屋上花火大会
著者、折穂狸緒
夏っぽく、そして、大会要素は消えました。
高校三年、夏。
来年の大学受験に向けて少しずつ教室の雰囲気が変わりだした。
今までまったく勉強してこなかったような人達が参考書を広げて書き込みを始めて、単語帳を捲って、授業をちゃんと聞くようになった。
そんな光景に焦りばっかりが体を通り抜けて、私は自分が何をしたいか未だに見つけることが出来なくて、机に突っ伏すことしか出来ない。
私の友達は今頃前の授業の復習でも始めてるんだろうなぁ。ああ、やだやだ。
ぬるい蒸気みたいな風に頬を撫でられて思わず顔を上げる。
暑い。暑すぎる。
これじゃまともに昼寝なんて出来ない。
仕方なしにぼう、と窓の外を見る。
窓際の席で良かった。教室の真ん中だったら私もきっと周りの人たちみたいに参考書を眺めてたかもしれない。それだけは何となく嫌だった。勉強が嫌いとかじゃ無くて、ただその時間をつぶす目的で文字を追いたくないだけ。本当だってば。
窓の外は広いグラウンドとフェンスの役割をしてる背の高い木々。名前は分からないけど秋に落とす葉の色がやけに薄い黄色だったのを覚えている。今は青々と生い茂っていて生命を感じさせている。
その木にしがみついてるのは夏の風物詩、蝉。
声の限り存在を主張して、来週あたりには死ぬ。生まれ変わってもあの虫にだけはなりたくないと思う。
長い間土の中に潜ってて、短い時間だけ外に出て、精一杯毎日生き抜いて、死ぬ。とうてい出来ない所行だ。
気ままにのんびり生きて、ほどほどに頑張る。気が向いたときだけ全力で生きてみて、後は休憩。
長生きしたい。贅沢な暮らしがしたいとは思わないけど、自由な暮らしがしたいとは思ってる。
神様は残酷だ。蝉の声を聞いていると焦燥感に駆られる。のんびり? 気まま? 何考えてるんだ。今を全力で楽しむのが人生だろう! さあ! 一緒に叫ぼう! そう言われてるような気分になる。気にしすぎなのかもしれないけど。
とにかく、私は蝉みたいになりたくないって話。
だから、自分の好きなことだけをしてたいって話。
つまり、今するべきなのは勉強じゃ無くて、暇つぶし探しって話。
「なぁ」
なんてぼうっとしてたらいつの間にか机の前に男子生徒が立っていた。クラスメイト。 何回か席が隣になって、まあまあ盛り上がるような会話を何回かしたことがあるくらいの人。名前はしっかり覚えてないけど、確か山口みたいな気がする。
そんな人がどうして私に話しかけているんだろう。
何も言わずに見上げていると山口君の顔が急に沸騰したみたいに赤くなった。
どうしたんだろう、熱中症なのだろうか、肩筋もこわばっている。
風邪でも引いたの? そう聞こうとした途端、
「花火見に行かない?」
辺りがしん、と静まりかえった。空気も冷え込んだように思われる。
蝉の声すら遠ざかって、完全な無音。
自分の拍動が耳のすぐ側から聞こえていて、あ、緊張してる。そう感じた。
そこでふと違和感に気がついた。
私以外の時間も止まってるのか、辺りは灰色みたいに見える。山口君すら、灰色。
どうしたの、そう言葉をかけようとして、止まった。待てよ、この状況。
なんとか現象。なんとか症候群。詳しい話は忘れたけど、確か自分が周りに干渉しない限り、時間の流れがストップする、みたいな。脳味噌が流してる微弱な電波が急に強力になって、人や物、空気すら動きを止めさせる、とかなんとか。
突発的な不思議現象。都市伝説の、もっとふわふわした噂話で聞いたのだろうか。曖昧すぎる。っていうか、全然信憑性が無い。
でも、この噂通りなら、私が動かない限り、ずっと世界は灰色のままって訳。
つまり、私は物語の主人公なんだ。
私が何かしらの反応を示さないと話は進まない。
神様みたいな気分になったけど、私も動けないから意味は無い。でも、じっくり考えることくらいなら出来そうだ。
なんて返事をすれば良いんだろう。
私は今、酷い顔をしているんだろうな。ぽかん、とマヌケ面。
そのままの表情を保つのってとっても大変。声を我慢するのなんて、なおさら。
呼吸するのも慎重に、慎重に。
花火。花火かぁ。
これからの予定帳を見なくても、何かしらの予定は入っていない。
受験だ受験だと意気込んで私から離れちゃった友達とは当然遊べないし、休日は一人で過ごしたい派の人間だから。
行っても良いかな、どうせ、彼氏も居ない寂しい身分なんだから一夏の思い出くらい作っても罪にはならないでしょ。
「いいよ」
何分、何時間経ったのか分からないくらいの間を置いて声を出した。
可愛っ他のドからは若干かすれた声が音になって飛び出す。
再び景色に色味が付いて、世界が動き出す。
みーんみーんしゅわしゅわ、爆音が教室内に響く。
あの男子は顔を真っ赤にして暫く私を見つめていた。
それから、
「じゃあ放課後、ちょっと待ってて」
言い残して自分の席に着いてしまった。
一体何だったんだろう。今日どこかで花火大会があるなんて聞いていない。
ということは、コンビニかどこかで勝ってきた花火をやるんだろうか。私と一緒に?
