花びらひとひら手のひらに 前編(6)
放課後。
充に言われた通り教室に残った。
というかあいつ、おれに残れとか言い出したくせに、自分の方はさっさと教室を出ていきやがった。どういうことだよ。ま、あいつの性格だからすっぽかすようなことはしないだろうけど。
なんて思いながら、部活も入っていないおれは、特に用事があるわけでもなかったので、大人しく充がくるのを待つことにした。
暇つぶしに窓を全開にして窓枠に腰かけ、聞こえてくるサッカー部や野球部の声をBGMにしてぼうっとする。
日差しは熱いが、生暖かい風が窓から入ってきておれの髪をゆらし、汗ばんだYシャツの中の熱気を少しは逃がしてくれた。
こうやってただぼうっとしているのも悪くない感覚だった。
目を閉じ、耳を澄ますと。
金属バットの爽快な打球音。吹奏楽部の奏でる様々な音色。演劇部の基礎練習だろうへんてこな声。
様々な音が聞こえてきた。それはただの音じゃなくて、人それぞれが奏でる、しかもその時だから聞こえてくる青春の音なのだ。
誰もが青春の一ページを謳歌している。
そういう音をなんにも考えず聞くのはなんだか心地よかったことを覚えている。
なんか、平和だな。
そんなことを思っていると、教室の扉が開く音がした。
「で、用事ってなんだよ、みち」
「あ、あの」
「る?」
充だとすっかり思っていたので、普通に話しかけたら、違う人だったという。こういうときって訳もなく気まずい。しかも相手は女の子だ。教室の外へと逃げ出したくなる衝動に駆られる。が、充のせいでそうすることもできず。
おずおずとぎこちない動作で歩いてきたのはショートの髪とスレンダーな肉体がスポーティな魅力を放つプレイリー少女。入野香苗だった。スポーティな魅力ってなんだよ、と自分で突っ込みつつ、おれは冷静を装う。
「うおっほん。なんだ、忘れ物か?」
「あ、あの、えっと」
入野香苗は顔を俯かせて、なにやらおれに話しかけたそうにしていた。
緊張でだろう、ひざやら手やらを震わせていた。
自分が何かしたのかと不安になってしまう。
「お、おい、大丈夫かよ」
そんなおれの言葉がきっかけになったのか。
入野香苗は息を大きく吸い込んで、叫んだ。
「好きです!」
その言葉を聞いたとき、胸の奥から熱いものがこみ上げ、頭を真っ白に染め上げた。
しかし、次の瞬間には一気に冷え込んだ。それは自分で思っていた以上に強い感情だった。
決して嬉しくないわけじゃない。
むしろ、嬉しい。
こんなに手足や声を震わせながら、それでもおれのことを好きだと告白してくれたその勇気が、精一杯の想いをぶつけてくれたその熱い感情が、嬉しくないわけがない。
入野香苗はおれの顔を見れないのか、ぎゅっと目を閉じて、ただおれの言葉を待っているようだった。
沈黙するおれにしびれをきらしたのか、入野香苗は瞼を徐々に持ち上げた。
クリっとした瞳を不安定に揺らす入野香苗をまっすぐ見る。
「まずは、告白ありがとな。うれしかった。こんなおれを、好きになってくれるなんて思ってもいなかったからな」
「いえ、そんな! 康平君はかっこいいですし!」
「かっこいい? おれが?」
「康平君のことは入学式の時から気になってました。ほかのひとと違って、どこか大人びていて、あの、かっこいいって思ってました」
「はあ……」
「み、充ちゃんも、入学式のとき、康平君のこと気にしてて、だから……その」
「おれが大人っぽいっていうのは、正直、見当違いだな。おれはみんなと変わらない、中身はガキなんだぜ? エロいことを考えもすれば馬鹿なことを言ったりもする。充から聞いてないのか?」
「み、充ちゃんは!」
おれの言葉に、いや、充という単語に反応して、入野香苗は小型犬が敵を威嚇するように叫んでいた。そのことに気づいた入野香苗は、はっと気まずそうな顔を浮かべ、かすれる声で続けた。
「ごめんなさい。じ、自分で言って、ほんと勝手なのはわかってるんですけど。み、充ちゃんは今、関係ない、です。今は、聞きたく、ありません」
その瞳が、今は告白の答え以外の言葉を聞きたくないと、語っている。
おれはその真剣さに息を飲んだ。
だからおれもせめて本気で返そうと思った。
「悪い」
いろいろ考えても、結局こぼれた言葉はどこまでも普通で、どうしようもなくありきたりで、でも様々な感情をこめて吐き出したつもりだった。
しかしやはり言葉足らずだったのだろう。
