第75話
三好のマンションからの帰り道――。
蓮が自転車に乗って走り、その少し後ろを狼姿の美緒と優牙が並んで走る。
「う……。飲食後の激しい運動はちょっと辛い」
「食べすぎだ」
「だって鳥の作った鳥料理が美味しくて……」
「いいから喋らず走れ」
優牙がスピードを上げ、美緒も慌てて足を速めた。そして優牙にまた話しかける。
「蓮君が乗ってるあの自転車って、私のだよね。屋根裏に片付けてあったやつ」
「ああ」
「何で蓮君が使ってるの?」
「お前を探すために貸したんだよ。いいから黙って走れ。あんまりうるさいと喉笛咬み切るぞ」
「おおぅ、それは怖い」
それから美緒は黙々と走り、やがて自宅に着いた。
「う……、疲れた」
迷子になって、美緒は随分遠くまで行っていたようだ。
庭でへたり込む美緒の横に、蓮が自転車を置く。
「じゃあね、美緒」
あっさりと別れの挨拶をして踵を返す蓮に、美緒が驚いて立ち上がり、声を掛けた。
「蓮君、寄っていかないの?」
チラリと蓮は振り向いて片手を挙げる。
「もう遅いから。お休み」
「お、お休み……」
去っていく蓮。遠ざかる足音。
「…………」
美緒は再びへたり込んだ。
「うぅ、微妙な雰囲気」
優牙が鼻を鳴らす。
「やっぱ人間とじゃ難しいんじゃねーか? 別れて狼男と付き合えば?」
「それは……」
「…………」
「…………」
美緒が俯き、優牙は溜息を吐いた。
「とりあえず家に入るぞ」
「うん……」
二人揃って玄関へと行き、優牙が器用にドアを開け、美緒が先に家の中に入る。そして優牙も家の中へと入ろうとした、が。
「ん?」
眉を寄せて、優牙は振り向いた。近付いてくる車の音。それだけではなく――。
「おいおい、マジか?」
優牙の呟きに、美緒が振り向いた。
「どうしたの?」
優牙が無言で外に向かって顎をしゃくる。首を傾げて美緒が外に目を向けると、ちょうど家の前に車が止まった。
「え? まさか……」
美緒も気付く。車のドアが開いた。
「美緒ー!」
美緒が目を見開き、優牙が舌打ちする。近所迷惑な大声を上げながら降りてきた、茶色い短髪の逞しい体つきの男。それは――。
「お父さん!? うわ、久し振り! あ、お母さんも。うわー、大上家が揃った! 何年振りだろ?」
美緒と優牙の父親である拓真と母親の冴江であった。
拓真が突進するように美緒に抱きつき、冴江は美緒と優牙の姿を見て首を傾げる。
「あんたたち、こんなところで何してるの? しかも二人とも変身して」
冴江の質問に、優牙は曖昧に答えた。
「いや、まあな。それより、帰ってくるなら何故事前に連絡しない?」
「急に休みが取れたのよ。優牙ご飯何?」
優牙が溜息を吐く。
「いきなりそれかよ。煮魚ならあるぞ」
「肉が食べたい」
「……買って来いと?」
当然というように頷く冴江に優牙はまた舌打ちをして、拓真と拓真に押し潰されている美緒を避けて家の中に入った。
「ほら、美緒とお父さんも入るよ」
拓真の襟首を掴んで美緒を救出し、冴江も家の中に入る。
「うぅ……、危うく圧死するところだった。ところでお父さん、お土産は?」
美緒に訊かれた拓真が笑う。
「もちろんあるぞ。とりあえず家の中に入るか」
「うん」
美緒と拓真がリビングに行くと、すでに優牙は人間の姿に戻って冴江にお茶を出していた。
「で? お父さん、お土産は?」
「今回のは凄いぞ」
「え! なになに?」
期待に目を輝かせる美緒に、拓真は旅行用バックから大きな封筒を取り出し、「ほーら、美緒、見てみろ」と言いながら封筒の中身を見せる。途端に美緒が、そして少し離れた場所から様子を見ていた優牙が固まる。
「……はい?」
美緒は目の前に差し出されたものをまじまじと見つめた。
「ほら、いい狼だろ?」
左側に狼、右側に二十代前半の男の姿が写っている写真。立派な台紙に貼られたこれはもしかして……。
「会ってみないか?」
つまり、やはり、そうなのかと思いながら美緒が呟く。
「お見合い?」
「いや、とりあえず顔合わせだ」
「……顔合わせって何?」
拓真が首を傾げた。
「嫌なのか? ほら、釣書を見てみろ。優秀な青年だろう? 顔もなかなかいいしな」
「…………」
美緒の視線が彷徨う。まさかこんなに早く見合いを勧められるなど思ってもいなかった。どうしようかと考えながら口を開く。
「いやぁ、学生だし……」
「だから、ただの顔合わせだ。今回は」
「『今回は』って何でしゅか?」
助けを求めて周りを見ると、冴江と目が合った。
「お、お母様……」
よろよろと手を伸ばす美緒。ところが冴江は、片眉を上げて、のんびりとお茶を一口啜る。
「そうだねぇ。狼人間は狼人間同士結婚するのが幸せかもしれないねぇ」
美緒が目を見開いた。
「そんな……!」
冴江は蓮の存在を知っている筈なのに、どうしてそんな事を言うのか。そして――。
「うぅ……。図ったようなこのタイミング……何故?」
蓮との仲が微妙な雰囲気な時に、あまりにもタイミングが良すぎる。もしや拓真も蓮の存在を知っているのだろうか。いや、それならばもっと大騒ぎになっていてもおかしくない。ただの偶然なのだろうか?
「どうだ? 会うよな」
「…………」
美緒は冴江から視線を優牙に移し、『助けて!』と念じた。しかし優牙は視線を逸らす。
「俺、買い物行ってくる」
歩き出す優牙に美緒は慌てた。
「あう! テレパシー通じず!? 優牙、私も一緒に――」
「いいよ、姉ちゃんは。一人で行く」
「駄目! 待って、置いていかないで」
叫びながら優牙を追いかけようとする美緒の尻尾を拓真が掴む。
「美緒、話が終わってないぞ。会ってみるだろう?」
「あう! いや、その……、無理」
「どうしてだ?」
「えっと……」
正直には言えない。リビングから出て行こうとする薄情な弟を見つめ、美緒は『そうだ!』と閃いた。
「私は優牙を愛しているのー! 両親の居ない間に兄妹を超えた愛に目覚め、あんなことやこんなことも――」
「馬鹿か、お前は! もっとマシな嘘吐きやがれ!」
優牙の跳び蹴りが炸裂し、美緒が悲鳴と共に吹っ飛んだ。