第2話
「・・・ハァ」
美緒は息を吐くと、その場に伏せて顎を床につけた。
「疲れたぁ・・・」
学校から自宅まで徒歩十五分の距離を全力疾走したのだ。
「でも、間に合って良かったな・・・」
目を閉じて、そのまま少し眠ろうかな・・・っと思った時、ドンッドンッと強いノックの音が聞こえた。
「はーい、何?」
返事をしてドアの方を見ると、怒り心頭といった感じの弟、優牙が立っていた。
「・・・姉ちゃん」
「へ?何?」
優牙は美緒に近付くとしゃがみ、両手で美緒の頬を掴んで思いきり引っ張った。
「い、いひゃい、いひゃい」
「痛くしてるんだから、痛いのは当たり前だ。何度言ったら分かるんだ?声がでかすぎなんだよ。変身の度にいやらしい声を出すな。ご近所の多感なお年頃の少年達を刺激するな」
優牙は最後に両手で頬を叩くと、立ち上がって腰に手を当てた。
「うぅ、だって・・・」
美緒は上目遣いに優牙を見る。三角の耳が後ろに倒れ、垂れ下がった尻尾が媚を売るように左右に揺れている。
「それに、もういい加減、変身をコントロール出来るようになれよ。十七にもなっていつ変身するか分からないなんて、それでも純血か?」
そう、この姉弟、大上美緒十七歳と優牙・十六歳は、『狼人間』なのだ。
絶滅の危機に瀕している狼人間の純血なのである。
「漫画みたいに、『月見て変身』だったら楽なのにねー」
狼人間というと、満月の夜変身するというイメージが強いが、実際は違うのだ。
生まれる時は狼の姿をしているが、1週間もすると人型に変身するようになる。
狼になったり人になったりを繰り返し、自分で変身をコントロール出来るようになるのだ。月などまったく関係無い。
見た目もまた、よくあるイメージの『大きな体躯に銀色の毛』とは違い、美緒達は中型犬並の大きさに薄い茶色の毛である。
はっきり言って見た目は『犬』である。
「何、のんきなこと言ってやがるんだ?お・ね・え・さ・ま」
優牙は右足で美緒の頭を踏むと、グリグリと床に押し付けた。
「人間の前で変身したらどーすんだコラ」
「大上さんは狼さんだったー!なんてね」
グリグリグリグリ
「痛い痛い痛い・・・」
「ほんとに、今まで無事でいたことの方が不思議だよ」
グリグリグリグリ
「痛いよー。やめて。大丈夫だよ変身する前に、なんか『来る』なーってのは分かるんだから」
優牙はため息を吐いて、美緒の頭から足を退かした。
「姉ちゃん、いつか、とんでもない酷い目に遭うぞ。気を付けろ」
美緒は首を傾げる。
「ん?なにそれ?」
「俺の野性の勘が、そう言ってんだよ。素直に忠告聞いとけ。―――それと」
優牙は床に落ちていたブラジャーを手に取ると、美緒の耳に被せた。
「こういったもんは直ぐに片付けろ」
優牙はそう言うと、部屋から静かに出て行った。
「んー、もう、うるさいなあ。優牙の『小言ジジィ』・・・」
美緒は欠伸をすると、頭にブラジャーを乗せたままゆっくり伏せをして、目を閉じた。
後に優牙の忠告を真面目に聞かなかった事を、後悔することになるとは、この時美緒は、思ってもいなかった 。