狼」
美緒が呟く。机に向かって勉強していた優牙が眉を寄せた。
「はぁ? 何だそれ。つーか、自分の部屋に戻れよ姉ちゃん」
「翼の生えた狼」
「だから何だそれは」
優牙が溜息を吐いて、ペンを美緒に向かって投げる。美緒はペンが当たった額を押さえ、優牙を見つめた。
「ヨシヨシジュニアとの子供が生まれたら、翼狼が生まれるかもしれないって……」
優牙が眉を寄せる。
「はあ? ヨシヨシジュニアって、あの人間鳥のことか?」
「うん。交際を申し込まれた」
「は? 交際?」
美緒がうんうんと頷き、優牙はこめかみに指を当てた。
「で、翼狼か」
「うん。絶対かっこいいよね」
「うまくいけば、な。でも下手すりゃ顔だけが鳥の子供が誕生するかもしれないぞ」
美緒が目を見開き、「う!」と詰まる。
「それは……」
優牙は溜息を吐いた。
「見た目じゃねーだろ、大事なのは。馬鹿なこと吹き込まれてんじゃねーよ。変態はどうした」
「…………」
「乗り換えるのか?」
美緒が首を振る。
「そんなことしないよ。蓮君は彼氏だもん」
「ふーん」
じっと美緒を見つめる優牙。
「……何、優牙。その目は」
たじろぐ美緒に、優牙は鼻を鳴らした。
「別に。変態か鳥か、究極の選択だな。狼が一番マシじゃねーの?」
「そんな……」
「見合いして結婚するのが姉ちゃんにとって、一番幸せかもな」
「うぅ……」
優牙は立ち上がり、涙目になった美緒の首根っこを掴む。
「ほら、勉強の邪魔だ。出てけ」
廊下にポイと放り出されて、鍵まで掛けられる。
「あう、酷い。たった二人の姉弟なのに、この仕打ち」
美緒は文句を言いつつ、仕方なく自分の部屋に戻った。
「はぁー。どうしよう」
ベッドに寝転び、頭を抱える。
蓮と別れる気などない。だけど、このままでいいのかという思いもある。待つつもりはあるが、それがいつまでか分からないのが怖い。
「あう、駄目だな……」
ベッドの上をゴロゴロと転がり、そのまま床に落ちる。
「イタタタ……ん?」
美緒が首を傾げる。窓の方から小さな音が聞こえた。時刻はもう十二時を回っている。こんな時間に何の音なのか。
コンコン。
「うぎゃ!」
今度ははっきりと、窓を叩くような音が聞こえた。美緒はがばっと身体を起こした。
「ゆ、幽霊!? 駄目でしゅ! 幽霊の入室はお断りしております!」
カラカラカラ。
「うぎゃあ! 今度は何の音でしゅか!」
美緒が叫んだ時――。
「美緒ちゃん、窓の鍵を開けっ放しにしてたら危ないよ」
聞こえた声に、目を見開く。
「え? ジュニア?」
吉樹はにっこり笑って部屋の中に入ってきた。
「ごめんね、遅い時間に。美緒ちゃんの顔が見たくなっちゃって」
「う、いや、まあ……」
突然の訪問と、幽霊ではなかったことにホッとしているのとで、美緒は上手く返事が出来ない。
「まだ寝てなくて良かった」
吉樹がそんな美緒の頭を撫でた。
「…………」
美緒は吉樹の顔をボーっと見つめる。そしてハッとある事実に気付いた。
「あの、お父さんに見つかるとヤバイので、帰っていただけます?」
変身はしていないので、それほど匂いや声に敏感に反応はしないとは思うが、
もし何かの拍子に見つかったら大変な騒ぎになる。
吉樹は素直に頷いた。
「急にごめんね。帰るよ」
「うん」
窓から出て、吉樹は翼を羽ばたかせる。
「美緒ちゃん、俺本気だから。じゃあね」
「う、うん」
手を振られ、振り返す。
「返事は急がないから」
吉樹は飛んで行った。
「…………」
美緒は窓を閉め、鍵を掛ける。そしてベッドにダイブした。
「うう、どうしよう……」
はっきりと断ることだって出来た筈なのに。
美緒は頭を抱えて唸った。