第73話
「うわー、街があんなに小さく見えるー」
まるで台詞を棒読みするように抑揚なく言って、美緒は後ろで自分を掴んでいる人物を振り向いた。
「えーと、ヨシヨシせんせー。何で……ってゆーかどうやって飛んでるんでしゅか? 視界にチラチラと見えるバッサバッサしているものはいったい……。それに何処へ向かってるんですかねぇ」
美緒の疑問には答えずに三好はクスリと笑い、スピードを上げる。
「うぎゃあ! ジェットコースター!? 絶叫系は苦手でしゅー!」
悲鳴を上げて目を瞑る美緒。すると突然、三好が止まり、抱えていた美緒をそっと下に下ろした。
「ほら、着いた」
「へ?」
美緒が目を開ける。
「んん?」
周りを見回すと、どうやら何処かのマンションのベランダらしいというのが分かった。しかもどうして、こんなところに自分を連れてきたのか。
疑問に思いながら三好を見上げる。
「せんせー。何で先生の背中には翼があるんでしゅか?」
三好が背中の黒い翼を軽く羽ばたかせ、片眉を上げた。
「それはね、大空を飛ぶためだよ」
「へー。そうでしゅかー……って納得できません!」
三好は笑いながら、二人の前にある大きな窓を開ける。すると――。
「え!? ヨシヨシ先生!」
目の前に三好が居た。
美緒が目を見開き、目の前と横に居る二人の三好を見比べる。
「こっちはヨシヨシせんせー、こっちもヨシヨシせんせー……。うぎゃあ! ドッペルゲンガー!? 嫌ー! まだ死にたくない!」
地面に伏せて前足の間に顔を埋める美緒に、目の前の三好がやれやれと溜息を吐いた。
「何を馬鹿なことを言っているんだ。吉樹、何でも拾ってくるな」
吉樹と呼ばれた美緒の横に居る三好が肩を竦める。
「だって、この子が父さんが言ってた美緒ちゃんだろ? 狼の姿のまま、路上で叫びまくってたんだよ」
二人の会話に、美緒が「え!?」と顔を上げた。
「父さん!? ドッペルゲンガーじゃなくて!?」
「なんだ、そのドッペルゲンガーというのは。そいつは息子の吉樹だ。そっくりで驚くだろう?」
美緒は隣に立つ三好――吉樹を再び見上げる。
「うん、凄いそっくり。よく見ると先生より若いけど。でももっと驚きポイントが……。お宅の息子さん、翼がありますが?」
三好が腰に手を当てて首を傾げた。
「翼があっちゃいけないのか?」
「え? いけないわけではないでしゅが……。そういえばここ何処?」
「俺の家だ。取り敢えず中に入れ」
三好に促され、美緒は部屋の中へと入った。中は広めのリビングで、大きなテレビとソファーが置いてあり、奥はキッチンになっているようだ。
「あ、唐揚げの匂いがする!」
美緒が鼻をクンクンとさせたその時――、奥のキッチンから声がした。
「ご飯の用意が出来たわよ。美緒ちゃんも食べていきなさい」
落ち着いた女性の声。美緒が三好を見上げる。
「誰?」
「嫁さんだよ」
「おおう、先生の奥様、それはそれは。大上美緒と申します。先生にはお世話になっています」
頭と、ついでに尻尾も下げると、キッチンからヒョコリと顔が出てきた。
「へ?」
美緒が一瞬固まり、そして絶叫する。
「鳥ー!!」
三好に体当たりするように勢いよく飛びついて、美緒はキッチンから出てきたモノを前足で指した。
「先生! 人間大の鳥が二足歩行で唐揚げ持ってるー!」
三好が眉を寄せて美緒の身体を引き離す。
「失礼な事を言うな。俺の嫁さんだ」
「え、嫁?」
美緒はキョトンとし、改めて視線を『嫁』といわれるモノに向けた。
嘴があり、黒い羽毛に覆われた、あきらかに鳥の顔。人間のように二足歩行で服を着ているが、背中には黒い翼がある。
「……鳥でしゅよ。身体はギリギリ人間と言い張れても、首から上はまるっきり鳥――うぎゃ!」
三好が美緒の頭に拳を落とす。
「だから失礼だ、大上。俺の嫁さんは天狗なんだよ」
目から涙を一粒零しながら、美緒は首を傾げた。
「天狗……? 天狗って、赤い顔で鼻が長くて――」
「それは鼻高天狗だろう? こいつはカラス天狗だ」
「カラス……?」
益々首を傾げる美緒の様子に、三好が溜息を吐く。
「天狗の種類くらい覚えておけ。常識だぞ」
「え? これって常識なんでしゅか?」
驚く美緒に、三好の妻であるカラス天狗はクスクスと笑いながら、唐揚げが山盛りに載った皿をテーブルに置いた。
「あなた、そんなに怒らないの。天狗を初めて見たのなら、驚いて当然でしょう? ほら美緒ちゃん、沢山食べてね」
勧められた美緒が、唐揚げと三好の妻を交互に見る。
「……共食い?」
三好が無言で美緒に拳を落とし、美緒は床に倒れた。
「うぅ……、暴力教師」
「いいからここにお座りしろ」
「はいぃ……」
促されて行儀よくお座りすると、三好の妻がお手拭で美緒の足を拭き、お皿に唐揚げを一つ載せて、美緒の前に置いてくれた。
「美緒ちゃんどうぞ」
「はあ、いただきます」
皿に入った唐揚げをパクリと口へ。途端に美緒は、尻尾を左右に振った。
「揚げたて熱々ウマウマ!」
「……もう少しまともな日本語は話せないのか?」
三好は顔を顰めたが、その妻と息子の吉樹は美緒を微笑んで見つめ、唐揚げを口に入れた。
「う、共食い……ふぎゃあ!」
「しつこい!」
三好が美緒の耳を引っ張る。
「面白いわね、美緒ちゃんって」
「本当に。父さんに聞いていた通りだ」
そう言って頷く三好の妻と吉樹に、美緒が首を横に振った。
「いえいえ、こちらの家族の方が余程面白いと思いますよ。ね、ヨシヨシ先生」
「人の家庭を面白がるな。――ところで、大上は何故こんな時間に狼の姿で彷徨っていたんだ?」
美緒は「うーん……」と唸り、前足で唐揚げを器用に取る。
「……もういいや。鳥人間の衝撃で吹っ飛んだ」
「そうか。悩みがあったら言うんだぞ。それと――カラス天狗だと何度言ったら分かる?」
軽く頭を叩かれて、美緒の口から唐揚げが落ちて床に転がる。
「うお! 唐揚げ待てー!」
慌てて追いかける美緒の姿に笑が起こった。
「美緒ちゃん、たくさんあるからね。はい、どうぞ」
三好の妻が美緒の皿に唐揚げを三個載せる。
「ありがとうございま――ん?」
不意に言葉が途切れ、耳をピクピクと動かし始めた美緒に、三好が訊く。
「どうした?」
「んー……。優牙の声が聞こえたような。気のせいかな?」
「大上弟の?」
三好が首を傾げたちょうどその時、外から「アオーン」と遠吠えが聞こえた。
「あれ? やっぱり優牙?」
窓の外に美緒が視線を向ける。三好が立ち上がってベランダへと行き、そして美緒を手招きした。
「大上、お迎えだぞ」
「え?」
美緒が急いでベランダに行って下を見ると、そこには狼姿の優牙と自転車に乗った蓮の姿があった。