第94話 飛んで火にいる夏の虫だったみたい
炭酸事件後、再び私たちを乗せた馬車は伯爵の屋敷とは違う方向に進み、やがて森の中に入った。
伯爵が森の中で私たちを待っているのだろうか?
恐らく待っているのだろう、それは違う意味での歓迎だろうけど。
炭酸の罠は回避したけど、伯爵の罠は回避できないかもしれない。
困った事に護衛に付いていたモブ男くんたちは引き離されてしまったみたいである。
今やお姫ちゃんを守るのは私だけになってしまったのだ。そして私の胸元を守るフィギュアちゃんである。
爆発物が一個あるけど戦力的には心もとない、と言ってもお姫ちゃんがスイカと間違えて買ったこの花火が最大戦力なんだけど。
馬車がやって来たのは森の中にある小さな屋敷だった。
私たちを出迎えたのは昨日の執事さんだ。
「このスイカはお土産として持ってまいりました」
「これはこれは素晴らしいスイカを賜って、主も喜ぶでしょう」
天然とポンコツで会話が成立している。
とうとうスイカとして運び込まれて行ったよ。だんだん私もあれがスイカなんじゃないだろうかと思ってきた。
屋敷の中に招き入れられた私たちは応接室に通された。
執事さんの他には使用人の姿はなく、軍人の姿が十人くらい確認できるだけだ。
その部屋で待つ事数分、やがて現れたのはバカ伯爵である。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたその男こそが、私のカリマナを川に放り込んでくれたバカ貴族なのだ。
なるほど、名前もバカなら見るからにバカそうな面持ちである。
「私はバコ伯爵だが。なんだかそこの従者の娘がとんでもない勘違いをしている気がしてならん」
バカ伯爵は気を取り直してお姫ちゃんを一瞥すると、また嫌な笑みを浮かべながら用意されていた椅子に座った。
随分偉そうな椅子である。
本来その偉そうな椅子には、お姫ちゃんを座らせるべきなのではないだろうか。
勧められてお姫ちゃんもソファーに座る。
従者の娘だと思われているみたいだし、私はソファーの後ろに立ってようっと。バカ伯のにやけ顔からなるべく遠ざかりたいもの。
「ようこそ我が密邸にお越し下さいましたルーアミル殿下」
「あらあら、ここは秘密基地か何かなのでしょうか」
「私がご婦人方とこっそりとねんごろになる為の屋敷でしてな、この場所は家の者にも殆ど知られておりません」
浮気最前線だったか。
場所を記憶して娘さんと奥さんに後で教えてあげよう。
「あらあら、私は貴方とねんごろになる予定などありませんが、どうしてこの場所に招かれたのでしょうか」
「心配ご無用、ルーアミル殿下はあと二年は経って頂かないと守備範囲外でしてな。そこの従者の娘なら……残念、私はもっとふくよかな娘の方がいいですな」
誰の胸部装甲が貧弱だって?
場所を記憶して娘さんと奥さんに〝絶対に〟教えてあげよう。
「この場所を知っている者も少なく、ここにいるのは私の側近の精鋭のみ。ルーアミル殿下は飛んで火にいる夏の虫といったところですかな」
ありゃ~やっぱりそうなるよねえ、わかってたようん。
「この前の釈明をするのではなく、またしても私に危害を加えるおつもりなのでしょうか?」
「貴女にいてもらうと色々と困るのですよ。中央ではグスタフ殿下の代わりに、貴女を王位につけようという動きが出始めています。シュムーア公爵までそちらに付くという情報を入手したら、もはや強硬手段に出るしか無いではありませんか」
公爵ってあの公爵だろうか、次から次へと変わり身が凄いなあのおっさん。貴族って忙しそうだ。
「兄上に王位に付いて貰わないと困るのでしょうね」
「懇意にさせて頂いておりますからな、一気に我が家も中央に進出ですなあ」
中央に行ったって碌な事なさそうなんだけど。
「その為にはルーアミル殿下にはここで命を終えて頂かないと困ります。この前は上手くいかなかったようなので、今回は確実に事を成させて頂くとしますかな」
伯爵に従っていた側近たちが一斉に抜剣する。
「血で屋敷が汚れるのは困るのですが、森の中で逃げられてはたまりませんからな」
「あらあら困りましたねえ」
剣を向けられたというのに、お姫ちゃんは飄々としてソファーに座ったまま首を傾げている。
こういう何が起きても動じないのが、王侯貴族の凄い所だと思う。
まあ、この前はこんな感じで川に放り込まれたんだろうけど。
もし私一人だったら、動揺して伯爵の足にしがみついていたかも知れない。
そして相手の足の小指に思いっきりロッドを振り下ろしているだろう。
「私の命を取るということは、こちらの女性も無事では済まないのでしょうか」
「え? 私?」
お姫ちゃんの口から唐突に私の事が出てきて驚いた。
「ご心配なく、そちらの従者の方も後を追っていただくので寂しくありませんよ殿下」
後を追う気まるで無いんだけど、何故私の話になったの?
「困りましたねえ、リンナファナ様は私の従者などではないのですが」
「リンナ……ファナ? リンナファナってまさか」
椅子に座っていた伯爵が思わず立ち上がってしまう程に驚いている。私がまさかの何だってのよ。
「伯爵もその名前はご存じでしたか、そうこの方はあのリンナファナ様ですよ」
誰? 私誰なの? あのリンナファナってどのリンナファナなの? 私って何のリンナファナなの?
何故かドヤ顔のお姫ちゃんはともかく、何で伯爵も驚いているのだろうか。
「グ、グスタフ殿下の……」
「そう、兄上のリンナファナ様です」
誰のだって? まあ確かに王子のサンドバッグですけどね。大人しくボコられる気は無いけどね!
「な、なんだってそんな方がこんな所にいるのです」
「兄上のリンナファナ様までお手にかけるおつもりなのですか? 私はともかく、兄上のリンナファナ様まで消えたら兄上がどう思うでしょう」
いちいち〝兄上の〟を付けるのやめて頂けませんか。
でもまあ、この場面で私の存在が切り札になるとは到底思えないよなあ。ただのオモチャだよ私。
「仕方ありません、知られてしまった以上はグスタフ殿下のリンナファナ様といえども、この世から消えて頂くしかないでしょうな」
まあそうなるわよね、わかってましたよ。
それと〝殿下の〟と付けるのやめて頂けませんか、禁止します。
「あらあら、どういたしましょう」
お姫ちゃんは相変わらず動じていない。平然と首を傾げてソファーに座っている。
お姫ちゃんにとって私が切り札だったのだろうか。切り札を失ったら、私だったら腰が抜けて動けなくなってる。
さてはお姫ちゃん……いやこの子に関してはそれは無いだろうね、これは素で座ってるよ。
私たちは切り札を失い、窮地に陥っているようだ。
さっさとお姫ちゃんを連れて逃亡したいところだけど、出入り口を完全に軍人が固めているのが痛い。
これは困ったな……とふと胸元を見て、おや? となった。
いつもの『リン、お供するよ』の声が無かったからおかしいなとは思っていたんだ。
よく見てみる、やっぱりか。
おい、フィギュアちゃんがいないよ。
次回 「あらやだ、伯爵がポンコツ化したわ」
バコ伯爵、ハニワ君になる




