私の顔がアルパカに似ている理由
「あの……初対面の女性にいきなりこういうことを言うのは恐縮なんですが……交尾させてもらってもよろしいでしょうか?」
――私は、初対面のアルパカに性交を申し込まれた。
私、有栖川くるみは二十五年生きてきて、私は男性にナンパされたことなどなかった。いや、ナンパはおろかまともに声をかけてくれたこともないだろう。性格は悪くない。運動神経も、知性も人並みには持っている。私をいわゆる「喪女」にしているのは、ひとえにアルパカに似ている顔面によるものだろう。
誰が言い始めたかは分からない。しかし、発端は覚えている。
小学校の時に、いきなり今まで仲が良かった男子に「お前の顔って、アルパカそっくりだって皆言ってるぞ」と言われたことがきっかけだった。それが爆発的に広がったのである。
五十メートル走を本気で走ればアルパカダッシュと馬鹿にされ、授業中に立って発言すればアルパカが立ったと馬鹿にされる。立つだけで話題になるなんて、私はどこかのレッサーパンダか。アルパカだけど。
当時の私は枕で涙を濡らしたものだ。何故私がこんな扱いを受けなければならないのかと日々自問自答した。恐らく私を馬鹿にしている彼らには悪意が無かったのだろうが、それでも殺しても殺したりないほど憎かった。いじめの相談をしようにも、アルパカに似てるなどとの言葉を吐かれた自分が情けなくてできなかった。
そんな絶望の淵にいた小学校生活だったが、ある時の授業で、私の憎しみや悲しみはすべて吹き飛んぶことになる。
コンピューターを使う授業だった。私は機械音痴でコンピューターには興味が無かった。家にあるのも父の仕事用パソコンだったため、操作するのは初めてだった。授業内容は「自分の興味のあるものを調べよう」というもので、先にも言った通り絶望の淵にいた私に興味のあるものなどなかった。クラスの有象無象が楽しそうに検索を始める。途端に卑屈な気持ちになり、慣れない手つきでキーボードをたたき「アルパカ」と文字を打った。
それは一種の自己憐憫だったのかもしれない。しかし、今まで意図的にアルパカの写真を避けてきた私なので、アルパカ自体実際どういうものか気になったということもある。
するとどうだろう。
私の眼前に広がる高貴な動物の数々。
毛並みはもこもこと愛らしい姿をしており、高原で佇むその姿はなんとも気品のある様子だ。
好奇心が旺盛な反面臆病で、ちょっとした事にも驚いてしまうという性格。なんて萌えポイントが高いのだろう。
今まで私はこんな素晴らしい動物に似ていると言われていたのか?
それで落ち込むなんて、なんて馬鹿なことをしていたんだろう。というより、なんてアルパカに申し訳ないことをしたのだろう。……というより、私の顔はなんてアルパカに似ているのだろう。
こういう訳で私は、すっかりアルパカの虜になってしまった。
それからの小学校生活、中学校生活をアルパカ大好きなアルパカキャラ(ちょっと何言ってるか分からない)で平和に、円満に笑い者となり、高校に入るとともにアルパカの住む動物園に旅行をするアルパカ遠征も敢行した。スクールバックにアルパカのキーホルダーを狂ったように飾り、携帯の写真フォルダにも狂ったように自前のアルパカ写真が二千枚ほど。もはや私にとってアルパカは無くてはならないものになっていたのだ。
そんなキャラでは当然彼氏もできるはずがなく、高校を卒業するころにはただ二次元のイケメンとアルパカに恋する喪女が誕生したというわけだ。そして大学を平凡に卒業し(さすがに大学にもなると人の外見でいじってくるような人はいなかった)二十五歳になり男性経験皆無の売れ残り女性候補筆頭になったところで、人生最大のアルパカ遠征をしにアンデス高原地帯までやってきたのである。
