19
逢坂君と指を重ねたまま、しばらく静寂が流れた。
キスの余韻で胸の奥が温かかったのに、ひとつだけ、どうしても聞かなければ前に進めないことがあった。
「ねえ、ひとつだけ、聞いてもいい?」
私の声に、彼はわずかに瞬きをした。
「なに?」
「昨日キッチンに、こもれびの……ケーキ箱、あったよね」
「あったね」
その返事は淡々としていた。でも、その淡々さが逆に不自然に聞こえた。
「誰が買ったか、知ってる?」
繋いでいる手が、一瞬ぎゅっと強張った。
「どういう意味?」
「昨日、みちゃったんだよね」
「……何を?」
私は、息を吸ってから言った。
「幸博パパが、逢坂君のマンションから出てくるところ」
「……そう、なんだ」
声は落ち着いてる。でも、顔はまるで血の気が引いたみたいに白い。
私から目線を逸らしているし、唇は固く結ばれている。
これは、明らかに何か、知っている顔だ。
心臓がざわっと波打つ。
「逢坂君のお母さん、誰からもらったとか言ってなかった?」
「言ってない」
「じゃ、なんでうちの店のケーキが逢坂君の家にあったんだろ。思い当たるフシとかない感じ?」
「思いつかな……あ」
短く息を呑む。
彼の発した「 あ」の一文字に、いろんな意味が詰まっている気がしたからだ。
私はジッと逢坂君の顔を見つめる。
「真鍋さん、そんな顔で見ないで。襲いたくなる」
突然の爆弾発言に、私の思考回路は完全にショートした。
「は、はい!? 襲うって、え、今、どんな流れでその結論に!?」
私は慌てて、繋いでいた手を引っ込めて座卓の陰に隠した。
「いや、だって」
可愛かったからと、告げる彼は耳まで真っ赤になっている。
「……ありがとう。逢坂君もイケメンで破壊力やばいから、気をつけて?」
「気をつけるって、何を?」
「……夜道とか?」
逢坂君は一瞬、きょとんとした顔で考え込んだ後、「真鍋さんが俺を襲うってこと?」と大真面目な顔で聞いてきた。
「違うし」
「でも、前科あるし」
「それは……って、問題はそっちじゃなくて、逢坂君の家になぜうちの店のケーキがあったかってこと」
話の矛先が危うくなったので、強引に話を戻す。
「さっきの、『あ』の意味はなに?」
尋問する刑事になったように厳しく問い詰める。
「俺、休んでる時、こもれびに行ったから」
逢坂君は吹っ切れたように暴露したあと、後ろ手をついて足を伸ばした。
「え、いつ?」
「二日目」
「パパのお店で何してたの?」
「絵、描いてた」
「うちの店、気に入ってくれてたんだ」
「あそこ、落ち着くから好き」
店を褒められて、なんだか自分が逢坂君の中でより一層認められた気がして、嬉しくて胸の奥がぽかぽかした。
「って、だめだめ。謎を追求しなきゃ」
私は探偵っぽく、眉間に人差し指を当てて、低い声を作った。
「どうしてパパたちは、逢坂君が来たことを私に教えてくれなかったんだろう。何かお店で事件とかあった?」
「事件なんてあるわけないし」
呆れた視線を向けられた。
「昼間っから私服で、明らかに学校休んでますって状況だったから、不審に思って俺の親に言ったとか?」
「でもパパは、逢坂君の家を知らないはずだけど。逢坂君が教えたりした?」
「教えない」
即答だった。
じゃあ、なんで幸博パパは、逢坂君の家を知っていたの?