不思議な人だな。ただ、それだけ思った。
□
放課後。
夕陽が赤いあめ玉みたいに輝いて、今にも溶けそうだ。
だいぶ前に授業が終わって、何をするでも無く校門でぼうっと突っ立って、はや三十分。あいつは何をしてるんだろうか。
額に張り付いた汗も血みたいに張り付く。不快だ。
グラウンドで野球部が暑苦しく声を張り上げている。甲子園が近いと小耳に挟んだ。
いつまでも沈まない太陽が無性に腹ただしくなって来たとき、
「ごめん、待たせた」
あの同級生だ。
片手に花火の派手な袋、もう片手にはプラスチックのバケツ。買ってきたばかりなのか両方とも薄いシールの値札が貼ってあるままだ。買いに行ったから遅くなったのかな。
私が何も言わないままで居ると慌てたように続けた。
「屋上でやらない?」
その言い方があまりにも滑稽で、焦っていて、面白かった。
だから、ちょっと笑って頷いた。
階段を上るとき、目の前の同級生の背中を見てびっくりした。
男女の差。凄く、違うんだ。広い背中。壁みたいに大きい。
そんな感慨に浸ってるとちらりと奴は振り返って、首を傾げる。
「なんで、オッケーしてくれたの」
再び喧噪が遠ざかる。急激に色味が無くなって、灰色。
ああ、またアレだ。
この答えで状況が変わるのかな。何て答えよう。
暇だったから、ううん、ちょっとありきたりかな。
何でだと思う? 年増がよく使いそうな手口。
君が気になって。少女漫画くさいなぁ。
こういう日常会話のほんの些細な会話をちゃんと考えた事なんて無かったのかもしれない。これからの分岐点を適当に選んで歩いてきたんだなぁってしみじみ思った。
どうしよう。脂汗が滲み出た。
この汗が地面に落ちたら、時間が再開する。そんな気がした。
落ち着け、落ち着け。汗が頬を伝う。顎まで達する。ああ、どうしよう。
顎に伝った滴が限界まで伸びて、ぽた、階段の段差の小さな溝に吸い込まれた。
何も策を練れないまま、色が帰ってくる。
再び動き出す男子。唇がマヌケみたいにゆっくり閉じた。
「あ……」
私も変わらずマヌケ面。何か言わなきゃ。
「何でも、良いでしょ」
ゆっくり言葉を切って零す。
うわぁ、感じ悪い。失敗した。
私の言葉に少しだけ怯んで、それから笑った。
「変な奴」
……まぁまぁ、失敗は取り下げておこう。
□
屋上の風は生ぬるくてベタついていた。溶けかけたあめ玉だった夕陽はとっぷりと溶けきって、代わりにうっすらと角砂糖みたいな星を置いていった。
「寒くない?」
「……へいき」
フェンスに手をかけて、グラウンドを眺めてた私に後ろから彼が声をかける。
花火の準備をしてくれたのか、新品のバケツにはなみなみと水が入っている。近くにはろうそくとワンタッチで火が付く器具。
「じゃあやろうぜ」
案外無邪気に笑うなぁなんて思って後に続く。
スタンダートな花火を手にとって火を付けて貰う。しばらくしてシュボッと軽い音と共に火花が吹き出す。
じゅわじゅわ屋上の床を焦がしながら花火は燃える。赤くなったり、緑色になったり。 夢のような景色だ。
実際、夢だと思った。
非現実的な屋上で非現実的な花火をして、隣には非現実的な男子がいる。
まるで、まるでそれは恋人との夏の思い出。
なんて非現実。
これは夢だ。
だから、好き勝手やってやる。
「ねえ、私。君の名前知らないんだけど」
「え、マジで」
「嘘だよ」
「なんだよ」
そう言いながらも照れくさそうに頭を掻く君。
「花火どこで買ってきたの」
「近所のコンビニ」
「バケツは?」
「……ホームセンター」
「何で1カ所で買わなかったの」
「………………忘れてて」
「あっはは」
恥ずかしそうに顔を覆う君。
なんだ。
なんだよ。
恋してる、みたい。
「そういえばさ、なんで私、花火に誘われたの」
「そりゃあ……」
「……そりゃあ?」
「ちょっと良いなって思ってたから。お前のこと」
色が急速に遠ざかる。またこれか。
本日三回目の、なんとか症候群。
この返事で分岐点が変わる。
一回目、やや成功。二回目、不明。三回目。どうなるのかな。三度目の正直。どうせなら人生丸ごと変えてやりたい。
コイツと付き合ってみるのも悪くないかもしれない。けれど、どうだろうか。
今の今まで特に関わりも無かった人。正直名前も本当はぼんやりとしか覚えていない。
はて、どうしたものか。
きっと今手に持ってる花火の灰が落ちたときに時間は動き出す。
凍り付いている間はとても肌寒い。照れた君の顔すらも寒々しい。
ええい、ままよ。なんとでもなれ!
灰がぼとりと落ちた。