07
朝の昇降口を抜けて、いつものように廊下を歩いていたら、妙に人の気配がざわついていた。
視線が一点に集まっている。
ざわざわ、ひそひそ、くすくす。
この雰囲気、嫌な予感しかしない。
きっと誰かの熱愛発覚とか、二股かけてるとか、そういう暴露だろう。
「一体なに?」
私は思わず立ち止まり、ざわめきの中心を探した。視線が集中しているのは、昇降口から続く廊下に設置された掲示板あたりだ。
ざわめきの主たちは、誰もがスマホを手に友達と顔を寄せ合い、同じ場所を見つめている。
誰かが二股をかけたとか、人の物を盗んだとか、そういう暴露が掲示板に貼られたのかも知れない。
時折ある、悪質な意地悪。
私はその餌食になったことはないけど、一学期に隣のクラスの女子がパパ活をしていると証拠付きで暴露されて大騒ぎになって、全校集会まで開かれたことを思い出す。
「今度は一体なんなの?」
私はその輪に近づこうと足を進める。すると、人だかりのすぐ横を、美波が通り過ぎようとしているのが見えた。
彼女の顔は、いつもの明るさを失い、どこか硬く強張っている。
「美波!」
声をかけ、彼女に駆け寄る。すると美波はギョッとしたように振り向き、私の顔を見て、すぐに目を逸らす。
「唯、おはよ……いや、あの、急いで。もうすぐホームルーム始まるから」
美波は、私をその場から遠ざけようとするように、腕を引っ張る。
「待って、何があったの? みんな何見てるの?」
美波に腕を引っ張られながらも、人垣の隙間から、彼らが集中して見ているその場所に目をやった。
人垣の中心に貼られていたのは、白いコピー用紙。
赤いマジックで大きく殴り書きされた文字だった。
《【緊急スクープ】三年E組 逢坂陽太 と 三年C組 真鍋唯 二人の親は同性愛者》
「あーまたか」
胸が冷えるでも熱くなるでもなく、ただ、がっくりと力が抜けた。
こういう類の誹謗中傷は、うんざりするほど経験してきた。
でも、と私は貼られた紙を睨みつける。
私だけなら事実だからまだしも、今回は逢坂君まで巻き込んでる。
その事実が胸の奥でずぶりと沈んだ。
私はすれ違う生徒たちの視線も気にせず、張り紙の前に立った。
みんなの目が刺さる。でも、気にしてる場合じゃない。
私は紙を一気に剥がし取った。
「……私のことは、いくらでも言っていいよ」
声が少し震えたけれど、続けた。
「でも、逢坂君は関係ないんだから。巻き込まないでよ!!」
丸めた紙をぎゅっと握って、その場を離れようとした時だった。
人垣の奥から、ささやくようで、でも故意に聞こえる声が飛んできた。
「関係なくなくね? あいつんち、母親がレズカップルだろ」
「え、マジ?」
「初耳なんだけど」
「じゃ逢坂って養子ってこと?」
「人工受精らしいぜ」
「そこまでして子ども欲しいとか意味わかんね。普通に恋愛すりゃいいのに」
その声が耳に飛び込んできた瞬間、頭の中で何かがプツンと切れた。
気づいたら、近くに立てかけてあったモップを手に取っていた。
「……は?」
私の異様な行動に、ざわめきが一つ静まる。
男子たちが嘲笑うような目で私を見て、女子たちが「やばいよ、真鍋さん」とひそひそ囁きながら、後ずさり始めた。
それがさらに私の心を逆撫でた。
「人の家族に口出すな!!」
怒鳴った自分の声に驚くくらい、勢いのままモップを振り下ろした。
「うわっ——!!」
さっき家族を笑った男子の肩に、モップの柄がドスッと当たる。
逃げようとした腕を追い、さらに叩く。
「やめっ……痛っ——!」と、男子が尻もちをつく。
「謝れ! 聞こえてんでしょ!? 謝れって言ってんの!」
私は男子に掴みかかる。そこへ美波が飛び込んできた。
「唯! 落ち着いて!!」
腰を後ろから抱えて、床に倒れてる男子の上から引き剥がされる。
必死に掴まれても、私はまだモップを離さなかった。
「先生呼んでくる!」と誰かの声が響く。
次の瞬間。
「……おいおい、何やってんだ真鍋」
担任のいっぽが人垣を押し分けるように現れた。
呆然とした顔。
美波に腰を掴まれてモップを握る私と、床で痛がる男子を見て、大きなため息。
「……とりあえず、真鍋、お前は職員室。誰か、この男子を保健室に連れてってやれ」
私はモップを奪われ、いっぽに腕を掴まれた。
「真鍋、ほらいくぞ」
そのまま連行されるみたいに廊下を歩かされる。
ちょっとまずいかもと思ったけど、時すでに遅し。
いっぽに引きずられながら、パパたちに連絡が行くのだけは阻止する方法に考えを巡らせる。
ざわめく人の間を進むと、人垣がすっと分かれた。
その中心に、逢坂君がいた。
彼はやっぱり、無表情だった。
いつもの、感情を閉ざしたような顔。
だけど、私にはわかった。
目の奥、ちょっと茶色い瞳がわずかに揺れている。
彼は動揺していた。
たぶん、なぜ自分のことがバレているのかではなく、私が怒って、傷ついて、乱れていることに。
ほんの一瞬、逢坂君の喉が動いた。
いつものように、「真鍋さん」と名前を呼ぼうとした気配。
でも何も言わなかった。
ただ、私を目で追っていた。
先生に腕を引かれながら、私は息をのみ込む。
巻き込んじゃった。
ひときわ鋭く、胸が、痛かった。




