花びらひとひら手のひらに 前編(5)
それは夏の日差しが、窓際の席に座るおれの顔に当たって眠りを妨げてくる、お昼休みのことだった。
期末テストも終わり、あと二日学校に行けば夏休みになるということで、周囲は少し浮ついた空気になっていた。
夏休みどこに行く? とかいう話題がちらほら聞こえてくる中、目がすっかり冴えてしまった。窓の外に見える入道雲を眺めて、頬杖をつきながらぼうっとする。
「あのさ。ちょっと、あー……。いい?」
すると充が話しかけてきたのだが、口調に違和感を覚えた。
普段ならさっさと要件を話すだろうに。こんな歯になにか挟まったような物言いはしない奴である。
「なんだよ、お前らしくなくて気持ち悪いな。なんだよ?」
「わたしらしくって、だからなに」
むっと顔をしかめる充。そんな顔も目を惹くのだから美人というのは得だ。
「で?」
「えっと、さ」
用件を話すよう促すと、またもや充は言葉を濁した。頭の中で言葉を選んでいる感じだ。
やっぱりいつもと違う。
「その、あんた放課後、とか、時間空いてる?」
「放課後? なんでだ?」
「なんでって」
ごにょごにょと口をすぼめる充。
なんだこの反応。
さてはこいつおれのこと好きな可能性があるのでは。
などとくだらないことを考えた。
「なんだその反応、なに、もしかしておまえおれのこと好きなの?」
あまりにもくだらないから、そのまま口にしてみた。
「ば」
すると充はパクパクと金魚みたいにその桜色の唇を開閉させた。
「な、なんでそうなるの! あんたのことなんてこれっぽっちも好きになる要素なんてないから! ほんと、康平なんて豆腐の角に頭ぶつけてのたうち回ればいい! 馬鹿!」
顔を真っ赤にさせ否定してくる。
ふむなかなかいい反応をするな。
ニヤニヤしていると充は我に返ったらしい。
「一瞬で目が覚めた。どうだろうか。笑うと、あんたほんと凶悪犯罪者顔になるのだけれども。気をつけたほうがいいんじゃないかな。今、康平が将来そんな笑顔を向けて小さな子供たちと遊んでいたら通報される未来が垣間見えた」
「ふぐっ」
「はあ、なんか悩んでんのが馬鹿らしくなったんだけれども。あのさ、放課後ちょっと居残ってくれない? 教室にだれもいなくなるまで」
「はあ?」
おいおい。その誘い文句とか、狙ってるのかと思った。
「おまえ、まさか本当に……」
「ちがあう! もしあんたにわたしが告白しようとしているならこんなに冷静に話しかけるわけないでしょ! 親指に洗濯バサミはまれろ! 馬鹿!」
「今、冷静じゃなくなってるな」
「違う! ば、馬鹿!」
「おおう、おれは馬鹿だが、そこまで精いっぱい馬鹿にされるのも案外悪くないな」
「なんなのよ、もう。康平といると疲れる。大体ね、わたしはそういうこと考えられない立場なわけ。康平も知ってるんでしょ? 小林君があんたに話してるの聞いてた」
だよな。そう、小林君の悪口は陰口ではないのである。本人は陰口のつもりなのかもしれないが、本人の近くで堂々とそういうことを言っちゃうあたり、逆に清々しい。
そんな無邪気な笑顔が素敵な小林くんではあるが、小林くんはなぜかみんなからうざがられている。まったく不思議だ。
「わたしの宗教では、信者以外の人間とは結婚とかそういうことしちゃいけないの。さらにいえば、わたしの宗教は、恋愛=結婚っていうこと。つまり付き合うっていうことは結婚を前提に考えた真剣なお付き合いなわけ」
「ふーん」
「堅苦しいと思う? でもね、わたしはそう思わない。むしろわたしは誇りにしてる。宗教に毒されてるから言われたままにするんじゃない、わたしがしたいからするの。もちろん、それは生まれた環境によるのかもしれないし、人とは違う堅苦しい生き方なのかもしれないけど、それを洗脳だとかマインドコントロールだとかで片付けられたくなんかない。そんなこと言ったらみんなそうじゃない。自分の生まれた場所なんて選べないし、親から教えられることによって考え方は違ってくると思うもの。だけど、わたしの親は少なくともわたしに『考えなさい』と教えてくれた。誰かが言うから『正しい』んじゃなくて、『それが正しいかどうか常に考えなさい』って。わたしは、それは正しいと思った。だからわたしはいつも悩んでる。いろいろと悩んで、そうやって決めてる。だから周りがどう思おうが、わたしはわたしが正しいと思うことをするの。知らない誰かにわたしのことを憐れまれないために」
「ふーん」
なんか思わないところで、充の本心、根幹の部分に触れた気がする。
充は自分の生まれた環境についてわりと冷静に見ている気がする。そりゃそうだ、山奥かなんかで暮らしているわけじゃないのだ。学校で得た知識と周りがどう思うのか把握したうえで、なおも、自分の宗教の教えを守っているらしい。
そこにはただ単純に宗教の教えを信じる、というだけではない、複雑な感情が絡まっているのだろう。
それは親だったり、宗教を同じく信じている仲間であったり、そうした様々な人間関係も絡んで今の充がいるのだ。
人というのは一面では計れない、多面的な生き物なのだろう。
いやそれは人に限らない。
物事すべてに当てはまる。
物事を一面だけでとらえて極端な行動をとるとき、人は狂信者と何も変わらない排他的な人間になってしまう。
きっと充にも人には言えないような醜い部分はあるだろうし、逆に言えばおれから見た充の美点と思える面もあって、見る角度によって、人によって、充という人間は変わるのだ。
もちろん、信じるものが違うゆえに価値観が異なることはあるだろうし、理解できないこともあるだろう。特に輸血という問題は、理解しがたい。自己決定できる大人ならまだしも、子供の命が危険な状態になった場合、宗教の教えを優先してしまうなど、考えられないことだ。だけど、その教えが充の宗教のすべてではないのだろう。
で、おれは、さっきの充の言葉から、充らしい『まっすぐな』信念を感じ取った。それを美しいと思ったのだ。だからおれは充の言葉を素直にすごいなと思う。
だって堂々としている理由が『憐れまれたくない』っていうのは、いかにも充らしいじゃないか。もっと澄ました理由とか挙げてもいいだろうに。
なんて普通で、当たりまえなことを言いやがる。
だからこそ納得してしまったわけだが。
「ふーんって。なんか、おざなり。まあ、こんなことあんたに言っても仕方ないのはわかってるんだけど。って、なんでこんな話になってんだろう。なんでかな、言っちゃった。はあ、馬鹿だなわたし」
「そんなことはないって。ちゃんと聞いてたっつーの。お前は馬鹿だ」
「そこじゃないっつーの。っていうかあんた喧嘩売ってんの? さっきわたしがあんたに馬鹿っていったこと、ほんとは根に持ってるんじゃない?」
「さあ、それはどうかな」
「とにかく、放課後残りなさい。い?」
「わーったよ」
なんて返しながら。
眞人、お前、とんでもないやつを好きになっちまったな。
とこのとき、眞人の恋が思った以上に前途多難であることに気づいたのだった。