逢坂君の家と幸博パパの接点が検討もつかず、捜査は行き詰まりを迎えようとした、その時。
「真鍋さんって、ドナーの母親に会ったことある?」
突然の言葉に、思わず眉が動いた。
「ないよ。パパ達は、教えてくれないから。逢坂君は?」
「会ったことない。けど、知り合いに頼んだって」
「え、うちもだよ。知り合いに頼んだって」
「真鍋さん、誕生日っていつ?」
「3月5日」
「俺、3月1日。生まれた病院は?」
「セントラルクリニックの産婦人科」
「俺も……そこだ」
空気が、音を立てて固まった気がした。
私と逢坂君は、同時に視線を上げる。
「……これ、さ」
私の声は震えていた。
「偶然、なのかな」
「……さあ。けど」
逢坂君は、体制を直して、私の手を少し強く握った。
「俺たち、同じ病院で同じ年に生まれて、誕生日も近くて……お互い両親が同性カップルなんだな」
私は喉がぎゅっとつまった。
知らないはずの情報まで、頭の中で勝手に繋がっていく。
「まさか、だけど……」
「……まさか、な」
二人して言葉を濁した。
口に出したら、もう戻れなくなる気がしたから。
でも、疑問のほうが大きく膨らんでいく。
私と逢坂君のお父さんとお母さんって……。
「秘密を探るべきなのか……それとも、今のままでいいのか」
私の呟きに、逢坂君はゆっくりと私を見る。
「真鍋さんは、知りたい?」
「……わからない。でも逢坂君が好き。だから怖い。でも、知らないことがあるのも怖い。つまり、逢坂君が好き」
支離滅裂なことを言ってる自覚はある。
でも、頭の中が混乱していて、言葉がうまく出てこない結果、逢坂君が好きなことを再確認した。
心臓が、やたらとうるさい。
息が、浅くなってくる。
やだ、苦しい。
「真鍋さん」
逢坂君の声が、優しく響く。
「落ち着いて」
「落ち着けないよ。だって、もしかしたら私たち」
「真鍋さん」
彼は、私の両肩を掴んだ。
そして、まっすぐ私の目を見た。
「今、確かなことは何?」
「え?」
「俺たちが、お互いを好きだってこと。それは確かだよね」
「……うん」
「それだけで、今は十分じゃない?」
よく喋る逢坂君の声は、いつもより強かった。
「他のことは、後で考えればいいよ。今は」
彼は、私を抱きしめた。
強く、でも優しく。
「今は、俺がここにいる。真鍋さんもここにいる。それだけで十分だから」
彼の腕の中は、温かかった。
心臓の音が聞こえる。
彼のか、私のか、わからない。
でも、それが心地よかった。
「逢坂君……」
「怖いのは、俺も同じだよ」
彼の声が、私の耳元で震えていた。
「もしかしたら、って考えたら、怖くてたまらない」
「うん……」
「でも、俺、真鍋さんを失うほうが、もっと怖い」
その言葉に、私の目から涙がこぼれた。
「いじわる」
「え?」
「そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃん」
逢坂君は、少し笑った。そして、私の顔を両手で包み込んだ。
親指で、涙を拭ってくれる。
「真鍋さん、キスしていい?」
「……うん」
私は目を閉じた。
唇が触れ合う。
いつもより、深いキス。
いつもより、長いキス。
まるで、お互いの不安を消し合うような。
確かめ合うような。
彼の手が、私の背中を撫でる。
私も、彼のワイシャツを強く掴む。
離したくない。
この人を、手放したくないから。
キスが終わって、私たちは額を合わせた。
「真鍋さん」
「ん?」
「どんな真実が待ってても」
逢坂君は、私の目を見た。
「俺は、真鍋さんが好きだから」
「私も」
私は頷いた。
「私も、逢坂君が好き」
「じゃあ、大丈夫だね」
彼は、もう一度私を抱きしめた。
「何があっても、俺たちは大丈夫」
その言葉が、心に染み込んでいく。
そうだ、大丈夫。
何があっても、欠けたかけらがピタリとはまる私たちだからこそ、きっと乗り越えられる。
沈黙の中で、心臓の音が二人分、重なり合う。
「……会議する?」
震えそうな声で提案すると、彼は小さく笑った。
「うん。会議しよ」
私は頷いた。
ふたりで真実に近づくか。
それとも今の幸せを守るため、立ち止まるか。
私たちはお互いの気持ちを伝えあったその日、家族の秘密を探る共犯者として、最初の捜査会議を始めたのであった。




