表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/130

第97話

 悩みは尽きないが、自分のことだけを考えているわけにもいかない。

 仕事がある。任されている以上、責任がある。何よりも、頼って来てくれる可愛い生徒達を放っておくことはできない。

 美緒が、進路希望調査と書かれた書類を一枚一枚めくりながら小さく唸る。すべての希望を叶えてあげたいが、それは難しい。人外ならばなおさらだ。

 額に人差し指を当ててもう一度唸る。とその時、元気のいいノックの音が聞こえ、美緒は顔を上げた。

「失礼しまーす。先生、話って何ですか?」

 研究室に入ってきた髪の長い少女に美緒は笑顔を見せた。

「座って、ハルちゃん」

 ハル、と呼ばれた少女が勧められた椅子に座る。

 美緒は、机の隅に一枚だけ別にしておいた進路希望調査の紙を手に取った。

「進路のことなんだけど」

 美緒がそう言っただけで呼び出された理由が分かったのか、ハルが暗い表情で「ああ……」と苦悩と溜息が交じった声を出した。

「就職希望ってなってるけど、どうして?」

 美緒に見つめられ、ハルが視線を逸らす。

「どうしてって……」

「大学に進学したいんじゃなかったの?」

「それは……」

 前回の調査では進学希望だったハルが急に希望を変えた、その理由を美緒は知りたかった。

 ハルが俯いて沈黙する。美緒はハルが話してくれるまで待った。

 やがて、ハルが指をもぞもぞと動かして顔を上げる。

「でも、働かないと家計が苦しくて……。だってほら、私、二口女だから」

 ハルの長い髪がまるで黒い蛇のように蠢き、後頭部のもう一つの口を晒した。

「うん」

 美緒が頷くことで話しの続きを促す。

「最近更に食欲が増して、食べても食べても満足できなくて、お腹が空いて……」

「うん」

 お腹を押さえるハル。

 元々食欲旺盛でいつも早弁をしていたハルだが、最近その回数が異常に多くなっていたことに美緒も気づいていた。

 今も空腹と闘っているハルに、冷蔵庫からジュースとおにぎりを取り出し渡す。

「ありがとう先生」

 ハルは手ではなく髪を器用に動かしてジュースとおにぎりを受け取った。ハルにとっては手足よりも髪の方が自由に動かせて便利らしい。

「だから就職希望なのね」

「はい」

「分かった」

 あの……、と言いながら美緒を見つめるハルの瞳が不安げに揺れる。

「見つかりますか、就職先」

 人外の就職は難しい。人外に理解を示し且つ秘密を守れる企業、という条件があるからだ。

 しかし美緒は口角を上げて余裕の表情を見せた。

「大丈夫。この学園のコネと圧力を舐めちゃ駄目だよ」

 ハルがほっと息を吐く。

「良かった」

「でも、本当にいいの?」

「……え?」

 ハルの表情に迷いがあることを美緒は見逃さなかった。

 ハルは優秀な生徒だ。早弁こそするが、そのぶん勉強も運動も頑張っている。進学してもっと勉強をしたいという気持ちも強いはずだ。

 後頭部の口が何か言いたげに動く。それを振り切るかのように、ハルは髪の毛でおにぎりの包装を乱暴に破って正面の口に放り込み、後頭部の口でジュースを飲んだ。そして、ふと気づいて呟く。

