03
なぜ私は逢坂君と完遂できなかったのか?
そんな疑問を美波と真面目に考察していたら、あっという間に放課後になった。
「じゃ、行ってくるね〜! 今日デートだから」
美波は浮かれた声を残して、風みたいに校舎からいなくなった。
一人で歩く下駄箱までの道は、授業終わりのざわつきが嘘みたいに静かで、やけに肩が軽い。
いや、軽いんじゃなくて 置いていかれた感が強いだけかも知れない。
美波と私は同じ中学出身だ。
二人とも家庭の事情から周囲に馴染めず、孤立した小学時代を送った。同じような傷を持った私たちは、中学で意気投合して、同じ高校を受験して今に至る。
『うち、母親が夜職してるじゃん? だから高校行っても彼氏とか絶対作らない。だって、家庭環境のせいで、男にだらしないとか言われるのうんざりだから』
高校入学を控えた春休み。そう決意していたはずの彼女は、あっさりその誓いを破った。
二年の夏休み突入と同時に始めたスーパーのアルバイト。そこで知り合った他校の先輩と、気付いたら付き合っていたのだ。
「私もバイトしよっかな」
一人呟くと、背後から声をかけられた。
「真鍋、ちょうど良かった」
振り返ると、担任で美術教師の山田一歩、通称いっぽが、お手軽サイズの白い石膏像を片手に突っ立っていた。
「お前、帰宅部だから暇だよな。これさ、美術室に返しといてくれない?」
「帰宅部イコール暇って、誰が決めたんですか」
口では文句を言いつつ、しっかり受け取ってしまうあたりが私のダメなところ。
「美術部の連中がいると思うけど、奥の棚に置いておいてくれればいいから」
「了解です」と素直に応じると、「悪いな」と、全然悪そうじゃない顔で、形ばかりの言葉をかけたいっぽは、私を追い越して職員室に続く廊下へと消えた。
「はぁぁぁ、最悪」
視線を落とすと、腕までサイズのダビデ像と目が合う。
「しかもあんた、無駄にいい体しちゃって」
呟きながら、視線は自然とダビデのアイデンティティたる部分に注がれる。
逢坂君のやる気を失ったアレとダビデのソレが重なり、気まずくなって目を逸らす。
「……今日はほんとに厄日だ」
石膏像を抱えて美術室へ向かうと、ドアの向こうから油絵具の匂いがふわりと漏れた。
カラカラと引き戸を開けた瞬間、声や気配が一気に広がる。
いっぽの言った通り、美術部の生徒たちが散らばっていた。どうやら思い思いの場所で、好き勝手に絵を描いているようだった。
「失礼します」
邪魔しないように、小さな声で一応挨拶をして部屋の中に侵入する。
美術室に置かれた大きな机の合間を縫って、空いた棚の前に立つ。
空間的バランスと角度と私の気持ちを調整して、ダビデ像を設置しておく。
「ふむ」
正面を壁に向かせて設置したダビデ像に満足して、踵を返す。
すると、教室の一番端。大きなキャンバスに隠れるように座った、見覚えのある顔を発見する。
逢坂陽太だ。
彼はキャンバスに向かって筆を動かしている。
光に透ける白い横顔。
集中しているのか、少しだけ眉を寄せている。鉛筆の先を追う視線が、真剣で、どこか遠くて。意識してないつもりだったのに、胸の奥がなぜか、ゆっくり掴まれる。
「無口な彫刻みたい」と小さく呟いた瞬間、彼の黒い瞳がこちらをとらえた。
ほんの一秒。
なぜかどきりとして、息が止まりそうになる。
でも彼は、無表情のまま、すぐに視線をキャンバスへ戻した。
まるで私なんか最初からいなかったみたいに、黙々と鉛筆を動かしている。
……そりゃそうだよね。
私と彼は、同じクラスじゃないし、カレカノでもない。
本来だったら、名前も知らないまま卒業する仲だったはずだ。
眞鍋さん、とまたあの平坦だけど、どこかくすぐったくなる声で呼んでくれるかなと、頭によぎった余計な期待が、しゅるりと冷えていく。
私はそっと歩きだす。
口を結んで、誰とも目を合わせず、静かに忍者みたいに美術室を後にする。
後ろでは、絵筆の音だけが、淡々と続いていた。




