第101話
バタバタと走る音が聞こえ、異変を感じた美緒は研究室から廊下に出た。と、そこにちょうど二口女のハルが現れる。
何があったかなんとなく察しはついていたが、美緒は訊いた。
「ハルちゃん、どうしたの?」
「先生、喧嘩です!」
やはりそうか、と美緒が溜息を吐く。
「また? 麒麟と龍でしょ?」
「今日はそれに、馬田君も加わってるんです!」
「え? 馬田君? ケンタウロスの?」
ハルの案内に従って、喧嘩をしているという場所まで美緒は行く。そして思わず呟いた。
「うわ……、これはヤバい」
龍と麒麟とケンタウロスが教室の前で、蹴ったり突いたり殴ったりの大喧嘩をしていた。神通力を使う龍と麒麟に対し、馬田は必死にパンチを繰り出して戦っている。だが馬田が不利なのはあきらかだ。このままでは危険だろう。
「やめなさい、馬田君!」
とりあえず一番言うことを聞いてくれそうな馬田を注意する。すると馬田は手は止めずに振り返り、美緒に必死の形相で訴えた。
「だって先生、こいつが俺を馬鹿にしたんだ!」
馬田が麒麟を前足で蹴る。
「馬鹿にされた?」
「俺のより、自分のモノの方が立派だって!」
「…………」
美緒は肩を落として溜息を吐いた。
「何の話をしているのでしゅか、青少年よ。いいから教室に戻りなさい」
美緒が教室を指さしたのと、麒麟が突進してきたのは同時だった。
「うるさいブス!」
「な、なんですって――ぎゃあ! 刺さった!」
麒麟のツノの先が、ほんの少し美緒の腕に刺さる。美緒が悲鳴を上げ、その悲鳴を聞いた生徒達が美緒を助けようと立ち上がる。
「先生に何するんだよ!」
「ああ、駄目! 風間君、廊下でカマイタチは厳禁……!」
かまいたちの風間が突風を起こす。美緒は慌ててそれを止めた。
かなりまずい状況だと美緒は唇を噛む。龍と麒麟が転校して来てから、生徒達の気持ちが不安定になっている。このままでは生徒同士が争い傷つけあってしまう。
とにかくこの場をどうにかして収めなければならない。と、その時、
「何をやっているんだい?」
「みんな、爪と牙をしまいなさい」
背後から声がした。振り向いた美緒が思わず涙目になる。
「うぅ……ヨシヨシ先生と佐倉センセ……、愛ちゃん先生も……ついでに優牙」
「なんで俺は『ついで』なんだよ」
異変に気づいた三好と蓮、愛と優牙がやってきた。
三好が美緒を見て眉を寄せる。
「大上が血塗れになっているじゃないか」
蓮が首を傾げて訊いた。
「こんなことしていいと思っているのかい?」
しかし龍と麒麟は言うことを聞くどころか、更に憤り始めた。
「うるせぇ! 人間ごときが神獣様のやることに口を出すな!」
「あー、やめたやめた、退学してやるよ!」
優牙と愛が溜息を吐く。
「言っても分からねえか」
「困った子達ね。愛の鞭が必要かしら?」
龍と麒麟が身構え、校舎が細かく震える。三好が大きめの指し棒を構え、愛が鞭で床を叩く。蓮と優牙は口元に笑みを浮かべた。
「うおぉぉぉ! やったれ先生達!」
龍と麒麟の態度に不満を抱いていた生徒達が歓声をあげる。
美緒が慌てた。
「ヒィイ! みんなやめて、校内暴力反対! やりすぎはらめぇ! ヨシヨシ先生、金棒での制裁は禁止です!」
「大きめの指し棒だ」
三好が言い放ち、指し棒を振り上げた時、
「待ちなさい」
穏やかな男性の声が聞こえた。殺気立った空気の中でそれは異常な雰囲気を帯びていて、それゆえに争いを始めようとしていた者達の動きを止めた。
「え? だ、誰?」
驚いて声の主をさがすと、
「相変わらずだねえ。元気なのもいいが、それだけじゃ伝えられないものもあるんじゃないのかな、三好先生?」
優しい瞳をした白髪頭の男が生徒達の間から現れる。
「さ、授業が始まるから、教室に入りなさい」
その男は、ゆっくりと龍と麒麟に近づきながら言う。
「ああ?」
「お前は誰だ?」
喧嘩腰の龍と麒麟に、男は微笑む。
「おお、立派な宝玉を持っているな。これは素晴らしい。そっちの麒麟のツノもなんと美しい。それに――ケンタウロスも股になかなかのものを下げている」
美緒が首を傾げる。
「え? そこも褒めるの?」
言いながら、場の空気が変わったことを感じた。
「そうだ、後で皆の自慢を先生に教えておくれ」
にこにこと笑う男は、自らを『先生』と言う。しかし美緒はこの『先生』に見覚えが無かった。
男が軽く肩を叩くと、戸惑いつつ生徒達が教室の中に入って行く。そして廊下には美緒達教師だけとなった。
美緒が男に訊く。
「で、誰ですか? 新しい先生?」
美緒の疑問には答えずに、男は三好に視線を向ける。
「久し振りですね、三好先生」
三好が驚いた表情で呟くように言った。
「木村先生……」
と同時に、優牙が美緒を押しのけて木村と呼ばれた男の前に立つ。
「木村先生!」
優牙の顔にはほっとしたような笑顔が浮かんでいた。
木村が優しく微笑み、優牙の頭を撫でる。
「おお、大上優牙君ではないですか。まさか君が先生になるとは、驚きましたよ」
「やめろよ。もう子供じゃないんだぜ」
文句を言いつつも、優牙は木村の手を振り払おうとしない。それどころかむしろ嬉しそうだ。
美緒がそんな優牙の服の裾を引っ張った。
「……誰だっけ?」
訊かれた優牙が、振り向いて眉を寄せる。
「俺の担任だった木村先生だよ。覚えてないのかよ」
「んん?」
優牙の担任……、と口の中で言いながら美緒は額に手を当てて考えた。そしてふと思い出す。
「あ……、過労で倒れて辞めた、木村先生?」
美緒に指をさされた木村が小さく首を横に振る。
「正確には、休職していたのですよ」
指をさすな、と美緒の頭を大きめの指し棒で小突きながら、三好が木村に訊いた。
「復職されたのですか?」
「ええ。長く休んで、迷惑を掛けてしまいましたね。本当はひと月ほど休んで復職するつもりだったのですが」
小突かれて涙目の美緒が、痛む頭を両手で押さえながら木村を見つめた。
「ひと月って……え? 数年休職されてますけど?」
美緒の記憶の中の木村は黒髪だ。だが目の前の木村は白髪頭で皺も増え、美緒の記憶よりもかなり歳をとっている。
「静養先でちょっといろいろあったもので、ね」
木村が美緒の前に立ち、たんこぶが出来てしまった頭を撫でる。ひんやりと冷たい手が気持ちいい。
「さて、授業開始の時間ですよ」
木村が背を向けて歩き出す。
その背中を見送った美緒は、頭の痛みが引いていることに気づいて首を傾げた。