プロローグ
とある大学病院の病室で医者が言った。
「坂本拓真さん、落ち着いて聞いて下さい」
坂本拓真と呼ばれた少年は純白のベッドから上半身だけを起こした姿勢で四十半ばの男性医の言葉を真剣に聞く。
「病名は脳腫瘍そして神経膠腫と呼ばれる物になります」
拓真は一瞬頭が真っ白になったがすぐに気を持ち直して医者に質問する。
「つまり、癌ってことですか?」
拓真が言葉を発して数秒の静寂が病室に訪れた。
「その通りです...」
医者は重い口を開き少し目線を伏せて申し訳なさそうに言った。
「でも、治せるんですよね?」
拓真のベッドの横でパイプ椅子に座っていた母親が落ち着いた声で医者を威圧するに言った。
「可能性は零ではありませんが、限り無く低いです。少し厳しい事を言いますが神経膠腫の場合は、いかなる手段を講じても、その平均余命は1年程度になると言われております。
もちろん、我々は最善を尽くしますが、治療は多くの痛みや苦しみを味わう物となります、その事も含めて息子さんとご相談下さい」
医者はそう言うと母親の威圧に耐えかねたのかさっさと病室から出て行った。
「何よあの医者は!!」
母親は病室にも関わらず大声で叫ぶ。
「母さん、落ち着いて」
拓真は激怒する母親をなだめるように言ったが、母親はすごい剣幕で拓真を睨み付ける。
「落ち着いていられるものですかぁ!?私の大事な息子死ぬかも知れないのよ!!」
「大事な...かぁ...」
拓真は今まで母親に言われた数々の言葉を思い出した。「(大事な息子、拓真のため、いい高校に入るのよ、立派な大人になるよ、ゲームが将来何の役に立つの?、あのバカな子と関わっちゃダメ、拓真は勉強する事だげ考えてればいいの、拓真は...拓真は...拓真...)」
「フッ...」
拓真は急にバカバカしくなり笑いがこぼれた。
「母さん...僕は治療しない事にしたよ...」
パシッ!!
拓真の言葉を聞いた母親は拓真の頬をひっぱたく。
「バカ言わないでちょうだい!!、諦めちゃダメよ拓真!!、きっと、きっと治せる医者が見つかるから!!」
母親は早口で言うと病室にも関わらずスマホを取り出して治療できる病院を検索する。
「母さん!!ここは病院だよ!!」
拓真は慌ててスマホを母親から取り上げるとスマホの電源をオフにする。
「なにするよの拓真!!、貴方の命が関わっているのよ!!そんなルール緊急事態に関係無いじゃない!!、絶対。絶対母さんが助けるから!!」
母親は抵抗する拓真からスマホを奪うと電源を入れて再び検索する。
「拓真はこれからいい高校に入って、名門の大学に入り、一流の企業に就職するの!!、せっかくいい高校に受かったのに死ぬなんてバカ言わないで!!」
拓真は母親のこの言葉であらためて確信した。
「やはり母さんは僕を心配しているんじゃない、僕が一流の企業に就職して自慢出来ない事を心配しているんだ」
不思議と涙が溢れた。拓真は保育園の時から勉強して最初の小学受験をした。その後、友達も作らずに勉強し、家の内外で遊ぶと事なく勉強し、中学受験をした。そこから更に塾に通って勉強し、とにかくひたすら勉強して今までやって来た。
「母さん...母さんにとって僕はなんなの?」
「そんなの決まっているじゃない!!、貴方将来一流の企業に就職して、できのいいお嫁さんをもらって親孝行するのよ!!」
「(やっぱり母さんは自分の為に僕を一流企業に就職させようとしている)」
気がついたら拓真は病院から飛び出して走っていた。息が苦しくなっても走り続けていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、ん、はぁ、はぁ、はぁ...」
拓真は途中意識が朦朧としながらも走り続けて公園の桜の木の下に膝をついて倒れる。
「はぁ、はぁ、はぁ。なにやってるんだか僕は...」
拓真は地面に背をつけて顔の前に広がった満開の桜を見つめる。
「いつの間にか桜の季節に外はなっていたんだなぁ...へへっ。初めて母さんに逆らった。でも、いいよね...人生の最後くらい自分の意志で決めたって...」
拓真は薄れゆく意識の中で強く思った、もし、来世があるのなら今度こそ自由に生きようと。