花びらひとひら手のひらに 前編(4)
誰かと仲良くなっていく過程というのは、なんてことの無い日常の積み重ねによって形成されていくのだろう。
例えば、中間テストの前後頃、学年で鬼ごっこなるものが流行した。
女子はスカートが気になるらしくあまり参加しようとはしなかったが、充はなぜか参加していた。
「あーちょっと。あんたよ。そこのあんた。なんで後ろ確認してんの。わたしがあんたって呼ぶの康平ぐらいしかいないのだけれども? わざとらしいなあ。とにかく。危ないじゃん。廊下走らない、これ常識」
きっかけは充が鬼ごっこに熱中していたおれに向かって注意してきたことだった。
おれは断固抗議した。
「おい、歩いて鬼ごっこなんかできるかっ、十分注意するから、鬼ごっこさせてくれ! おれは鬼ごっこがしたいんだっ!」
「あんたどんだけ鬼ごっこ好きなの? 小学生じゃないんだし。もう中一なんだから時と場合を考えなきゃいけないでしょ。もうちょっと大人になったらどうだろうか」
「へっ、大人になりなさいとかそういう小難しいこと考えてるからそんなにおばさん臭い性格になるんだよっ」
「はあ? おばさん臭い? はっ。聞き捨てならない……。覚悟はできてるんでしょうね」
「って、眞人が言ってました!」
やばいと思って眞人になすりつける。
「え、僕そんなこと言ってないよ!」
ハトが豆鉄砲食らったような顔を眞人が浮かべたのを見て、ぶふっとおれは噴き出した。
「なに人のせいにしてんの、眞人がそういうこと言うわけないでしょ、って逃がすかああ」
鬼の形相になった充から逃れようと走り出し、それを充がムキになって追いかけ始めたことがきっかけだったような気がする。
鬼ごっこでは、おれと充との一騎打ちになることが多かった。
いつの間にか鬼ごっこのときのおれたちのあまりに真剣な様子と恐ろしさから、『風神と雷神』と周囲には恐れられていたらしい。
どっちが雷神か風神なのかはわからないが、まったく失礼な話だ。遊びというのは本気でやるものなのだから、真剣になるのは当然だ。
眞人は、というと、ドジッ子属性をこのときに遺憾なく発揮していた。
鬼から逃げようとするのだが、何もないところで転ぶ。
もはやなにかのお約束か、というくらいに。
転ぶたびに、『あれ、おかしいな』って首をひねって不思議がるのだが、おれはおかしいとは思わなかった。
それが眞人のキャラであり個性だと思っていたのだ。
なにも変なところはなく、むしろ眞人に関してはそれがデフォなのだ。
眞人が転ぶと、充が決まって『気をつけなよ』と助け起こしていた。
そのときにちょっとうれしそうな顔を浮かべる可愛い眞人を見て、『ああ、こいつらお似合いだな』なんて微笑ましく見ていたものだ。
愛くるしくてドジっ娘属性を持っているけどあくまでもノーマルな眞人と、しっかり者で美人の充という関係性は、おれはお似合いに見えたし、そうなればいいなとひそかに思っていた。
さてそんな日常の中、ほんの少し、二人のことを知る機会はあった。
まず眞人だ。
なぜあんなにもHR委員や目立つ役を進んで行うのか、その理由がわかった。
眞人には二つ上の兄がおり、ふとした時に話題に上る。
眞人の兄、拓斗さんはこの中学の生徒会長であり、サッカー部では攻撃の要となるトップ下を担う存在だった。
拓斗さんが入学式の送辞や体育祭の準備進行などで、各種学校行事を先導している立派な姿を見てはいたが、まさか眞人のお兄さんだとは。
眞人はそんな拓斗さんのことを話したりするとき、キラキラと目を輝かせて、『兄ちゃんはすごいんだ』と思っている顔になるのだ。
その姿はどこまでも真っ直ぐで、本当に憧れているからこそ、あの姿を追いかけているのだろうなと、おれは思い至った。眞人は口に出して兄をべた褒めすることはなかったが、一緒にいれば、本当に拓斗さんが好きなのだということがわかる。
