フィーブ・キール 2
三年が過ぎた。
オレは、ボルティモアの城で、十七になった。
三年の間に、ボルティモアの城も変わった。
城主の未来の奥方というのが、城に迎え入れられたこともあって、どちらかといえば、武張った印象が強かった城の内部が、華やいでいた。
まぁ、それは、城の奥向きというか、下というか、基本的に、塔で生活しているオレにはほとんどかかわりのないことだった。
オレの背は、三年前と比べものにならないくらい、高くなった。
反して、色が、白くなったようだ。
朝晩の食事と、蜜がなくなったりしたときに、オレは自分で厨房に貰いに出向く。――本来なら、そんなことは、別のものの仕事だが、そうでもしなけりゃオレは、とことん運動不足になってしまう。ま、今更な気もするが。――そうして、厨房で気安くなった女衆に、うらやましがられる。
色が白いって、男が言われて嬉しい言葉じゃないんだが、心底いいなぁと言われると、へらりと笑ってしまう。
そんなところオベールにでも見つかったら、騎士らしくないとチクリとやられるんだろうが、この城でのオレに騎士らしくあれなんて言うのは、彼くらいなものだ。
だれだって、知っている。
そう、オレは、この城で、飼い殺しにされているだけなのだ。
人質という厄介な存在を遊ばせておくのも無駄だと――誰が考えたのかは知らないが、一応、オレはこれでも隣国の城主の甥であるから、理由もなく殺せない。で、ていよく厄介払いした先が、塔の宝物――竜のことだ――の番なのだろう。
城主の秘密。
業病に憑りつかれて弱った城主の命の源。それが、竜の血であるのだと、オレは、知った。
そんなことを知ったオレが、無事に国に帰されることがあるとは、思えない。
おそらく、オレの伯父が牙を剥くそぶりを見せれば、オレはその場で殺されるに違いなかった。
そう。
城主の秘密が、外に漏れる心配は、ないのだ。
「フィーブ」
竜の深い声で呼ばれて、オレは、物思いから我に返った。
「どうした?」
竜の金の色した瞳が、オレに向けられていた。
この三年で、竜も、変わった。
いや、見てくれには、変化はない。
ただ、少しずつ人がましくなってきたとでも言えば、しっくりくるだろうか。
まだたどたどしさは残るが、しゃべれるようになった。
そうして、歩くこともできるようになったのだ。
―――これらは、城主には、内緒だが。
限られた塔の内部を、鎖の尽きる範囲を、竜は、歩く。
ゆるやかに、音をたてることもなく。
その姿は、竜と呼ばれるには、ふさわしくない。
蜜と清水を糧とするその姿は、竜というよりも、どこかの王族にたとえるほうがしっくりとするような気がする。
「今日は、ボルティモアが、来る」
切れ切れに告げられた言葉に、オレの顔が強張ったのだろう。
「大丈夫。ボルティモアの目的は、あくまで、私だ」
やわらかく笑む竜に、オレは、言葉もない。
オレが慰められてどうする。
目の前で笑んでいる竜のほうが、よほど、城主の訪れを恐れているというのに。
「悪い」
「いや。夜、フィーブは、そこに。でてきては、ダメ、だ」
スクリーンを指し示し、竜が、言う。
「でも……」
「フィーブに、見られたくない」
青ざめた白皙が、その内心を物語っている。
けれど、オレに、なにができるだろう。
オレは、竜の番人で、その前に、隣国の人質だ。
「わかった。オレは、そこに、いる。だから」
「ああ」
「アーキス――――」
オレが、竜では呼びにくいからとつけた名を、噛みしめるように、口にする。
「だいじょうぶだ」
アーキスは、にっこりと、笑って、そう言ったのだ。
城主がアーキスの血を思う存分啜って、後も見ずに塔を去る。いつものように、オベールが、付き従う。
ふたりの姿が消え、足音が聞こえなくなるまで待てなかった。
オレは、詰めていた息を吐き出して、慌てて、アーキスに駆け寄った。
「アーキス。おいっ。だいじょーぶかっ」
くったりと青ざめたアーキスが、オレを認めて、かすかに笑んだ。
枷にしなりそうな細っこい腕が持ち上げられて、オレの頬にそっと触れた。
「だいじょうぶだ。そんな、心配そうな顔をするな。私は、これくらいでは、死なない」
「けどっ」
死ぬより辛そうだ。
「な。フィーブ。水をくれないか」
「ああ……ごめん」
オレは、アーキスに衝撃を与えないように壁にもたせかけると、水瓶を覗き込んだ。
「ほら」
