幼馴染ふたり
新学期にうつって一ヶ月が経つ。進級しても、大人になるどころかむしろ退化したようで、授業中の居眠りを教員に指摘されることが多くなった。先ほどの数学の授業でも、頬杖をついてまどろんでいたところを小突いて起こされた。うしろの席でも眠っていた生徒がいたようで、教員がまいったように肩をはたいた。生徒の正体は龍之介であった。ああ、あの馬鹿か、と黒板に書きだされた式の記録を再開する。そして、教員の「あと少しで昼休みだからがんばれ」とのかいがいしいかけ声を聞きながら、龍之介と同じように眠りこけていたことを悔しがった。
「二年生はどうしても中だるみしちゃうよね。多少ゆるくなってもしかたがないよ。それに今は春だし、気持ちがいいからね」
成績上級学級で授業をうけていた寧々は昼休みになって教室へもどり、苺オレを飲みながら私の授業態度をかばった。のんきものと見せかけて利発な寧々は、愚昧な私に気をつかっているのだ。「学生の本分は勉強だ、なんて言うけれど、実際、勉強の価値なんて本人にしか決められないよね」というのが寧々の持論である。
「天宮、こいつにそんな甘いこと言わなくたっていいよ。不真面目に授業なんかうけてんなよカス、で十分だよ」
「……なんだって」
憎まれ口をたたいてあらわれたのは龍之介である。
「人のこと言えないでしょ、あんたも寝てたじゃん」
龍之介は得意気に笑った。
「俺はおまえが舟でこぎだすところをうしろの席から見ていた。よって、俺が寝たのはおまえが寝たあとだ」
「うわ、全然自慢じゃないよそれ! こいつ本当に馬鹿だ、正真正銘の馬鹿だよ!」
私は頭をかかえて悩んだ。
龍之介とは家が隣の幼馴染である。進級するたび、仲のいい友人と離れてしまう私だが、この龍之介とだけは離れた例がない。幼稚園でも小学校でも中学校でも同学級、高校への進学は選択制なので、さすがに離れるだろうとみていたのだが、同じ公立高校を受験し、ともに失敗し、すべり止めでうけていた私立高校へ、ともに入学した。入学初日、張り出された学級表には案の定、ふたりの名前が同学級にあり、こいつまじでストーカーじゃねえだろうな、といぶかしんでいたら「おまえなんなの、俺のストーカーなの」と先に言われてしまった。それはこっちの台詞だ。
「真美子、おまえなあ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿って、それしか言えないのかよ。語彙力のないやつだな」
「だからあんたにだけは言われたくないっつうの」
考えてみれば、龍之介と私の成績はきそいあってもつねに五分五分、目指す進学先が重なったのはしかたのないことなのだろう。幼いころから、顔をあわせればやかましく口をきき、大して問題にならないことを張りあっていたが、結果は全て並行であった。しかし憎らしいことに、私は最近龍之介に遅れをとった。
「あれ? 龍くん、きょうは玉緒ちゃんのところへ行かないの?」
「……今から行くよ」
寧々の問いに龍之介はそっけなく答え、私の弁当箱からからあげをひとつつまんだ。
「ちょっと、私のからあげ!」
「美味しくいただきました。じゃあ、行ってきます」
「待てよおい!」
龍之介は手をふって教室を出て行った。むろん、自分の弁当箱を持って、である。
進級して、龍之介には恋人ができた。相手は前年、同学級だった玉緒ちゃん。玉緒ちゃんは美貌と聡明な頭脳で男子生徒のあこがれのまとであり、また、人柄も気さくで女子生徒からの信頼もあつい。学園一の美男美女を決める文化祭の恒例行事で、準優勝に輝いた経歴ももつ。そんな玉緒ちゃんから龍之介に告白があったのは二週間前のことで、直接話をきいた私は信じられずに笑ってしまった。
「それ妄想じゃない?」
「俺もそう思うんだけどさ……」
歯切れの悪い返答をする。龍之介自身不可解なのだろう。納得がゆかずとも、据え膳食わぬは、とのことわざにしたがい、龍之介は玉緒ちゃんと交際をはじめた。
玉緒ちゃんほどの美人が龍之介を選んだ理由に興味はあったが、玉緒ちゃんの進級先である英文科は上階にあり、出逢う機会がめったにないのでいまだただせずにいる。
完全に先をこされた。こぼすと寧々が笑って「じゃあ王子様でも狙ってみる、」と挑発した。
「やめてよ、そんな怖いことできるわけないじゃん」
寧々がいう王子様とは、昨年の文化祭で学園一の美男子に選ばれた鷹丸くんのことだ。特別進学学級に在籍する鷹丸くんは学年首席の優秀生徒で、女子生徒がつねに周囲をとりまいている。その女子生徒の間では協定が組まれ、鷹丸くんの独占を禁じているとの噂を耳にしたことがある。そんな盲目的信奉者を敵にまわせばなにが起こるかわからない。
中庭を見ると、ちょうど龍之介と玉緒ちゃんが校舎から出てくるところだった。玉緒ちゃんの手にも龍之介と同じように弁当箱があり、ふたりはベンチに座って弁当箱のつつみをほどく。龍之介がひとことを発し、玉緒ちゃんが笑うと、龍之介も同じように笑った。鼻の下をのばして、しょうじきなところみっともない。
厚焼き玉子を食べようとして箸を持っていくと、嫌でも減ったからあげが瞳についた。腹が立っても、胃の中へ入ってしまったものは取りもどすことができない。しかし、食べ物の恨みはおそろしく、あきらめようとしても、弁当箱に並んでいたふたつのからあげがひとつに減っているのを見ると、どうしても未練は捨てきれなかった。




