第72話
蓮のマンションから飛び出し、走って走って走って……ふと美緒は気付いた。
「あれ? ここどこ?」
周囲を見回すと、見たことのない景色。
「えーと……」
感情にまかせ、やみくもに走りすぎた。
「あう。どうしようかなぁ」
携帯電話は蓮の家に置いてきた。それどころか服も荷物もすべて――と考え、先刻の蓮とのやり取りを思い出し、涙ぐむ。
「う、いやいや、今はそれより家に帰ることが先決――おおう! そっか、匂いだ!」
よく考えたら、今は狼に変身中だったのだ。これなら匂いを辿っていけば、自宅に帰れるではないか。
美緒は気合いで涙を止め、鼻を上に向けて、空気中の匂いを嗅ぐ。
「くんくん。うーん……。うなぎ、トンカツ、から揚げ、ギョーザ……うぎゃあ! 恐るべし、晩御飯の時間帯!」
食べ物の匂いが気になって集中できない。お腹がグーと鳴る。
「と、取り敢えず歩こうかな」
仕方なく美緒は、知っている場所に出るかもしれないと、トボトボ歩き始めた。
落ち着いて周りをもう一度見回すが、何度見ても知らない場所だ。住宅街のようだが、近所ではないことは確かだろう。
「……蓮君、心配してるかな?」
無意識に呟いて、慌てて首を振り、少し足を速める。そして――。
「うーん、商店街か」
美緒は商店街に辿り着いた。しかし残念ながら、この場所にも見覚えは無い。
余程遠くまで走ってきてしまったのだろうか?
途方に暮れていると、高校生くらいの男の子三人組が、美緒に気付いた。
「うお、何だ? 野良犬か?」
三人組が近付いてくる。
(誰が野良犬でしゅか!)
声は出せないので、美緒は心の中で抗議した。
「腹減ってるのか? ほら」
男の子の一人が、食べかけのコロッケを美緒に向かって投げる。
(う、食えと?)
コロッケは美味しそうな匂いがするが……。
(これを食べたら大切な何かを失う気がする)
「何だ? 食べないのか?」
「具合でも悪いんじゃないか?」
コロッケを食べない美緒の様子に疑問を感じた男の子達が騒ぎ出し、それを聞きつけて人が集まり始める。
(あ、やばい!)
美緒は踵を返して急いで逃げた。
狼の姿で無ければ道を尋ねることも出来たのに、と愚痴を言いながら走り、誰も追いかけてこないことを確認して足を止める。
大きく息を吐き、美緒は周りを見回した。
「あう、ここも知らない場所だ」
しかも辺りは街頭も民家もあまり無く、寂れた雰囲気がする。
「…………」
どうしてこんなことに……。辛うじて残っていた美緒の理性がプツリと切れた。
「うぎゃあ! どこだここは! 家、家! 家に帰りたいのでしゅよー!」
まるで遠吠えをするように、口を空に向ける。
人間に見られたら危険な状況であるという意識は、すっかり吹き飛んでしまっていた。
「だいたいこんなことになったのも、蓮君が、蓮君が、蓮くぅ――あれ!?」
美緒の叫びがピタリと止まる。
突然の浮遊感。地面から身体が離れていく――。
「え? え? 浮いてる? ってゆーか……飛んでる?」
誰かが後ろから美緒の身体に腕を回して、がっしりと掴んでいる。そして聞こえるバサバサという音。
「…………」
景色が流れていく。これはやはり、飛んでいる。どう考えても飛んでいる。羽音のようなものも聞こえるし、巨大な鳥にでも掴まったのだろうか?
しかし、回されている腕は人間のものに間違いない。ならばどうやって飛んでいるのか。
「…………」
何が起こっているのか確認するのは怖い。だが、確認しないのはもっと怖い。
美緒は意を決し、拘束されている身体を無理矢理捻って後ろを振り向き――驚愕した。
「ヨシヨシ先生!?」
三好は美緒に、ニッコリと笑った。