オレが、水を汲んだ椀を口元に持ってゆくと、アーキスは、よほど渇いていたのだろう、喉を鳴らして、飲み干した。
「もう一杯?」
「たのむ」
オレは、無言のまま、二杯三杯と、アーキスに、水を飲ませた。
幾杯目なのか。
ほう――――と、アーキスが吐息をこぼした。
「蜜は?」
「いい。それより、フィーブ………」
ゆったりと、アーキスが、両腕をオレの首に回した。
チャリ――と、鎖と枷が触れ合う音が、聞こえた。
かすかに震えているアーキスを抱きしめて、オレは、そのまま、横になった。
三年、寝起きを共にしていて、いつしか、オレとアーキスは、抱き合って眠るようになっていた。
――ただ、抱き合うだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。けれど、その行為は、アーキスとオレの、恐怖や不安を、遠くへと押しやってくれる。互いのぬくもりが、互いを、癒してくれるのだ。
オレとアーキスは、抱き合ったまま、深い眠りへと、落ちていった。
その日、オレは、塔から降りていた。
蜜と水の補充のためだ。
蜜はともかく、水は頻繁に変えなければ悪くなる。もっとも、水瓶は三年前のオレが運べなかったから、力仕事専門の男が、塔まで運び上げてくれる。そんな時、彼らに見られないよう、アーキスは、オレが引きずり出したスクリーンの影にいる。
きっと、彼らは、塔に囚われているアーキスを見れば、仰天するに違いない。なぜなら、竜が実際にいるということを、彼らは知らないのだ。オレが塔で生活しているのは、竜の番人のためではなく、塔に仕舞いこまれている、ボルティモア一族の秘宝の番人ということになっている。
厨房で壷に蜜を満たしてもらい、オレが塔に引き返そうとしたとき、
「よいところに」
突然、声がかけられた。
見れば、オベールが、立っていた。
小姓頭が、厨房に? おかしなことがあるもんだ――――そんなことを考えていると、
「キールどの。殿のお呼びです」
思いもよらないことを、言われて、オレは、目を見開いた。
いったい何の用なんだ?
今までこんなことはなかっただけに、不安になる。
それに、昨日の今日である。
いくら、スクリーンの影に身を潜めていたとはいえ、気配は感じる。音も聞こえる。
獣じみた城主の荒い息と、血を啜るぴちゃぴちゃという音は、静まり返っている塔では大きく響いたのだ。
首をかしげながら、オベールの後を歩いていたオレは、城主の居室に通された。
そこで、オレは、城主に………。
貞操の危機を逃れられたのは、城主の未来の奥方のおかげだった。
オレよりも年下の、幼い未来の奥方は、かなり気が強いらしく、戸の外に控えていたオベールの制止を振り切って部屋に入ってきたのだ。
その隙に、まろぶようにして、城主の居室を後にしたものの、オレが行くところなど、ひとつしかない。
しかし、こんな最低最悪の気分のまま、アーキスのいる塔に帰りたくなかった。
なんというか、城主が本気だったら、オレに、抵抗しきることは、不可能だ。
どうすればいいのだろう―――――
がんがんと聾がわしい鼓動の音に、オレの思考は、まとまらない。
城主の、倒錯趣味は、厨房などではひそかな噂のネタになっていたから、オレも知ってはいる。しかし、いったいなんだって、城主は、オレに触手を伸ばしたのか。
城主には、オベールほか、かなり見目麗しい小姓たちがいるというのに。
背筋がそそけ立つ。
城主の、思いのほか固い掌の感触が、首筋を這いずったくちびるのぬめぬめとした感触が、ふいに、よみがえったのだ。
結局、なにをどう悩もうと、オレの脚は、塔に向かう。
この城の中で、オレがいることができるのは、そこしかないのだから、当然のことだ。
アーキスに気づかれないように、できるだけ、平常心を保とうと、深呼吸を繰り返し、着衣の乱れを、直した。
けれど、
「フィーブ、どうした」
そんなことは、アーキスには通じなかったらしい。
こっちへ――そう招かれて、オレは、へたりこむように、アーキスの傍らに座り込んだ。
凝視してくるアーキスの視線は、痛いくらいだった。
どうしようもない震えが、こらえても、こらえても、湧き上がる。
「私が、恐いのか?」
背けることのできない視線が、痛いくらいに開いたままの瞼が、ただ、金のまなざしを映していた。
