第93話
「さよなら、先生!」
「捕獲されないように帰るんだよ」
「はーい!」
手を振る生徒達に笑顔で手を振り返し、美緒は安堵の息を吐いた。
「今宵も無事に終わりました」
両手を上に伸ばし、それから肩をぐるぐると回しながら踵を返した美緒の目の前に、影が立つ。
「あ、佐倉先生。そっちの仕事も終わった?」
蓮が微笑んで頷いた。
「ああ」
「じゃあ帰ろっか。お腹すいたなー。何かちょっと食べたいからコンビニに寄って行こうかな。コンビニってホントに便利だよね。肉料理もケーキもあって」
食べたいものを頭の中に思い浮かべながら歩き出す美緒。が、その腕を蓮に掴まれて足を止める。
「ん?」
怪訝そうに見上げる美緒に、蓮が片眉を上げる。
「飲みにいかないかい?」
「飲みに……って今から?」
「そう、今から。明日は休みだろう?」
「うん、まあ、いいけど」
なぜ急に、と首を傾げつつ研究室に一度荷物を取りに行き、美緒は蓮に連れられて学園を後にした。そして――、
「ん? んん?」
着いた場所で、美緒はまたも首を傾げ、怪訝そうに蓮を見上げる。
「ここ?」
蓮が頷いた。
「ここ」
「ホテルではないでしゅか」
「たまには、こういうところで飲もうか」
「高級な酒を飲ませて、酔っぱらったら、解放するふりをして部屋に連れ込む気なんでしゅね。いやらしい!」
クスクスと笑い、二人はエレベーターに乗り込んで、最上階に辿り着く。
「こんな時間なのに、結構人が居るんだね」
「そうだね。何にする?」
それから二人は暫く、他愛も無い会話と共に酒を楽しんだ。
「――それでね、ポロって、授業中に突然だよ? ポロって尻尾が取れたの。びっくりしちゃって、慌ててガムテープを用意したんだけど、そうじゃなくて、生え変わりの時期だったんだって。尻尾が生え変わるなんて、びっくりしちゃった。同じように尻尾が生えてても、種族によっていろいろ違うんだなって……どうしたの?」
目を細めて自分を見つめる蓮に、美緒が訊く。
「なにが?」
「『なにが』って……。話を聞いてるのかなー、と」
「…………」
蓮は持っていたグラスを置き、美緒の手にそっと触れた。指先の冷たさに、美緒が一瞬ピクリと動く。
「蓮君?」
「美緒――」
蓮の手が、少しだけ強く美緒の手を握る。
「――僕達も、社会人になってから、もうすぐ三年になるね」
「え? う、うん」
美緒たちは大学を卒業し、母校である悠真学園の教師となっていた。人間と、そして人外の生徒とどう向き合うのか、時々悩んだり発狂したり、だがそれ以上のやりがいと楽しさを感じながら、美緒は頑張ってきた。
「仕事にも慣れてきたし……、そろそろだと思うんだ」
「そろそろ?」
そろそろ、何なのか。「うーん」と悩み、美緒はハッと気づく。
「そろそろ、給料が上がる!?」
蓮が苦笑し首を横に振った。
「そうじゃなくて」
「じゃなくて? え? 仕事量が増えるとか? これ以上は無理無理無理!」
目を見開き怯えた表情をする美緒の耳に、蓮が唇を近づける。
「一緒に住まないかい?」
「一緒にって言われても――、ん? 一緒に?」
美緒がすぐ近くにある蓮の目を見つめる。
「……はい?」
ポカンと口を開ける美緒の手を軽く叩いて離し、蓮は傍らに置いてあった鞄から何かを取り出した。
「蓮君、それって……」
蓮の手の中の箱を、美緒が見つめる。
「何か、分かるかい?」
蓮の悪戯っぽい囁きに眉を寄せ、美緒は小さく唸った。
「なんとなく、こういう時に出てくるんだから、想像はつく……、けど」
それにしては――、
「やけに大きくない?」
蓮の手の中の箱は、美緒のイメージするものよりも、かなり大きい。
「奮発したから」
「奮発……」
蓮が、箱の蓋を開ける。その中身に、美緒は大きく目を見開いて、ヒュッと息を吸った。
「首……輪……」
蓮は首輪を手に取り、愛しそうにそれを一撫でした。
「覚えてるかい? これ」
美緒がぎこちなく頷く。赤い首輪――。それは、蓮と狼の姿の美緒が出会ってから暫くしたころ、蓮が「ハニー」の為に買った首輪だ。宝石が付いて豪華になってはいるが、間違いない。
美緒の脳裏に、鎖につながれて監禁される恐怖から逃げていた記憶が蘇る。
「はめてもいいかい?」
「え? いや、なんて言うか……」
「嫌?」
「嫌と言うか、私にもそれなりに憧れとかありまして……。こういう時には指輪なのでは?」
「はめてもいいかい?」
「ああ、聞いてない!」
美緒の首に、赤く輝く首輪が素早くはめられた。
「ヒィイ! こ、ここじゃ駄目……!」
「部屋をとってあるんだ。今夜はこれをはめた君を可愛がりたい」
「はう! そういうプレイは、ちょっと苦手で……」
「行こうか」
蓮が立ち上がり、手を差し出す。美緒は細かく震える指を、蓮の掌にのせる。
「ああ、世間様の視線が痛い! 私達、ヤバいカップルに見られてる……! これってデジャブ!?」
「美緒、今は僕だけ見て」
「涙であなたが見えません……」
蓮は小さく笑い、美緒の首輪に啄むようなキスをした。