第103話
「誰が襲われたんだい?」
訊いてくる蓮に、通話を終えた携帯電話をポケットにねじ込みながら優牙が答える。
「人外の生徒、複数同時だ。家を出た直後を狙われたらしい」
ということは、人外売買組織は生徒達の自宅を把握していたというのか。どこから情報が漏れたのだろうか。優牙が舌打ちをする。
「ほとんどは無事救出したが、一部の生徒が行方不明になり、まだ見つかっていないそうだ」
「誰が?」
「ハルちゃん、馬田、紫藤、風間――」
蓮が立ち上がる。
「臭いを辿れるかい?」
「ああ」
変身しようとする優牙に、冴江がお茶を一口飲んでから訊いた。
「手伝おうか?」
「ああ、頼む」
言いながら、優牙が狼の姿になる。
冴江が立ち上がってリビングから出て行き、そしてすぐに狼の姿になって戻ってきた。
蓮が美緒の肩に手を置く。
「美緒、行くよ」
生徒が襲われたという現実に呆然としていた美緒が、ハッとして立ち上がった。
「私も変身――」
「姉ちゃんは、そこの変態と俺の自転車に乗って追いかけてこい」
人間の手も必要だ、と言いながら優牙が部屋から出て行く。その後を冴江、そして蓮に手を引かれた美緒が続いた。
外に出ると、庭の隅に置かれていた優牙の自転車を、蓮が引っ張ってくる。蓮の後ろに美緒が乗って二人乗りの状態になると、優牙と冴江が走り出した。
二匹の狼は、すぐに生徒達の臭いを見つけた。
「……あっちか」
そうして辿り着いたのは、海辺の倉庫街だった。
「船で連れていくつもりだね」
冴江が慣れた様子で走って行き、錆びついた鉄のドアの前で止まって振り向く。すぐに追いついた優牙が、匂いで中の様子を探った。
「ここだな。中に人間は……、居ない?」
優牙は首を傾げた。当然居ると思われた、人外売買組織の連中の臭いがしない。危険を察知して逃げ出したのか。だが、そんなに簡単に『商品』を捨てるものなのか。
優牙が蓮に視線を送る。蓮が頷いて、ドアをゆっくりと開けた。
淀んだ空気の臭いに一瞬顔を顰める。暗い倉庫の中に僅かに差し込んだ光は、中央の塊を照らした。
「みんな!」
攫われた生徒達が、ロープに縛られた状態でこちらを見ている。駆け寄ろうとする美緒より先に冴江が生徒達に近づき、『来ていいよ』と言うように振り向いた。
「良かった、みんな無事?」
美緒と蓮が生徒達の猿ぐつわとロープを解いていく。
「先生!」
「先生!」
泣く生徒達を、美緒は一人一人強く抱きしめた。
「もう大丈夫だからね」
蓮が倉庫の中を見回し、顎に手を当てる。
「これは……」
その言葉の続きを、冴江がずばりと言った。
「やられたね」
優牙も苦い表情で頷く。
「え?」
三人が何を言っているのか分からず、美緒が首を傾げる。
蓮は携帯電話を取り出した。
「佐倉です。攫われた生徒達を無事保護しました。はい、そうです、それで……やはりそうですか。はい、このまま学園に向かいます」
通話を終えた蓮が、小さく息を吐いた。
「……ねえ、どうしたの?」
いったい何があったというのか。不安げな美緒に、蓮は告げた。
「麒麟と龍が行方不明になったそうだ」
「ええ!?」
「どうやら僕達は、敵の作戦にまんまと引っ掛かったようだね」
敵の真の目的は麒麟と龍だった、と蓮は髪をかき上げる。
美緒は驚き、首を横に振った。
「そんな、で、でも、あの子たちには強力な神通力があるはずでしょう? それなのに簡単に人間に捕まるわけがないじゃない」
「どうやったかは分からないが、――立てるかい?」
蓮が差し出した手を、ハルが握った。
「は、はい」
「学園に行こう」
優牙と冴江も鼻先で押して生徒達を立たせる。生徒達に怪我はないようだ。
そうして生徒達を支えながら倉庫から出ると、冴江が不意に立ち止まって前足を上げた。
「タクシー!」
いきなり何を言っているのか、と思った皆の前に、陰から勢いよく出てきた車が停車する。
美緒が驚いた声を出した。
「護送車じゃないでしゅか」
「うん、呼んどいた」
軽く言って、冴江が車に乗り込む。いつの間に連絡をしたのだろうか、と首を傾げながら、美緒達も車に乗り込んだ。
「馬田君、大丈夫?」
ハルが床に座った馬田の背を撫でる。美緒が眉を寄せた。
「馬田君、どこか痛いの?」
馬田が首を横に振る。
「俺は大丈夫。だけどあいつらが……」
あいつら、というのは龍と麒麟のことだろう。
「心配しないで。すぐに見つけられるから。ね、優牙、お母さん」
美緒が笑顔を向けると、優牙が苦い顔をした。冴江が後ろ足で耳の辺りを掻きながら美緒を見上げた。
「任せなさい、と言いたいけどね」
「え?」
「臭いを辿るのは、難しいかもしれないよ。それくらいの対策は、あちらもしているみたいだし」
生徒達を倉庫まで連れてきた人間がいるはずだが、その臭いが分からない、と冴江は言う。
「そんな……」
冴江と優牙が二人がかりでやっても無理だというのか。ここにいる生徒達でも、売ればそれなりの値がするはずだ。それを囮に使ってまで、人外売買組織は龍と麒麟を捕獲した。これほど大胆な行動に出るだけの価値が麒麟と龍にあり、また組織も本気なのだろう。
美緒が唇を噛み、蓮が生徒達に訊く。
「君たちは、どうやって捕獲されたんだい?」
生徒達が顔を見合わせる。
「どうやってって……」
「いきなり抑え込まれて、目隠しされて猿ぐつわされて縛られて……」
「だから、よく分からない」
蓮が頷く。相手の顔も全く見てはいないようだ。
「随分手慣れたものだね」
馬田が項垂れて呟いた。
「俺、あいつらのこと好きじゃないけど、だけどこんなの望んでない。だって、いっしょの学園に通う仲間じゃないか」
美緒が馬田の頭を撫でた。
「うん」
「だから、仲間が悪い奴らに捕獲されて、売られたり実験に使うために切り刻まれたり……、そんなの絶対に嫌だ」
「うん」
それきり馬田は口をつぐんだ。護送車が走る音だけが車内に響く。と、その時、
「ああ、そう言えばねえ……」
冴江が、ふと思い出したように言った。
「お父さんも、組織に捕獲されたんだよね」
皆の視線が冴江に集中する。
「…………え?」
「やっぱ、痒いわ。ねえ、ノミがいないか見てくれない?」
冴江が、また後ろ足で耳の辺りを掻いた。