身近に追いかける対象があるってのはすごいことなんだな、とそんな眞人を見て思ったものだ。きっと拓斗さんと自分を比べて落ち込むことはあるのだろうけど、眞人はそれを腐らせる原因にはしていない。
拓斗さんの存在をしっかりと自分の糧にしている。
それが眞人のすごいところで、おれは一層眞人を尊敬するようになったのである。
で、充である。
充については本人というよりも周囲の人間の噂話から情報が入ってくる。
なんでも男子生徒によく告白されているらしい。
これはおれも目の当たりにしたことがある。
あれは入学式が始まって一週間も経ってない頃の事だ。
三年生の男子生徒が教室に突然入ってきたことがあった。
ほんのり茶色にした髪をおしゃれに整えた男子生徒だった。ほら、なんかギターとか弾けそうな感じの。
なんせ黙っていれば充は美少女である。その外見に騙されて一目ぼれするのも無理はない。
のちには女優業をこなしながらもテストは常に学年一位を維持をし続けるような化け物、もとい成績優秀者でもある。ピアノ伴奏もできれば、運動神経も抜群だ。なにこの完璧超人。おれなら初対面でこんなやつに告白する勇気すら湧かないわけだが……。大丈夫だ眞人、お前ならいける!
結局その生徒はあえなく撃沈したが、噂に聞く情報によるとその後も絶え間なく告白されているようだ。そのせいで上級生の女子生徒から目をつけられ、校舎裏に呼び出されたことまであるらしい。
女子って怖いな。
ほかにも、充の親は変な宗教に入ってる、なんてものもあった。
充の親が入ってる宗教は盲信的で熱狂的な信者が多くて気持ち悪いだとか、輸血もしないとかなんとか。
新興宗教の類らしく、理性的にも感情的にも日本人の常識から考えると忌避すべき要素が詰まったような、そんな宗教らしい。
なんていうことをクラスでも結構なKYの持ち主、小林君が実にいやらしい笑顔で話してくれた。
他人の悪口を言うとき、人ってすっげーうれしそうに話すのは、なんでなんだろうな。
いつもなら嫌な印象を受けるのだが、小林君はなにも考えずに話しているのだろう。
無邪気な笑顔が素敵だった。
小林君の情報提供をそのまま鵜呑みにしたわけではないが、充を観察してみれば、違和感はあった。
目立つ出来事として、充は校歌を歌わない。
校歌以外の全体合唱曲のときは、堂々と綺麗な声で歌うのに、だ。
そのことを教師は注意しようとしない。
やはりそれも宗教の教えが関係しているのだろう。
正直うさんくさいとおれも思う。
校歌の何がいけないっていうのか。
別にそんなもんどうでもいいだろう、と。
他にも違和感はあったのだが、校舎裏呼び出し事件も重なって周囲から浮いた存在になっていた。
別にいじめられているような空気ではないのだが、一線は引かれているような感じだ。
だが、充の方はその事を全く気にした様子はなかった。
侮蔑の視線を注ぐようなグループの女子に対してでさえ、平然と話しかけて、楽しそうに会話をしているという、カオスな状態である。
おれだったらどうだっただろう。
特殊とされる、カルトと呼ばれるような宗教に入っていたなら。周囲の人間にどう見られるか気にしてしまうかもしれない。空気を読んで話しかけないか、ぎくしゃくした孤高の空気みたいなものを発してしまうかもしれない。
そんな充だが、いつも一緒にいる女の子が一人だけいた。控えめな感じの女の子、プレイリー少女こと入野香苗だ。
控えめとはいってもショートの髪が愛くるしいそこそこの美人であり、大人しい印象なのに、陸上部に入っていて、しかも県大会では屈指の成績を持つスポーツ少女でもあった。
ちなみにこれも小林君からの情報提供である。
その情報をもらったときは特に気になることもなく、馬耳東風を決め込んでいたのだが、突然その時のことが脳裏によみがえってくる事態になったのだから、あながち小林情報も捨てたものではないと思う。
なんとその入野香苗に告白されたのだ。