Ⅷ
レオナルドが知っている橇は何処にも無かった。一回り以上小さくなり、外れた筈だった発条がはまったのか、ノースが犬橇のように引かなくても走る。縦幅は三分の一程度に、横幅は五分の一程が削れていた。樹海をこの橇で無理矢理にでも進むためには、小さくしなければならなかったとサイロは説明した。が、所有者であるレオナルドには、致し方ないと分かった上でも一抹の不満が残った。自分の所有物を勝手に改造されれば誰だって怒るだろうが、と思ったようだ。
「レオナルド、まだ肉食ったこと怒ってるのか?」
「怒ってねえよ……」
不貞腐れたレオナルドの顔色を、ノースは伺っていた。隠すということを知らない彼らしく、率直に聞くのだ。一方でサイロは何も知らぬ存ぜぬというように橇の運転席に座っていた。癪に障るほど黙々と仕事をする大人のような姿勢が似合っているのが、とても腹立たしかった。
「うーん……まあいいか! 【溜まり場】に行く前には機嫌直してくれ!」
「機嫌悪くなんてねぇって……つか、【溜まり場】行って何するんだよ。俺何も知らねえぞ」
「俺達は特に何もしないな。【溜まり場】に着けば全部大丈夫だ!」
「そうか。…………さっきからずっと思ってたんだけどよ。この橇なんでこんなに速く走ってるんだ? 俺の知ってる限りでは、こんなに速い筈が無いんだけど」
サイロは器用に木々を避け、橇は先程レオナルドとノースが一休みをとった場所をさっさと過ぎていった。発条が壊れた筈の橇が何故速く走れるのか、レオナルドには理解出来なかった。
「さっきご主人が、ずれてたはつじょうってやつ無理矢理入れたら入ったって言ってただろ?」
「無理矢理入れた!? そんなことやったら発条今度こそ壊れるっつの! 迂闊に触れたものじゃねえぞ!?」
「それは僕も知ってる。一回飛ばされたから」
「危ないことしてんなお前! そんな実体験に基づいた結論なんか知りたかねえ!」
サイロの言葉にレオナルドが噛みつく。普段は静かな筈の樹海は賑やかであった。しかし、三人の他に生き物の気配は無い。それにレオナルドは気が付いて居なかった。
橇はどんどん進む。樹海の奥に進むにつれて、木々の間隔は狭くなっていく。絶妙に小回りを利かせ、異形をかわしていく。レオナルドはこの時初めて、周りの木々が異形だと気がついた。樹海の不気味な雰囲気を作り出しているものの一つはこれだとレオナルドは確信した。それは紛れもない、彼が初めて「自分で見つけた」発見であった。
しばらくして、サイロ曰く「大川」の川幅がぐんと広くなった。【溜まり場】はもうすぐだと言う。その辺りは、「異形」で溢れていて、レオナルドは不気味さに負けそうになっていた。耐えきれず口を軽く開いた瞬間、橇が大きく縦に揺れた。衝撃がレオナルドの身体を走る。前につんのめったレオナルドが顔をあげた時、彼の視界は茂みの葉で埋まった。慌てて顔を伏せたが、半開きだった口に二、三枚葉が入り、血の味こそしないが口の端がひりひりとした。
「サイロお前、ちゃんと操縦しろっつの! 俺の橇壊れるし俺も怪我するだろうが!」
「ちゃんと操縦したからここまで来れたんでしょ。ここが【溜まり場】なんだから」
レオナルドが顔をあげると、明らかに異質な空間が広がっていた。周りの樹海には見られない茂みで囲われた円形の、橇が二三台置ける大きさの空間。伐採でもしたのだろう、切り株がちらほら残っていた。人の手が入った、ここで幾日か過ごすための場所なのだろう。
周囲を観察するレオナルドなど眼中に無いように、サイロは橇から荷物をおろしていた。ノースは広い場所に出られて嬉しいらしく、茂みに沿って走っていた。レオナルドは上空を見た。ここだけ空が見えるように拓かれている。曇っていて薄暗いが、樹海の中よりも遥かに明るく、それがとても嬉しかった。太陽は今どこにあるのだろうか。長い間、時間を把握していなかったことにレオナルドは今気がついた。
「橇から降りてくれる? 早く行かなくちゃいけないんだから」
動くのが遅いレオナルドに苛立ったのか、それともよほど急いでいるのか、サイロはそう急かした。声色が何時もよりも冷静さを欠いているような気がした。レオナルドには解せなかった。
「行くって、何処にだよ。【溜まり場】にだって今着いたばかりじゃないか」
「…………僕には上手く説明出来ないから、行った方が早い」
サイロは思っていること、知っていることを上手く言葉に出来ないことに歯痒さを感じた。ノースには簡単に通じるのに。今まで通りに過ごすには、レオナルドはあまりに彼らの生き方を知らなさすぎた。
レオナルドから離れ、【溜まり場】の中央に立つ。一つ頭を振って唇に指を当てる。レオナルドに何か呼ばれた気がしたが無視をした。胸いっぱいになるまで息を吸い込む。冷たい空気がサイロの身体を満たす。少し力を込めて、高く、高く音を鳴らした。森の様子が変わる。樹海は一度変化を止め、また新たに変化を始めた。それは先程までとは種類の違う変化だとレオナルドにも分かった。樹海に風の音が響く。サイロを中心に、風が渦巻いていた。
「何だ、これ…………お前今何やったんだよ!」
「大丈夫だレオナルド! 風が凄く強く吹くから、俺に掴まってて。これから、人に会いに行くんだ!!」
「人? それって……うわっ」
不意に風が強くなった。布がはためく。木々の千枝がしなり、唸り声をあげる。橇が悲鳴を出し、板が飛んでいく。暴風という言葉がふさわしかった。レオナルドは今までにここまで強い強風を感じたことは無かった。毛根が弱い訳ではないが、まさに髪が根こそぎ抜けていくような暴風であった。
目など開けていられなかった。何処からか雪が舞ったのだろう、冷たいものが顔にかかった。驚いてノースから手を離しそうになったが、慌てて力を込めた。
「何だ……よ、これ…………どうやって……人に会いに……行く…………んだよ」
風に邪魔されて、話しにくい。途切れ途切れになってしまう。
「迎えが来る。だからもう少し待って」
「迎え…………?」
レオナルドは慎重に薄目をあけた。サイロは相変わらず粗末な服を翻しながら凛と立っていた。視界がさらに白む。 風の後ろに何か見えた気がした。
「ほら来た…………行くよ、宙人の里に!!」




