Ⅵ
ゆったりとした歩みで樹海を進むレオナルドとノース。彼らの周囲の木々は少しずつ異形のものへと姿を変えていたが、彼らはそれに気が付かなかった。ノースにとっては異形が「普通」であり、判断する術を持たなかったし、レオナルドには周囲を観察するだけの余裕が無かった。
「なあ、【溜まり場】って一つしかないのか?」
「樹海の中に沢山あるぞ。その中でも一番大きい【溜まり場】に行く」
異形の木々は少しずつ禍々しさを醸し出していた。異常な雰囲気をやっとレオナルドは感じ取ったのである。
「絶対【溜まり場】に行かなくちゃいけないのか? や、止めておこうぜ。嫌な感じがするし、サイロいねえし」
積もる雪は深くなり、ノースの逞しくも毛に覆われ、触りたくなる脚もしっとりと濡れている。いつか二人とも埋もれてしまうのではないかとレオナルドの頭の中で警報が鳴り響いていた。そんな緊張しているレオナルドとは反対に、ノースは意気揚々と進んでいた。
「いや、大丈夫だ! 今は【溜まり場】の近くまで行ったらご主人のところに帰るから!」
「……そういう意味じゃねぇんだよな。まあ、言うだけ無理だろうな」
レオナルドが項垂れても、ノースがその顔を見ることは叶わない。諦めをレオナルドは今まで知らなかったが、この短期間で驚く程身に付いてきていた。彼自身、その事実に気付いていないが。
「……なあ、どうしてお前はサイロのことご主人って呼んでるんだ?」
「どうして……」
会話が途切れ、樹海に静寂が戻った。レオナルドは静寂が苦手であった。耐えきれず、前々からの疑問を問うた。珍しく歯切れの悪いノースを、レオナルドは不思議に思った。
「うー……仲間になるんだもんな、レオナルド。知っておいた方がいいのかな」
「本人に聞いちゃ不味いことだったら知っておいて損はねえ。あいつが聞かれたくないことだったら尚更、な」
渋るだけの理由はある。しかし、サイロ以外の誰もが知らない訳ではない。ならば、俺も知っていいだろう、そうレオナルドは思った。時折見せる、彼の闇に繋がっているのなら、知る義務があるように感じたのである。サイロの言った「彼らに必要な知識」を求めてレオナルドを引き入れたのなら。
「分かった、けどご主人には俺が言ったとか知ってるとか言わないでくれよ? …………俺とご主人が最初に会った時、俺は名前が無かったし、ご主人も知らなかったんだ」
「名前が、無い?」
レオナルドの知っている「普通」とはやはり離れていた。子供が生まれてから半月程にはもう名前がついているのが、彼の知る常識である。名前を付けなくても生きていたという状況が読めずにいた。
「そうだよ。もうどれだけ前になるのか分からないけどな。ご主人も俺もまだ小さかった。……ご主人は二つだけ、名前になる言葉を知ってたんだ。その片方の、ご主人が理解出来てた言葉を俺にくれたんだ」
「お前達、そんなに前から知り合いだったんだな……」
レオナルドは一つ仮説を立てた。が、直接聞くことは叶わないだろう。それをすることを彼自身望んで居なかった。薄々感じ取っていた、サイロとノースの学の無さ。二人とも、幼い頃からこの過酷な生活をしていたのだろう。突っ込んで聞くのは憚られた。
「うん、その時からご主人って呼んでる……この話、終わりにしよう! この川、大きくなったろ? もうすぐで【溜まり場】だ! 目的は達成したし、ご主人のところに帰ろう」
「あ、ああ……そうだな」
無理に何時もの調子を取り戻そうとするノースに、レオナルドは申し訳なくなった。聞かなかった方が良かっただろうか、レオナルドはもう後悔をし始めていたが、ノースの表情には気がついて居なかった。
「思いっきり走るから、レオナルドしっかり掴まっててくれ! 早く帰ろう!!」
晴れ晴れとしたような顔をして、ノースは力強く雪原を駆け始めた。




