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花びらひとひら手のひらに 前編(7)

「おれの親父はさあ、いわゆるアルコール依存症ってやつだったんだ。とはいっても昔はそうでもなくてさ。ただの酒好きの、気のいい親父だった。お店の清掃を請け負う会社の社長で、まあ、従業員は少ないけど、そこそこうまくいってたときは、家族旅行とかよく行ってさ、楽しかったことをよく覚えているんだ」


 思い浮かぶのは、親父がまともだったころ。

 幼い子供だったおれから見たおっきな背中。

 夜になると酔っぱらって絡んでくるのがうざくて、親父がしゃべるたびに吐き出す酒臭い息に鼻をつまんで抗議していま。


 すると親父は決まって『おまえにはまだこの味がわからないだろうな、お前は子供だから』と煽ってくる。『おれは子供じゃない』と言い返すとガハハハと笑って『じゃあ、一杯やるか』と勧めてくるまでがいつものやり取りだった。


 それを見た母親が『やめなさい』と言う。『ちょっとくらいいいじゃねえか、こまけえな』とか言いながら何だかんだ言って母親の言う通りにするのだ。

 毎晩、親父は野球中継を見ようとするのだが、六歳上の姉に見たい番組があるとごねると、『しょうがねえな』と口をとがらせて必ず譲る。


 そんな時もあった。


「でも会社の経営が苦しくなってきてから、親父は徐々におかしくなっていった。よくある話だけどさ。でも壊れる前の親父を知っているおれからすれば、日に日に壊れていく親父の姿を見ていくのはどうしようもなく辛くてな。重い何かにからめとられるように家族の雰囲気がおかしくなっていった。みんながみんな不安で、親父はどんどん酒を飲んで、ついには家族にまで暴力を振るうようになった。おれはそんな親父を止めることができなくてな。ほんと、無力な自分がどうしようもなく嫌いだったよ」


 今もだが。


「そんな、だってその時、康平君はいくつなんですか?」

「親父がおかしくなったのはおれが小学四年のときくらいだったかな。下には四歳の弟や二歳の妹もいたんだが、家族の雰囲気がおかしくなっていくにつれ、そいつらを守らなきゃっていう気持ちが強くなってさ。だから、次第に親父を嫌いになっていったのは、まあ当たり前だよな」


 当たり前だとは思う。でも心はそんな簡単には納得してはくれない。納得のいかない後悔がぐるぐると渦を巻く。


「一年前、っていうか、まあ、半年前ぐらいだな。母親がうつ病になって体調を崩した。親父はアルコール依存症になってから仕事しなくなってたからさ、母親がずっと家計をなんとかやり繰りして、パートで働いて、そのお金でみんな暮らしてたんだが、その母親が倒れるなんてのは一大事だった。それなのに、親父はまったく変わらなくてな。今でもその時のことは夢で見るくらいだ」


 それは寒い冬の日だった。

 いつものように親父が酒を浴びるほど飲んで、それを母親が必死で止めて、お互い興奮状態の取っ組み合いになった。


「母親に暴力を振るおうとする親父の前に立って、おれは親父に怒鳴った。『いい加減にしろよ。もう、うんざりだ。恥ずかしくないのかよ、そんなだらしない姿をさらして、挙句の果てに、母さんやおれたちにまで暴力振るって、それであんたは何がしたんだよ』ってな」


 家族みんなが凍り付いていた。姉だけは、二人を止めようと、泣きながら間に立っていたけど、それでも、やはりどうすることもできなかった。そんな空気が、たまらなく嫌で、そして母親の精神が限界に近付いているという現実が、おれを突き動かしていた。


「親父は気が狂ったようにおれを殴りつけた。それを止めようとする母親や姉を目で止めて、おれは言ってやったんだ。『殴りたいなら好きなだけ殴ればいいだろ。あんたは弱い人間だよな。酒に逃げて、弱い奴を殴って。おれは、もうあんたを父親なんて思わない。あんたのやってることは人間として最低のことだ。あんたのせいで、家族はみんなぼろぼろだ。おれはもうあんたと一緒に暮らしたくない。あんたなんて死ねばいい』って。親父は茫然とした顔を浮かべててさ。その時の顔が、ほんと、今でもこびりついて離れないんだ。なんで、おれは、あんなこと言っちまったんだってな」

「で、でも、康平君は悪くなんか」

「悪いんだよ。誰がなんと言おうが。『死ね』なんて安易に使うべきじゃなかったんだ。おれは本当はそんなこと望んじゃあいなかったのに。なのによお、なあ、信じられるか。そのあとすぐに、親父は死んだんだ。家の近くの公園の木の上で首を吊って。なあ、信じられるかよ。ほんとに、死んじまったんだ。あっけなく、おれらを残して」


