Ⅱ
荷物の整理をすると言っても、大してする事が無いので、仕方なくレオナルドが食事の準備を始めた頃、雪を踏む音が聞こえてきた。ふい、と顔をあげると黒いぼさぼさの頭が見えた。
「何やってたんだよ。勝手に居なくなりやがって」
「はいはい。で、今どうなってるの」
「何がだよって……食事か。出来合いのやつがあるからそれだよ」
「そう」
サイロは短くこう答えると、樹海の方向へ向き直った。軽く口の両端で親指と人差し指を噛み、大きく息を吸う。
すきま風の音に似た者だった。静かな雪原に、低い指笛が風に乗って遠くでこだまする。
「お、おいいきなり何やって…………」
黙れ、と手で制されてレオナルドは黙りこくった。目に見えない何かで押さえ付けられたようだ。サイロの目は、蛇のような捕食者、というより強者の目をしていた。
(悔しいけど、こいつがやると俺よりもなんかこう……支配者って感じになるんだよな…………)
遠くで狼のような、犬のような遠吠えがした。既視感のようなものを感じて、レオナルドは考えを巡らせた。
一つ、二つと遠吠えが聞こえる。何かが吠える声が雪原を一気に不気味なものへと変えていく。レオナルドの背中を冷や汗がつたっていった。小さく地鳴りのような足音が聞こえた。
「な、なあ…………これって俺達まずいんじゃねえか!? おいどうすんだよ!」
「五月蝿いよ。黙って見てな」
怠そうに応えるサイロに、なら説明しろと言いたいのを唇を噛んで我慢した。この点では、レオナルドは今日この一日でかなり成長したと言えるだろう。
暗い雪原に吹く風は色々なものを連れてきた。地鳴りのような足音が近付いていた。足音の方向へ、よく目を凝らすと砂煙のよう雪が舞い上がっているのが薄く見えた。何かが近付いている。しかも、かなり大きいのではないか? まさか、あの化け物がまた来たのでは───?
交錯するレオナルドの思案とは反対に、サイロは真っ直ぐ前を向いて立っていた。凛としたその姿に、レオナルドは自分が情けなくなった。
(何なんだよ、この差……)
内心でレオナルドが剥れていると、何かに気付いたらしい、不意にサイロがソリの外へと出た。レオナルドが呆気にとられたのもつかの間、サイロを呼んで急いで彼を追った。
「おいサイロ! 危ねえんだから……」
「ご主人!」
「は?」
聞こえたのは男の声だった。おそらくこれは、レオナルドやサイロより少し年上のものだ。声の主をあたりを見渡して探す。レオナルドの視界の斜め上で、何かが跳び跳ねた。
「はあ!?」
影を視線で追うと、そこには大きな狼のような犬が居た。それ以外には何も居ない。消去法で考えると、声の主は一人(一つ?)しかない。
「ご主人、お呼びですか! 樹海の方の探索、してきましたよ!」
「あり得ねえ!!」
声を発していたのは、その大きな「犬」だった。何故かサイロをご主人と呼ぶその犬は大きな尻尾をぶんぶんと振っていた。一振りする度にぶおんと風が鳴った。
「お疲れ様、ノース。じゃあ食事をして、後はなんとかしよう。ああ、これ、今日から一緒に来るんだって」
サイロが軽くレオナルドを犬に紹介した。が、紹介とも言えないような雑さに少々呆れながらも諦めたのかレオナルドが改めて自己紹介をする。
「紹介雑だなおい! えーっと……ノース? だったっけか? 俺はレオナルド。ナクラの学者の息子だ。よろしく頼むぜ」
ノースと呼ばれた犬はかなり大きく、灰の混じった黒の毛で覆われていて、顔の部分だけが白かった。人懐こい色を浮かべた大きな瞳はくりくりと動き、嬉しそうに目を細めた。
「レオナルド! よろしく! 俺はご主人と一緒に旅してるんだ、仲間が増えた!」
ノースはそう言いながら飛び上がった。しかし、ひらりと着地した筈の所にノースは居なかった。ノースの代わりに居たのは、大柄だが顔立ちに幼さの残るレオナルドより少し年上に見える少年だった。
「…………は?」
「どうしたんだ、レオナルド? ご主人、俺何すればいいの?」
想定外の事が重なりすぎた。レオナルドの頭の中は絡まってしまっている。仕方がないが、サイロとノースの空気を無視する力はなかなかのものだと言えるだろう。
「あり得ねえって! え、ノースお前獣人だったのかよ!? なら最初からそう言えっつの! 無駄に混乱したじゃねえか!!」
レオナルドが不憫に思えるのも仕方無かろう。




