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第95話

 旅行鞄を両手で抱きしめて、美緒は目の前の家を見上げた。

「ここが蓮君のお家……?」

 蓮が頷く。

「そうだよ」

 美緒たちは、仕事の休みを利用して、蓮の実家へとやって来た。

「うう、緊張する」

 初めて会う蓮の両親に、気に入ってもらえるだろうか? 手に力を込める美緒。そんな美緒に、蓮は笑った。

「大丈夫だよ。ちゃんと彼女を連れて帰るって言ってあるから」

 蓮が呼び鈴を押し、応答を待たずに門の中へと入っていく。

「ああ、待って、心の準備が……!」

 慌てて追いかける美緒。と、その時玄関扉が開き、女性が現れた。この女性が蓮の母親なのか、確かに蓮と似ている。と、美緒がゴクリと唾を呑む。

「ただいま」

「お帰りなさ――」

 蓮の母親の視線が、蓮からその後ろに居る美緒に移る。と同時に、蓮の母親はその場に崩れ落ちた。

「母さん……!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 地面にへたり込んだ母親の腕を掴む蓮と、駆け寄る美緒。引っ張られて立ち上がりながら、蓮の母親は虚ろな視線で美緒を見つめたまま呟いた。


「犬じゃない……」


 その言葉に、美緒が動きを止める。

「……え?」

 蓮の母親はハッとして、首を横に細かく振った。

「い、いえ、何でもないのよ。ごめんなさい、上がってちょうだい」

 漸く自分の足で立ち上がり、蓮の母親は家の中へと二人を招き入れる。

「えっと、お邪魔……します?」

 家の中に入ると、蓮の母親は落ち着かない様子で身体を揺らし、廊下を先に歩いて行く。その背中を見つめ、美緒は首を傾げた。

「お母さん、どうしたの?」

 先程、『犬』という言葉が聞こえたような気がするが……。

 蓮が苦笑して、美緒の頭を撫でる。

「美緒が可愛いから、感動しているんだよ」

「可愛いから……?」

 なんとなく素直に喜べなくて唸る美緒の頭をもう一度撫で、蓮は美緒を連れてリビングへと入った。

「おう、美しいリビングでしゅね」

 美緒が部屋の中を見回す。綺麗なソファーセットとテーブル。壁には絵画が飾ってある。

「美緒、座って」

 蓮に引っ張られ、美緒がソファーに腰を下ろす。蓮と美緒が隣同士に座り、蓮の母親がキッチンから三人分のお茶を持ってきて、二人の前に座った。

「母さん、この子が大上美緒さんだよ。前に写真を見せたことがあったよね。美緒、僕の母さんだよ」

 美緒がぺこりと頭を下げた。

「大上美緒です。はじめまして」

 蓮の母親も、ぎこちなく頭を下げる。

「は、はじめまして、美緒さん」


「…………」

「…………」


 妙な沈黙が広がり、美緒が固まる。どうすべきか、とチラリと横を見ると、蓮が美緒に向かって小さく笑い、それから母親に訊いた。

「父さんは?」

 蓮の母親が、ハッとする。

「あ、ええ、急に仕事で……、ちょっと待ってちょうだい、すぐに連絡するから……!」

「ああ、別にいいよ、母さん」

 その言葉が聞こえなかったのか、蓮の母親は小走りでリビングから出て行った。

 美緒は、ポカンと口を開けてそれを見送り、それから蓮に視線を移す。

「行っちゃった……」

「うん」

「お母さん、大丈夫?」

「大丈夫だと思うよ」

 本当に大丈夫なのか。戸惑う美緒の耳に、聞こえる声。どうやら蓮の母親は、廊下で電話をしているようだ。


「お父さん、早く帰ってきてちょうだい。蓮が人間の彼女を連れてきたの。人間よ。ニ・ン・ゲ・ン! 当たり前だけど当たり前じゃ……、とにかく早く帰ってきてください!」


「…………」

 ニンゲン……。

 美緒の顔が引きつる。蓮が「まいったな」と呟いて肩を竦めた。

「母さんは、僕の癖を知っているから。でも、以前ちゃんと美緒のことをおしえていたのになぁ。信じてもらえてなかったか。まあ、それも仕方がないけど」

 両親を安心させるための嘘だとでも思われていたのだろうか。だが、母親を責めることはできない。あまりにも心配を掛け過ぎた、ということだろう。

「そう……なんだ……。うーん、何だか罪悪感」

 眉を寄せる美緒に、蓮が首を傾げる。

「どうしてだい?」

「だって、純粋な人間じゃないじゃない」

 これだけ『人間』と喜ばれると、なんだか申し訳ない。

「僕は美緒が好きで、母さんは喜んでるんだから、いいんだよ」

「うー、そうかな?」

「そうだよ」

 美緒が俯いて唸った時、蓮の母親が戻ってきた。

「ごめんなさいね。お父さんもすぐ帰ってくるから」

 蓮が柔らかく微笑み、首を緩く振る。