「あ……、変わった」

 何のことか、と眉を寄せる美緒にハルは小さく笑う。

「私、味の変化に敏感なんです。ちょっとでも味が変わっていたら、すぐに分かるんです。このジュース、果汁の配合に変更があったみたいです」

「へえ……そうなの?」

 冷蔵庫から同じジュースを取り出して美緒も飲んでみる、が、以前と何処が変わったのか美緒には全く分からなかった。

 あっという間におにぎりとジュースを飲み干してハルが立ち上がる。その顔が、先程より少しだけすっきりとして見えた。いや、そう見えるように努力しているのだろう。

「先生、就職でお願いします。私、頑張って働きます」

 自分の食費ぐらい自分で稼がないと、とハルは笑う。

「……うん、分かった」

 美緒が頷くと、ハルは頭を下げて部屋から出て行った。

 閉じられたドアを少しだけ見つめ、美緒は机の上の書類に視線を移す。それぞれに事情はあり、思う通りにならないこともある。

 ペンを手にして書類に何かを書き込むと、美緒は書類の束を引き出しに片付けた。

 仕事はこれだけではない。姿勢を正してパソコンに向かう。と、その時少々乱暴なノックの音が聞こえた。

「はい?」

 誰だろう、と視線を向けると、ドアを開けて男子生徒が顔を覗かせた。つぶらな瞳が美緒を見つめる。

「馬田君、どうしたの?」

「先生、今大丈夫?」

 返事の代わりに、先程までハルが座っていた椅子を手で示す。

 ドアを大きく開けて、馬田がパカパカと入ってきた。

「ここに来るなんて珍しいじゃない。相談でもあるの?」

 後ろ脚を滑らすようにして器用に椅子に座るのを確認してから美緒が訊く。

「うん。あのさあ……」

 肩まで伸びた長い髪を、馬田は右手でかきあげた。

「……好きな子ができたんだ」

 頬がみるみるピンク色に染まっていく。照れを隠すように、馬田は蹄で床を叩いた。

「好きな子? へえー」

 高校生なら、そういう悩みもあるか。実際自分が蓮と付き合い始めたのも高校の頃だった。

 アブナイ変態に目をつけられ逃げ回っていたあの頃を懐かしく思い出していると、馬田が思いがけない一言を口にした。

「その子、人間なんだ」

 思い出の世界から一気に現実に引き戻された美緒が馬田を見つめる。

「…………」

 人間、と言ったのか。

「俺、告白しようと思ってんだけど、でも……」

 馬田が俯く。美緒はそっと息を吐き、馬田の顔を覗き込んだ。

「――俺、ちょっと太ってるから断られるんじゃないかって心配で……」


「問題そこじゃない!」


 思わず、美緒は叫んだ。

 美緒は額に手を当てて小さく首を振った。人間との接触をしないようにしている十組の生徒が、いったい何処で人間と出会ったと言うのか。

 美緒はできるだけ傷つけないようにと考えつつ、一番の問題点を指摘した。

「馬田君は下半身が、ね」

「そこそこ自信はあるよ」

「いやいやいや……」

 そうじゃなくて、と美緒は馬田の下半身をチラリと見た。四本脚に茶色い毛並、真っ直ぐ長い尾――。

「え? 何が駄目?」

「駄目じゃないけど……」

 馬田君はケンタウロスだから、という言葉を美緒は飲み込んだ。

「大きすぎるとか?」

「まさに馬並み――じゃなくて!」

 美緒はコホンと咳払いをして姿勢を正した。

「種族が違えば考え方も変わるから、慎重に行動した方がいいと先生思うな」

「ええー? 男は当たって砕けろだろ? 俺、今すぐ告白しようと思っているんだけど」

「慎重に行動した方がいいと思うな!」

 美緒に強く言われ、馬田が渋々頷く。

「……はい」

「ちなみに、相手はこの学校の生徒?」

「うん。一年三組の子で――」

 馬田が告げた名を、美緒はしっかりと記憶した。

「ありがとうございました」

「馬田君、行動する前に必ず相談してね」

「はーい」

 ドアが閉められ足音が遠ざかると、美緒は背もたれに身体を預けて大きな溜息を吐いた。

「あうぅ……」

 行動力があるのはいいが、馬田のようにあきらかに人外の者がそうそう簡単に人間の前に出るわけにもいかない。確実に大騒ぎになってしまうだろう。

 馬田も一応それが分かっているから相談に来たのだろうが……。

「はうぅ……」

 もう一度大きな溜息を吐いた時、


「お疲れだね」


 突然後ろから声が聞こえ、美緒は飛び上がった。

「うわ! いつの間に何処から侵入した!?」

 驚愕する美緒に、学園の制服を着た美少年が嫣然として微笑む。

 呼吸を整え、久し振りにあった人物に美緒は挨拶をした。

「理事長先生、お久し振りです」

「うん、久し振り。血、吸っていい?」

「いきなりそれ!?」

 少年――この学校の理事長は、赤い唇を舐めて美緒の首筋を見つめた。

「吸いたいな」

「駄目です」

「ちょっとだけ」

「嫌でしゅ」

「貧血でふらつく君を見てみたいな」

「セクハラで訴えますよ」

 理事長は大袈裟に溜息を吐き、首を横に振った。

「ケチだね、大上先生は。――授業終了後、緊急職員会議をやるから職員室集合」

「へ?」

 重要な要件をさらりと伝え、理事長は窓から外へと跳んだ。

「きんきゅうしょくいんかいぎ?」

 窓から外に向かって訊く美緒。しかし既に、理事長の姿はそこにはなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