どこかしら不安げな、縋るような、金の瞳に、オレは、やっとのことで、首を左右に振ることができた。
アーキスのことは、恐くはない。
それは、本当のことだ。
恐いのは、これから、なにが起きるかということだ。
そう。
どさくさにまぎれて、城主の手を逃れることができたとはいえ、二度目がないとは言い切れない。
おそらく、今日のあれは、城主の気まぐれに過ぎないとは思うが、二度目があれば、オレには、抗うことは、できない。
城主は、つねに、切り札を持っている。
切り札は、有効に使うべきものだ。
もしも、オレの国のことを持ち出されれば、拒絶することは、できない。たかがオレを――抱くためだけに、それを使うなどとは思わないが、それでも、絶対無いとは言い切れない。他人の考えなど、そうそう、読みきれるものではない。
「フィーブ」
ふと、先ほどまでとは違う、アーキスの強張ったような声音に、オレは、我に返った。
ぐい――と、アーキスの白く細い指先が、オレの首の付け根に押し当てられた。
「な……に」
そこは―――
ぞわりと、下でのことが、脳裏によみがえる。
今まさにアーキスが指で押しているところを、城主のくちびるが、ぬめぬめと這いずったのだった。
「うわっ」
あの、唾棄したいほどの、怖気が、嫌悪が、背筋を沸き立たせた。
とっさに、襟をきつく合わせようとしたが、遅かった。
アーキスの、いつもは優雅な動きを見せている繊手が、まるで獲物に襲い掛かる蛇めいた素早さで、オレの着衣の合わせを、くつろげたのだ。
目をつむってしまったのに、痛いほどに、アーキスの視線を感じた。
心臓が、壊れんばかりに荒い動きを繰り返す。
ほっ――と、アーキスの吐息を感じた。
恐る恐る目を開けてみると、アーキスの視線が、放心したようにオレを見下ろしている。
「ロ……イ?」
声が、上ずる。
「あっ……」
気まずそうに、アーキスが、オレの着衣から手を放した。
「すまない」
ギクシャクとオレから顔をそらせたアーキスの頬から首や耳が、真っ赤に染まっている。
なんだか、その様子がとても可愛く見えて、オレは、声をあげて、笑ってしまった。
「わ、笑うんじゃな……い」
一層真っ赤になったアーキスの顔が、強張り、最後のひとことが、力なく床にこぼれ落ちた。
青ざめたアーキスの表情に、その視線をたどる。
オレの、背後、そこにいつからいたのか、城主とオベールの姿が、あった。
ふたりもまた、アーキスに負けず劣らず、その場に、凝りついている。
しまった――――と、後悔しても、遅すぎた。
オレは、ふたりに、アーキスがしゃべるようになったことも、動けるようになったことも、ましてや意識が普通にあるなどということは、報告していなかったのだ。そんなもの、オレの仕事内容に含まれてはいなかったからだ。――もちろん、オレの言い分が欺瞞だということは、百も承知の上だが、あくまで、オレは、竜の番人なのだ。
どうすればいいのか、オレにはわからない。
こんな状況など、考えたこともなかった。
そう。
彼らがここに来るのは、十日に一度の深夜。
オレが番人になった三年間、それが一度たりとも破られたことのない、習慣だった。
だから、油断しきっていた。
まさか、今朝のような、思いもよらない出来事など、想定したこともなかったからだ。
今この時の、城主の用は、おそらく、オレなのだろう。
昨夜の今朝で、ここを城主が訪ねる理由など、ないのだから。
凝りついた空気に、最初に我を取り戻したのは、さすがと言うべきか、城主だった。
「竜の意識が………」
それで、おそらく、全員のこわばりが解けたのだ。
身を翻した城主を、オベールが追いかける。
ドアが、聾がわしい音を響かせて閉ざされた。
「逃げよう」
オレの言葉に、アーキスが、信じられないものを見るように、オレを見上げた。
「無理だ」
「こんなもの」
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忌々しい鎖と枷とを、オレは、力任せに引っ張った。
「やめるんだ」
悲痛な声に、オレは、手から力を抜いた。じゃらりと、鎖が音をたてて床にとぐろを巻く。手が痺れていた。
「それには、私の血が混ぜられている。だから、どんな得物を使おうと、断ち切ることは、不可能なんだ」
「でも、なんか方法があるはずだ。鍵穴があるんだから、鍵さえあれば………」
「どうやって、鍵を見つけるつもりだ?」