「無理しなくても良かったのに」

 すると、蓮の母親は目を見開いて蓮を叱った。

「何を言っているの! こんなに可愛い彼女を連れてきたのに!」

 美緒が否定するように手を振る。

「いやいやそんな、可愛いだなんて、お母様」

 狼女だし、と心の中でそっと付け足す。

 蓮の母親はソファーに座り、身を乗り出した。

「美緒さん、二人のことを聞かせてちょうだい」

「え? えっと……」

 二人のこと……。どのように話そうか。

 美緒は蓮を一度見て、それから視線を戻して少し考えてから話し始める。

「蓮君とは高校時代に……、あることが切っ掛けで親しくなって、それからずっと一緒です」

「まあ、そうなの?」

「今は職場も一緒で……」

「ずっと一緒なのね!」

「ええ、まあ……」

 と、そこで蓮が話に割って入ってきた。

「そう。これからも、ね」

 え? と視線を上げた母親に、蓮は笑う。

「そろそろかなと思ってね」

 そろそろ、という言葉だけで、蓮の母親は何故蓮が美緒を連れてきたのかを理解した。

「ま、まあまあまあ!」

 蓮の母親の目から涙が溢れる。美緒が慌ててハンカチを取り出した。

「お母様、泣かないでください」

 ハンカチを受け取り、蓮の母親は涙を拭う。

「ど、どうしましょう。こんな素敵な子が蓮と……! ねえ蓮、式はいつ?」

「まだ決めていないよ」

「駄目よ! 今すぐ決めてちょうだい!」

「急がなくてもいいよ」

「逃げられたらどうするの!?」

「大丈夫」

 地の果てまでも追いかけて連れ戻すから、という言葉は笑顔の中に隠し、蓮は話題を変えた。

「それより、少しお腹が空いたな。ね、美緒」

 同意を求められた美緒が、一瞬キョトンとしてから頷く。

「へ? う、うん」

 本当は、それほど空腹ではなかったが、蓮に合わせる。それを見た蓮の母親が、頬に手を当てて困った表情をした。

「あらいやだ、どうしましょう。ごめんなさい、ちょっと買い物に行ってくるわ。美緒さんは何が好き?」

「肉とケーキ」

 美緒が反射的に答える。

「分かったわ」

「母さん、一緒に行こうか」

 蓮の提案に、美緒が頷く。

「あ、そうだね。一緒に行きましょう、お母様。じゃあこれを片付けて……」

 美緒はサッと立ち上がってトレイを手に持ち、そこにお茶の入ったカップを乗せると、キッチンへと向かった。

「あら、いいのよ、美緒さんはそんなことしなくて」

「大丈夫です。これくらいはできるようになった……ん?」

 キッチンまで行った美緒が立ち止まり、足元に置かれているものを見つめる。

「ああ、それは……!」

 蓮の母親が慌てる。

「『お犬様専用・超高級ドックフード』……ぎゃあ!?」

 美緒を押しのけ、蓮の母はドックフードが入った袋にタックルをした。弾みで吹っ飛んだカップを、蓮が慣れた様子で器用に受け止める。

「ち、違うのよ。これはちょっと、間違えて買ってしまって……!」

 ドックフードの袋を抱え、蓮の母が二階へと走り去る。階段を駆け上がる足音を聞きながら、美緒は複雑な思いで呟いた。

「お母様、相当覚悟を決めてたんだね」

「もっと早く、美緒を連れてきた方が良かったかな?」

「様子、見に行った方がいいんじゃない?」

「いや、そっとしておこう」

 暫く待っていると、二階から、何事もなかったかのように蓮の母親が戻ってきた。

「じゃあ、買い物に行こうか」

 三人で買い物に行き、その後、仕事から急いで帰ってきた蓮の父親も加わり、和やかに過ごす。

 そして翌日――。

「また来てね」

「はい」

 美緒が頷く。

「蓮、日取りが決まったら連絡してね。美緒さんのご両親にご挨拶に行くから」

 蓮の両親に手を振り、美緒と蓮は岐路に就く。

「なんか、いっぱい買ってもらっちゃったけど良かったのかな?」

「いいよ。母さんが好きで買ったんだから」

 美緒が欲しいと言ったものも、美緒が欲しいと言わなかったものも、蓮の母親は美緒に買い与えた。あまりの量に持ちきれず、荷物は美緒の家に宅配便で既に送ってある。

「優しいご両親だったね」

「そうだね」

 どうしてこの両親のもとに生まれて変態に……、という疑問は飲み込み、美緒は蓮の腕に自分の腕を絡ませた。



◇◇◇◇



「ただいまー!」

 自宅に帰った美緒が、キッチンで料理中の優牙に上機嫌で旅の報告をする。

「聞いて! 私、蓮君の両親に凄く気に入られ――」

「俺の話も聞け。我らが両親が、来週帰還だ」

「――え?」

 美緒が固まり、優牙が玉ねぎを切る規則正しい音だけが、部屋に響いた。



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