きれいなもの
執筆者:雪村夏生
最近欲しいものは、扇風機。クーラーだと贅沢しすぎている気がする。
「きれいなものの下には、死体が埋まっているのが定説だろう」
上空で光っている花火を見上げながら、彼は言った。浴衣を着ているが、縁側に座ったまま動こうとはしない。うちわと缶ビールで両手を塞いでいる。
ななめ後ろで膝をつき、そっとさらに乗せたすいかを置いた。要望通り、半分にしか切っていない。一緒に乗せておいたスプーンですくい取って食べるのだろう。いつもそうだった。
「唐突にご苦労なことをおっしゃいますね」すいかを挟んで隣に座る。「小説の影響ですか?」
「君より賢くなりたくてね」突然、こちらに顔を向ける。スプーンを手に取った。「すいか、ありがとう」控えめに笑む。あまたの女性に勘違いをさせた笑みだ。
おおかた、先生が読んでいた本は予想がついた。あんなにきれいに桜が咲くには裏がある、みたいなことを描いていた「桜の樹の下には」梶井基次郎。自室から消えていた本だった。
「先生の目には、花火はきれいに映るのですね」音を遅れぎみに鳴り散らしている光の花をぼんやりと見上げる。
「君の目にはそうは見えないのかい?」すいかをえぐる音がする。
「ええ、まあ。例えば赤い花火なんか。きれいですか?」
間があった。
「君は今、赤い着物を着ているのだと思うのだけれど」
答えなかった。
「先生は、女性をきれいだと思われますか?」
「俺の色恋沙汰でも聞きたいのかい? 今日は寝られない夜になってしまうよ」
かわされた。すいかがサクサクえぐられる。
「人の下に死体は埋められませんね。花火なら会場に埋めればいい」横目ですいかを咀嚼している男を見遣る。「一ヶ月前に作られた彼女さん、会場に埋めたんですね」
スプーンの動きが止まった。こちらを見上げる。
「きれいなんでしょう? 赤。だからやめられないんでしょう? 人を殺していくことを」
「軽蔑するのかい?」薄く笑っている。
「いいえ」首を横に振る。「私も赤はきれいだと思います」
着ている着物から、赤い液体が地面にしたたった。