今まで緊張して張りつめていた糸が切れたように、香苗は大粒の涙を流し、嗚咽をもらす。
なんと声をかければいいのか。かけるべきではないのか。
迷っていると、香苗は叫んだ。
「な、なんで、ですか! や、やっぱり充ちゃんのことが好きなんですかっ」
とりあえず落ち着かせようと考えはしたのだが、香苗の必死な形相に気圧されてしまう。
「みち、充ちゃんはやめておいた方がいいと思います」
いっそこのまま吐き出させた方が楽になるなら、そうさせた方がいいかと、その時のおれは思っていた。今思えば止めてあげた方がよかったのかもとは思うが、その時のおれもかなりテンパっていたのだ。後悔先に立たずってやつが身に染みてわかる出来事だった。
「み、みちる、ちゃんは、変なしゅ、宗教に入っているんです。み、みちるちゃん、昔からしゅ、宗教に熱心で、ほんとおかしいんです。周りからへ、変な目で見られるのは、ほんとみちるちゃんのじ、自業自得で、みちるちゃんほんとに『神を信じてる』とか言ってるんですよ。そ、それで、それをと、友達の、わたしにも勧めてく、くるんです。それが正しいってほんとに思ってるんですよ、ほ、ほんと、みちるちゃんってかわいそう。お父さんやお母さんにせ、洗脳されてるのに、それに気づいてなくて、みちるちゃん美人なのに、そんなんだから友達、できなくて、だ、だからわ、わたしが、わたしだけは、そばにいてあげてる、のに」
もう自分でも何を言っているのか、わからないのかもしれない。ただ胸に押し寄せてくる感情を、思いを、おれにではなく、ここにいない充に叩きつけるように叫んでいた。
「なのに、み、みちるちゃん、康平君にだけは、じ、自分の宗教勧めたりしてないんですっ。ね、猫かぶってるんですよ。ほ、ほんとは、すっごく変な宗教、信じてるのに、それを康平君の前だけか、隠してるんです、それっていやらしい、ですよね。そ、それってきっとわ、わたし、康平君のこと、好きなの、し、しってる、はずなのに、わたしの、き、きもち、知ってるはず、なのに、こ、康平君のことを、きっと」
言葉にして、本当にそれが正しいことのように思えて興奮しているのか。荒い息を吐きながらも語気は強まる一方だった。
その時の香苗の中では、充が本当にひどい人間のように思えたのかもしれない。
「それって、ほんと、卑怯だと思いますっ」
目をぎゅっと瞑り、全身の力を振り絞って吐き出した香苗の言葉は憎悪に染まっていた。しかしその表情はどこまでも痛々しい。香苗の表情を見て、憎悪よりもこんなことを言ってしまった嫌悪感の方が遥かに大きいのではないかと、おれには思えた。
香苗は居たたまれない気持ちに耐えきれなくなったのかその場を去ろうとして、
「ちょっと待ってくれ」
背を向けた香苗の手を瞬時に掴んで止めた。今この場を立ち去られたら、主におれの精神的ダメージが大きすぎる。おれのせいで二人の関係が悪くなるなんて考えたくもない。こういうのは時がたてば解決するものじゃない。そうおれは身をもって知っている。
鉄は熱いうちに打てとかいうだろ?
あれ、それは違った意味か。とにかく、ここで帰すのはやばいとおれの直感が告げていた。熱いものが冷めて凝り固まったら、こびりついて離れなくなるように、最初はただの思い込みも時がたてばそれが真実のようになってしまう。その前に、なんとしても誤解を解いておく必要があった。
「充は関係ないんだ。だから頼む、まずはおれの話を聞いてくれないか」
「……な、なんで」
香苗は気まずそうな顔を浮かべて、戸惑いながら問う。だからおれは、できる限り自分の気持ちが伝わるように、言葉を紡いだ。
「おれが言うべきことじゃないのはわかってる。だけど、おれにはお前が同情とかそういう気持ちで充のそばにいるようにはどうしても思えないんだ。今の言葉も本心だとは思えない。仮に、その言葉が本音だとしても、だ。それを本気にする必要はないんじゃないか。心は自分で思うよりずっと嘘つきなもんだぜ。そんなもんを信じるよりも、どうせなら良い方に嘘ついて、それを信じたほうがいいんじゃないか? とにかく! せめておれがなんでお前を受け入れられないのか、聞いてから判断してくれ」
こんな自分のせいで、二人の関係が壊れるのがとにかく嫌だった。焦燥感に近い。きっとこの感覚は、おれが香苗を受け入れられない理由と同じとこからきているのだ。
コクリと香苗がうなずくのを見て、手を離し、ゆっくりと理由を話すことにした。