番外編 「姉ちゃんのバイト」
優牙視点です。
「馬鹿か! 変態が!」
思い切り怒鳴って通話を切る。
あいつは筋金入りの変態だ。あんなのに姉ちゃんをまかせて本当にいいのか?
今更ながら後悔が押し寄せてきて、俺は溜息を吐く。と、そこに――。
「変態―! 優牙、蓮君と話してるの!? 貸して!」
……変態って言葉に反応して部屋にきやがった。つーか『変態』=『彼氏』ってのが当たり前になってんのがすげーな。
「もう切っちまったよ」
「ええー! もう一回電話かけて!」
「嫌だ。家の電話からかけろ」
姉ちゃんは眉を寄せ、唇を尖らせた。
「じゃあ蓮君のケイタイの番号教えて」
「…………」
おいおい、マジか? 知らないのか? 彼女なのに。
信じられない関係だな。いくら姉ちゃんが携帯電話持ってなくても、番号ぐらい教えるだろう。姉ちゃんもなんであいつに訊かないんだ?
俺の絶句をどう捕らえたのか、姉ちゃんが溜息を吐く。
「うう、ケチめ! あーあ、ケイタイ欲しいな。春休みの間バイトして買おうかな。でも短期間でケイタイ買うだけのお金って稼げるのかな? うーん、短期で割のいい……、パンツを売るとか?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ!」
ふざけんな! 冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだぞ!
姉ちゃんに蹴りを食らわせ、ついでに頭を踏みつけて俺は考える。
携帯電話を親父に強請るのではなく、自分で買おうという意思は尊重してやろう。だが、姉ちゃんにバイトなんてできるのか? どうするか……。
「そうだ、あいつが確か――」
姉ちゃんをチラリと見て、俺は携帯電話に登録してあった、ある番号に電話をかけた。
数回のコールの後に出た相手に俺は言う。
「よう。ああ、手伝いが欲しいって言ってたよな? ちょうどいいのがいるから貸してやる。頑丈な身体と鉄の胃袋を持つお姉さんだぞ」
電話の向こうから歓喜の声が聞こえ、足元から呻き声があがった。
◇◇◇◇
朝、眠いとごねる姉ちゃんを叩き起こして、ある店に連れて行く。
「え? ここ、『街の妖精』じゃない」
姉ちゃんが驚く。
『街の妖精』は、近所では評判のパンと洋菓子の店だ。そして、ここの店主は看板の通り――。
「優牙兄ちゃん! いらっしゃい!」
店の裏口を開けると、二メートルを優に超える大男が嬉しそうに笑う。
肩まで伸びた、クリクリの天然パーマの銀髪。筋骨隆々の、見た目はまるで格闘家のこの男が、店主の『銀』だ。
「このお姉ちゃんがお手伝いしてくれるの?」
銀が首を傾げる。
「そうだ。俺の姉ちゃんだ。ところで陸の怪我はどうだ?」
「うーん、あと一週間くらい寝てなきゃ駄目だって。お姉ちゃん、陸ちゃんのお怪我が治るまでお手伝いしてね。お願いします」
ぺこっと頭を下げる銀を姉ちゃんが指差した。
「……野太い声で幼児口調。優牙、これは何プレイ――うぎゃ!」
姉ちゃんの頭を叩く。
「こいつはそんなんじゃねーよ。本当にまだ子供なだけだ」
そう、銀は成長しすぎの妖精なのだ。本来妖精は、大人でも二十センチ程度にしか成長しないのに、こいつだけ異常に大きい。
本人曰く、千年に一度願いを叶える木に『早く大きくなりたい』と願ったら急成長したらしいが、それが本当に原因かどうかは分からない。
「この店唯一の人間が事故って怪我しちまったんだ。いつもレジやってる女の子、見たことあるだろ? そいつの怪我が治るまでの間、代わりをしてやってくれ」
姉ちゃんを銀にポイと渡す。
「あのね、僕がお店に出ると、お客さんが逃げちゃうんだ。他のみんなも出れないし……」
「みんな?」
「うん。みんな、集まって!」
銀が呼ぶと、奥から銀の仲間達が透明な羽をパタパタさせて飛んできた。ちなみに銀の背中にも羽があるが、体が成長しすぎて飛ぶことは不可能らしい。
姉ちゃんが目を丸くする。
「妖精!? 初めて見た!」
「お姉ちゃん、僕も妖精だよ」
「え!?」
銀は笑って、興味津々の妖精達に姉ちゃんを紹介した。
「みんな、このお姉さんが陸ちゃんが元気になるまでの間、お手伝いしてくれるって」
ワッと妖精に囲まれる姉ちゃんから、俺は離れる。
「まあ、頑張れ」
俺はそう言い残して、その場から立ち去った。
◇◇◇◇
「うげえ……。お腹が苦しい……」
夜、店に行くと、姉ちゃんは残ったケーキを食いすぎて動けなくなっていた。
「すごいね、お姉さん。僕もたくさん食べるけど、お姉さんはもっと食べるね」
銀は姉ちゃんの食いっぷりと味覚を褒めちぎり、今日の分のバイト代をくれた。
「ほれ、帰るぞ」
「優牙、歩けない。おんぶ」
「甘えるな」
ごねる姉ちゃんの腕を掴んで引き摺って家に帰る。
そして「もう一歩も動けない」と床に倒れた姉ちゃんをソファーに転がした。
「ほら、バイト代」
だらしなく寝転ぶ姉ちゃんに、俺は金の入った封筒を渡した。
「うわーい!」
姉ちゃんが喜んで中身を確認する。
「どうだった? 初のバイトは」
「ん、大変だったけど、美味しかった」
「……どんな感想だよ」
まあでも、頑張ってたな。
実はちょっとだけ気になり少し離れた場所から見てたんだが、不器用ながら一生懸命やっていた。心配していた大きな失敗も無く、驚いたことにつまみ食いをしている様子もなかった。
姉ちゃんもそれだけ成長してるってこと……か?
「あー、早くケイタイ欲しいな。そうだ! これを元手に宝くじ――あう!」
馬鹿が! 苦労して手に入れた金を無駄にする気か。前言撤回、やっぱりまだまだ馬鹿だ。
溜息を吐きながら、俺はキッチンへと行く。そして、置いてあった紙袋を持ってきて、姉ちゃんに渡した。
「あ! これってもしかして!」
「ケイタイだ。金は立て替えただけだからな、ちゃんと返せよ」
「うおう! 優牙好き!」
抱きついてくる姉ちゃんを思い切り投げ飛ばし、俺は手を払う。
床に叩きつけられた姉ちゃんは少しだけ呻き、すぐ復活して立ち上がった。……まるで不死身みたいだな。
「愛と俺と野郎と、それから父さん母さんの番号とメルアドはもう登録してある」
「うん! 電話する!」
姉ちゃんはソファーに座りなおし、さっそく電話をかける。勿論相手は――。
「あ、蓮君?」
……嬉しそうな声出しやがって。
「風呂、先に入るからなー」
呟くように言って、俺はリビングから出て行った。