花びらひとひら手のひらに 中編(1)
文化祭も終わり、木枯らしが吹く時期のことだ。
悪戦苦闘した二学期の中間テストを無事切り抜け、すべての答案用紙が返却された昼休み。眞人の席へと向かうと、答案用紙の裏を使い眞人は一心不乱になにやらシャーペンを走らせていた。あまりにも熱心に書いているので、なにを書いているのかと好奇心がわく。
「なんだよそれ」
「な!」
バッと慌てて腕で隠し、眞人は顔を茹だたせた。
「か、勝手にみ、見るなよ!」
「悪い悪い、大丈夫一瞬しか見てないから」
「本当? なら、何描いてるかかわかんなかったよね?」
ほっと息をつく眞人が面白かった。
「で、なんで美少女のイラストを描いてんの? 漫画家でも目指してたっけおまえ」
「ばっちり見てんじゃん! 全然大丈夫じゃないじゃん!」
とほほと落ち込む。なんだこの可愛い生き物。愛しさしか感じないんですけど。
「で、だれがモデルなんだ? うん?」
「べ、べつに、だれでもないよ」
「充だろ」
「はううう! な、なぜ、どうして、なに、超能力かなにか?」
「いや、あてずっぽという異能だ」
「しまったあああ」
「面白いな、おまえ」
ほくほく顔で飽きない反応を返してくれる眞人を見ていると、眞人はあまりの羞恥に頭を抱えてしまい、結果隠していた紙がヒラリと舞い、机からおれのもとへとまるで図ったかのように移動した。
「うわあ……」
眞人の悲鳴。容赦なくその紙をつかみ描かれた絵を眺める。
正直、これが充だとわかる者はいないだろう。
いわゆるラノベのイラストに描かれていそうな絵だ。
ひたすら可愛く描こうと努力したのだろう。何度も何度も消しゴムを使った跡が見られた。きっとこの大きな瞳も不自然な輪郭も、眞人なりに神経をすり減らした傑作に違いない。何気なく描こうと思い至って描いた絵にしては、よくできているように思えた。
「そんなマジマジと見ないでよお」
「よくできてんじゃん」
「え?」
「だが、まってくれ。これではイラストとしては欠陥と言わざるを得ないな。もうちょっと充の性格を反映し、ファンタジックな方向にアレンジしないと」
「え?」
「ちょっといいか」
書き加えられることが嫌なのだろう。複雑そうな顔の眞人を尻目に、机にあったシャーペンを使い、二次元美少女充の口に悪魔の牙を生やす。
「ぶふっ」
眞人はどうやらそのアレンジがツボに入ったらしい。
それを見て調子に乗ったおれは、どんどん書き足していく。
二次元美少女充のお尻に悪魔のしっぽ、背中に羽を生やし、手には死神の鎌を持たせる。
ここまで書いたら最後までという勢いで、地球の上に充を立たせ、その周囲に死体の山を書き加える。その牙と鎌から滴る血などを描写していくと、清廉潔白という感じだった眞人作の二次元美少女充が、いつのまにか地球を暴虐と恐怖で支配する二次元妖艶魔王少女充に取って代わっていた。もはや元の絵が見る影もないという……。
「こ、これ、充さんが見たらぜ、絶対怒るって」
ひくりと顔を引き攣らせて笑う眞人に、おれはどこまでもとぼけて返す。
「怒るって、なんでだよ。おれはただ充の性格を正確に反映しようとしてだな……」
「ふーん。それで、こうなった、と、そういうわけ?」
「そうそう。あの容赦ない性格をこれほどまでに反映した絵が果たして存在していただろうか。まったく恐ろしい才能だな。我ながら恐ろしい」
「もう一度聞くけど。これはわたしをモチーフにした絵なの?」
「そうだよ。こんな絵をおれが描くとしたら中村充以外ないだろうが。んな当たり前なこと聞くなよ馬鹿らしい」
あれ、なんか今、明らかに眞人じゃないまるで充のようでいて充そのものみたいな声がしたような気がそれとなくしたけれども気のせいだよなきっと。
「ねえ、これなんか口に牙生やして血が滴り落ちてるし、なにやら周囲に死体が散乱しているようだけど、説明してもらってい? わたしの性格を反映しているとか言ってたけど? ていうかどう見てもこれ悪魔じゃない。わたし悪魔とかほんと嫌いだから、最悪なんだけれども?」
もろ充でした。
そう認識した瞬間の動作はきっと実質不可能とされている反射速度、0.1秒の壁を超えていたんじゃないだろうか。
「おい、なんてもん書くんだよ眞人。こんなん書くなんて、そりゃあ怒るっての。充に謝れよ!」
「ええええ」
眞人があきれたような顔を浮かべていた。
嘘はついてない! だってこの絵の元は眞人が描いたわけだし!
「はあ、わたしもなめられたものね。ていうかあんたさっき自分で思いっきり肯定してたじゃない。なに、そんなにわたしを怒らせたいわけ?」
「あ、もしや謝ったら許してくれます?」
「はははは、許すわけないじゃない」
笑顔が怖いなこいつ。まるで今描いたイラストみたいじゃないか。
「ひい、二次元妖艶魔王少女充化した!」
「だれが魔王よ! なんでよりにもよって魔王なのよ! あのさあ……」
どうしたんだ、なんでそんなに頭痛そうにしてるんだ。などとわかりきったことを言おうとして、やめるのは我ながら賢い選択だったと思う。
「ったくもう、よりにもよって、悪魔だなんて……康平たちはなんとも思わないんだろうけどさ」
「え?」
だが、充の言葉は予想に反したもので、声も弱弱しい。え、なにこれ。
背筋が凍る感覚。思わぬところで、地雷を踏んでしまったような気がして焦る。普段は意識しないが、充は外見だけを見れば超がつくくらいの美少女なのだ。
そんな充の落ち込んだ姿を見せられたら誰だって、おれはとんでもないことをしでかしてしまったんじゃないか、という気になるだろう。
「す、すまん」
「いいけど……」
ほんのちょっと、『冗談だよおーんテヘッ、本気にしちゃった?』みたいな恋人シチュ的展開を期待したのだが、どうやら冗談とかではなくと真剣と書いてマジと読むくらい、傷ついたのは事実らしい。
ほんと、人間関係ってどこに地雷があるかわからないから油断できない。
これは、あとから分かったことだが、充の宗教でいう「悪魔」は悪の根源そのものを指すラスボス的存在であり、いわゆる一般に受け入れられるような可愛らしい存在ではない。
おれからすればそうでもないモノだが、信じている立場からすれば「悪魔」と揶揄されるのはたまらなく感じるらしい。
充とおれとの間に微妙な空気が流れそうになったところ、眞人が口を挟んだ。
「あのさ交換小説、やってみない」
おれたちが戸惑っていると、『ま、やってみようよ、ね』と眞人は次の授業のため、机の引き出しから教科書を取り出し、教室移動の準備を始めた。
良いことを思いついてわくわくしている眞人の嬉しそうな表情を見て、おれと充は顔を見合わせ、ふ、と微笑み合った。眞人らしい、そう思ったのだ。良いことをそれがふと思いついたことでも、まずは行動してみる。
そんな眞人のまっすぐな姿勢が眩しく見えた。