「どうせ、城主か、そうでなければ、オベールが持ってるだろう」
―――盗む。
そう決意した刹那、
「フィーブには、守らなければならないものがあるのだろう」
アーキスは、そう、静かに、口にした。
オレの背中が、ぎくり――と、逆毛立つ。
そうだ。そのために、オレは、ここにいる。
けれど………。
アーキスの意識はある。動くことができる。しゃべることもできる。
それらを知った今、城主が、どんな手段をとるか。
考えるだけでも、不安になる。
竜が、アーキスが、なにをされるのか。
閉ざされているだけでは、すまなくなるかもしれない。
塔から地下に移されでもしたら。
まだ、ましなのだ。そう。閉ざされているにしても、空気の通りが良い塔は、まだ、地下に比べれば、遥かに、ましな待遇だと言えるだろう。
地下は、じめじめと、からだに悪い。地下牢に長年閉じ込められた囚人たちがどんな最期を遂げるのか、考えるだけでも怖気が走る。
アーキスがそんな目に合わされでもしたら………。
口にするものといえば、蜜と清水だけ。そんな存在が、過酷な環境に、耐えられるだろうか。
「フィーブの、きもちだけで、充分だ。その肩にかかっているものを、優先するべきだろう」
泣き笑いめいた表情で、アーキスが、ゆっくりと、告げた。
「私のために、罪を犯すひつようなどない」
「でもっ」
「大丈夫だ。考えてみればいい。私は、城主の、最良の薬。薬を、城主が必要とするかぎり、私を今より酷い目に合わせることは、ない。だから、フィーブは、肩にかかっているもののことだけを、考えろ」
アーキスの静かな声に、オレは、どうしようもなく、ただ、あふれ出る涙をとめることもできなかった。
――――泣きたいのは、誰でもない。アーキスのはずである。
そうわかっていても、どうすることもできなかったのだ。
アーキスが言ったとおりだった。
アーキスの身の上には、直接の変化はなかった。
ただ、オレが、塔から下ろされただけで………。
オレは、竜の番人を、やめさせられたのだ。
オレの代わりに番人になったのは、オレの知らない男だった。
こればかりは譲れないと、首を縦に振らなかったオレに当身を食らわせ、オベールがオレを引き摺り出した。気がついた時、オレは、塔から連れ出された後だった。そうして、無理矢理、城主の小姓組に、入れられたのだ。
最後に見たアーキスの金色の瞳に宿されていた、諦観が、オレの脳裏には刻み込まれていた。
どんなに、アーキスの意識を目覚めさせてしまったことを、後悔しただろう。しゃべれるように、歩けるように、少しでもアーキスが居心地よく過ごせるようにと、そうしたことを、後悔した。
それに、なによりも、オレは、アーキスに会いたくてならなかった。
アーキスを抱きしめて、眠りたかった。
アーキスのために、塔にいたかった。
こんどの番人は、アーキスにやさしくしているだろうか。
アーキスは、新しい番人に、馴染んだだろうか。
ふたりが、親しくなれたのなら、いい。そう思った時、オレの胸は、痛いくらいに縮まった。
けれど、番人が、アーキスにやさしくしていないのなら―――――。
どうにかして、知りたかった。
小姓の仕事の合間を縫って、オレは、何度も、塔に近づいた。なんとかして、アーキスのところに行けはしないかと―――。せめて、今度の番人がアーキスにどうしているか、それだけでも知ることはできないだろうか―――そう、考えて。そのたびに、オレは、オベールや小姓組のだれそれに、引きずり戻された。叱責を受けても、オレは、へこたれなかった。
とにかく、アーキスのことだけが、気になってしかたがなかったのだ。
そうして、オレは、オレの代わりが、アーキスのことを塔の見張りにこぼしているのを、耳にした。
極秘のはずの竜のことを、見張りに話している番人に、見張りは、さしたる驚愕もその顔に貼りつけてはいない。おそらく、日々を塔の入り口で過ごす男達は、うっすらと気づいていたのだろう。ともあれ、オレの代わりは、アーキスのことを、気味が悪い、ばけもの、なぜ自分がこんなことをしなければならないのか――など、よくそれだけと思えるくらい、愚痴っていた。
それは、オレの心を重くした。が、同時に、アーキスが、オレの代わりには慣れなかったことが、オレは、嬉しくてならなかったのだ。そんな自分の感情に、オレは、罪悪感を覚えずにはいられなかった。