海抜3500メートルという事で高山病に注意しながら、それでも美味しい空気を吸って期待に胸を膨らませて歩く。ちなみにアルパカには大きく分けて茶色、黒色、白色、ねずみ色の四種類がいるのだが、私の推しはやはり純白アルパカである。
現地のガイドさんに説明してもらいつつ、ようやく私はアルパカとご対面を果たす。澄み渡る空気の中、私とアルパカを隔てるものは何もない。
ああ、やっと巡り会えたね。
小さくそう呟いて、少しづつアルパカの元へ向かう。怖がられないように、そーっと。
するとなんということでしょう、アルパカの群れから一頭だけゆっくりとこちらに向かってくるではないか。それも私のモロタイプである純白のアルパカである。
胸の鼓動が聞こえる。なぜこんなに顔が熱いのか。自問自答しても、アルパカに近づかれて混乱する頭は思考が空回りするだけだ。
とうとうアルパカが私の前に来た。突き抜けるような青空よりも更に澄んだ瞳をしている彼は、緊張で何を話していいか分からない私に向かってこう言った。
「あの……初対面の女性にいきなりこういうことを言うのは恐縮なんですが……交尾させてもらってもよろしいでしょうか?」
私の初めての被ナンパ体験。まさか異国の地のアルパカに奪われるとは。
驚きの余り声が出ない私を見て、アルパカは優しい声音で続ける。
「いきなりこんな不躾なことを口にしてしまって申し訳ございません。僕、フェルナンドと言います。三歳です。まだまだ若造で、貴女に気に入って頂けるか不安ですが、精一杯子作りをさせていただきたいと思っています」
アルパカ(フェルナンド 三歳 ♂)がぺこりと頭を下げ、私の頬に優しくキスをする。
何から突っ込めばいいのか分からない。
確かにアルパカに相当似ている私だが、アルパカと私が子作りしたら何が生まれるのだろう。
「って、ちょっと待て。それよりもだ」
「?」
フェルナンドは可愛らしく首を傾げる。さっきの口ぶりでとても良くできた紳士だという印象を受けた矢先、可愛い仕草を入れてギャップ萌えを図る辺りフェルナンドは相当キャラ立ちしている。
「なんで君の言葉が私に通じてるの?」
私は喉に突っかかっていた第一の疑問を投げかける。日本のアルパカと話が通じるならまだしも、遠い異国のアルパカが日本語を使いこなせるわけがない。
……。
ちょっと待て。
アルパカはそもそも喋らねえ。
「どういうことです?」
「だから、なんで私と君との間で会話が成立してるんだって話だよ」
「それは、僕と貴女が純粋なアルパカであるからに他なりません。……それと、『君』じゃなくてちゃんと名前で呼んで」
首を下げて、上目づかいで私にお願いするフェルナンド。こいつ、相当あざとい。自分のイケメンさと可愛さを分かってやがる。
「じゅ、純粋なアルパカ?」
「そう。混血種はこの崇高なるアルパカ語を話せないのです。しかし僕や貴女のような純血アルパカは学習する必要も無くアルパカ語を使いこなせるのです。そして僕は今まで見た中で一番美しい純血のアルパカに出逢いました。僕と貴女の子供なら、きっと世界が嫉妬する毛並みの美しさになりそうだ」
「純血アルパカって……私、人間なんですけど」
「人間!!!!!????」
大きな声を出し驚くフェルナンド。いや、いろいろ展開が速すぎて驚きたいのは私なんだけど。
そして遠巻きに私たちのやり取りを見ているだけだったフェルナンド以外のアルパカは、大きな声に反応してまた下を向いて草を食べ始めた。わけがわからない。
「人間……まさか僕たちから毛を刈る悪しき人間の仲間だったとは……」
ぷるぷると震えるフェルナンド。え、これまさか怒ってる?