 ぐつぐつと煮えだぎる熱のかたまりが、頭の中に注がれているような。頭の中が、脳神経が焼ききれるんじゃないかと錯覚するくらい熱くなった。


「馬鹿だよな。なんで死んじまうんだよ。おれはさあ、そんなこと、ほんと、望んじゃあいなかったんだよ。なのに、なのに、なんで、逃げてんだよ。先に楽になってんだよっ」


 そこで、おれは語りすぎていたということに気が付いた。今はおれの気持ちを言うべき時じゃない。それに、そんなことを語りたいわけでもなかった。


「おれが、なんで、あんたの気持ちを受け入れらないのか、きっとあんたにはわかんないと思うんだ」

「な、なんで、ですか」

「あんだけ仲良かった家族が、ちょっとしたきっかけで簡単に壊れるっていうことを目の前で見てないと、わかんないと思う。それに、怖いんだよ。おれも親父みたいに、あんなふうに、大事にしたい存在を傷つけちまうような、最低なやつになっちまんじゃないかって、怖いんだよ」

「そ、そんなこと、ないですよ! 康平君が、そんなふうになるわけ」

「……イメージがさあ、できないんだよ。おれが誰かと幸せになるイメージがさ」


 そして幸せになることが怖かった。


 おれの一言で、親父が死んだという事実が、絶えずとげとなっておれの心に激痛を引き起こす。真実なんてわからない。おれの言葉で親父が死んだわけではないのかもしれない。ただの想像だ。真実は、死んだ親父にしかわからない。でも、おれはそう思ってしまった。強く、強く、思ってしまったのだ。そして、それが今では冷えて固まって、消えない。こびりついて離れない。


「だからさあ、悪い。おれ、あんたと付き合えない。好きって告白されたことはうれしい。だけど、おれはあんたの気持ちにこたえられないんだ。ほんと、無理なんだよ」


 もう一度付き合えないという意思を、はっきりと伝える。

 おれにできる、ありったけの誠実さで、返したつもりだ。

 これで、もし、香苗がこのことを誰かに話して、噂になっても構わないと思った。

 そんなことよりも、告白してくれた勇気が嬉しかったのだ。

 こんなおれを、好きになってくれる人がいたということが、どれだけ力になるか。

 少しでもそれが伝わればいいと思った。


「こう、へいくんは、ずるいです。そ、そんなこと、言われたら、そん、なこと、言われたら、なんにも言えないじゃないですか」


 香苗は、子供のように泣いていた。さっきまでの狂ったような泣き方じゃなくて、どっちかというとしとしと降る雨のような、ぬくもりを感じる泣き方というのか。まあ、おれがそう感じただけなんだが。

 ぐずぐずと泣く香苗。その姿をいつまでも見てるのは気が引けた。

 自分の気持ちをありのままに伝えたせいで恥ずかしくもあったおれは、その場から離れることを選択した。

 充には悪いが仕方ないだろう。それにたぶん、あいつが残れって言ったのはこの告白のことでまず間違いないだろう。違ってても知らん。そんな気持ちで、おれは香苗の頭をポンと叩き、


「告白、ありがとな」


 できる限り笑顔で、そう伝えた。はっ。やっちまった。

 ……良かった。ビクッとなっていない。まあ、泣いてるから見えてない説濃厚ではあるが。

 机に置いてあった自分のカバンを拾い上げ、なおも泣く香苗を置き去りにしておれは教室の扉を開ける。

 すると、


「あ」


 充が、いた。

 おそらく、親友の香苗のことが気になって、聞き耳を立てていたのだろう。


「聞いてたのかよ」

「ご、ごめん」

「なんで泣いてんだよ、お前が」

「え?」


 充は、今気が付いたというような仕草で、目元を人差し指の腹でふき取っていた。


「な、なんで、わたし。あれ、なんで、泣いてんだろ」


 知らねえよ。と思いつつも、充の泣き顔を見ているとなにか胸がむずむずした。目をそらし、おれはその場を立ち去ることにする。


「あとは、頼んだ」


 ポンと、その肩をたたく。


「ね、猫」


 横を通り過ぎたときポツリと充がつぶやいた。


「猫?」

「ううん。なんでもない。じゃあね」


 充は首を振って、そのまま教室の中へと入っていった。


「なんだよ、あいつ」


 おれはそんな充のことを不思議に思いながら、その言葉が気になっていた。

 今の話と。猫。

 一つだけ思い当たることがある。

 だけど、そんなわけないか、と歩きだしたのだった。




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