「貴女は僕の純情を騙して毛刈りをしようと思ったんですね‼」
フェルナンドはすごい勢いで唾を吐きかけてきた。以前は愛するアルパカの唾など採集目標に掲げてたくらいの代物なのだが、こうも怒りをもって吐き掛けられると少し怖い。
というか、フェルナンドのそれは逆ギレじゃなかろうか。
唾を避けきれなくなって顔にべたべたした液体が付いたときに、はるか後方から凛とした声が聞こえた。
「やめるのだ、フェルナンド‼」
私とフェルナンド、それと今まで関係ない顔して草を頬張っていたアルパカも一斉に声のした方向を向く。そこには漆黒の毛を持ったアルパカが佇んでいた。フェルナンドはその姿を見るや否や、唾吐きをやめて居直る。
「ちょ、長老……」
「フェルナンドよ。客パカにそのような無礼行為は感心せんぞ」
「しかしクルーン長老、彼女は人間であって、僕たちの敵ではないでしょうか」
「そのお方が人間だとしたら、何故私たちしか扱えないアルパカ語が扱えるのだ? 少し冷静になるといい」
はっとした顔で再びこちらを見るフェルナンド。物凄く申し訳なさそうな顔で自分の毛で私にかかった唾を拭く。
「すみませんでした。お恥ずかしい真似を。謝っても許されることではありませんが、せめて僕の粗相の責任だけは取らせてください」
「いやいやいや……別に気にしてないよ、このくらい」
「なんて懐の深い……やはり貴女は僕が生きてきた中で最高の女性だ。惚れ直しました」
何故か再び惚れ直される私。まったく意味が分からないが、とにかくフェルナンドに唾を吐かれる危機は去ったようだ。
フェルナンドを一喝したクルーン長老と呼ばれたアルパカは、ゆっくりとこちらに歩いてきた。長老と呼ばれるくらいだから相当歳は取っているのだろうが、毛並みの艶はまだ衰えていない。
「うちの若いのが失礼したね。儂はクルーン。ただ三十年生きているだけで皆から長老と呼ばれている老いぼれじゃ。よろしく頼む。客パカさん、お名前を聞かせてもらっても?」
客のアルパカ、だから客パカか。完全に人間としては見られていないことが分かった。
それに、私より年上のアルパカ……。確かアルパカの寿命って長くて二十年だから、そりゃあ長老にもなりますわ。
「私は有栖川くるみと言います。よろしくお願いします」
「アリスガワクルミ……長いのでワクルミと呼んでも構わぬか?」
「ああ、な、なんとでもお呼びください」
区切るところ違うけど、男性、それも年上を立てるのが大和撫子ってものだ。
「ふむ……ではワクルミ、単刀直入に言うが儂と子供をつくらぬか?」
まさかの子作りのお誘い。本日二度目。クルーンは続ける。
「見たところ元気な子供を生める体型をしておるし、いっちょあの綺麗な景色が見えるところで子作りに励もうかのう」
アルパカも人間も、誘うときは綺麗な景色で女を釣るという事が分かった。そしてアルパカも人間も、それにつられる女がさほどいないという事が分かっていない。結局相手との距離感や好感度なのだ。
――と男性経験皆無の私は思う。
「すいません、私子供を作れる体じゃないんですよ……」
そもそもアルパカと人間で子供が作れるわけが無いので適当に嘘を吐く。
するとクルーンとフェルナンドはそれを聞いて顔を青ざめさせ、私の足元で寝そべった。
「なんと。それは申し訳なかった。軽はずみなことを言った。この通り、すまなかった!」
「貴女の事情に気が付かず軽率でした。申し訳ありません」
私から見たら楽しくごろごろしているだけに見えるアルパカだが、これはどうやら謝っているらしい。人間界で言う土下座か。アルパカ界ではごろごろが土下座なのか。ちょっとかわいい。
「そんな気にしなくてもいいですよ。顔を上げてください」
「でも、」フェルナンドは地面にごろごろしながら言葉を続ける。「僕は貴女と一生を添い遂げたい! 子供なんてできなくてもいい! ただ一緒にいてくれるだけで構わないんです!」
私は、フェルナンドの言葉に心臓を鷲掴みにされた思いがした。
その言葉を、私は二十五年間待っていたんだ、とすとんと腑に落ちた。
今まで私を雁字搦めにしていた呪いが解けた気がした。
ああ、そうか。私はアルパカに似ている顔をもって生を受け、いままで馬鹿にされながらもアルパカへの愛を育んできたのは、アンデス高原地帯でフェルナンドと出会うためだったんだ。
フェルナンドは私を抱きしめてくれるだろう。温もりもくれるし、なにより愛してくれる。
そもそも。わたしは何故今まで恋愛対象を人間に限定していたのだろう?
むしろアルパカに似ているし、アルパカからは「純粋なアルパカ」という評価を貰っているのだからアルパカと恋に落ちてもいいじゃないか。
「……フェルナンド。私も、あなたと一緒にいたい」
私の決意は、きっと揺るがない。
――よし。
意を決して席を立つ。向かうはハゲ散らかしていつも怒鳴っている課長の元へ。フェルナンドの毛並みと紳士さを見習えばいいのに。
課長席に向かい、ばんっと辞表を叩きつける。
「課長。私、会社辞めることにしました。今月いっぱいで辞めさせていただけないでしょうか」
「はあ、辞めるぅ? お前なんだ? やめてどっか行くところあるのか?」
「はい」
「なんだよ? どこに行くんか言ってみぃ」
「ボリビアです。アンデス高原地帯に行くんです?」
「ボリビア⁉ そんなよく分からねえ所、何のために行くんだよ」
私は答える。恐らくこれが、人間界との決別の言葉。
「大切な、夫の為に行くんです」