15
翌日、逢坂君にクロッキー帳を返すついでに謝ろうと決意して、E組の教室を覗いたら彼の席は空いていた。
E組の子に聞くと「欠席」と、短く返された。
意気消沈して教室に戻る。
「逢坂君休みだった」
席につきながら美波に報告した。
「風邪かな」
「……かもね」と答えたけれど、違う気がした。
彼は、私を避けたんだ。
私が「来ないで」と言ったから。
次の日も、逢坂君は来なかった。
その次の日も、逢坂君の席は、ずっと空いたままだった。
毎朝、逢坂君と自分の下駄箱をチェックするのが日課になった。
相変わらずどちらの下駄箱にも紙が入っていた。
でも、以前ほど気にならない。
それよりも、いまは逢坂君がいないことの方が、ずっと辛かったから。
*
お昼休み、美波とお弁当を食べていると、「唯、連絡とってみたら?」と言われた。
「……無理だよ」
「なんで?」
「だって、私が来ないでって言ったんだもん」
美波は困ったように笑った。
「唯って、ほんと物事を複雑にする天才だよね」
「わかってる」
わかってるけど、どうしようもなかった。
「そういう気質なんだもん」
性格的な問題は、すぐに変えられないし。
「あーあ、逢坂君大丈夫かな……」
卵焼きを口に放り込む。
いつもはお弁当の中で一軍扱いの、甘くて美味しい達也パパの卵焼きが、今日は味がぼやけている気がした。
「そんなに気になるなら、やっぱり連絡しなって」
「無理」
「意地はってると、後悔するよ?」
「だって逢坂君の連絡先、知らないし」
「え」
美波がわかりやすく固まった。
「まじ?」
「まじ」
「あんなに毎日一緒に帰ってたのに?」
「うん」
「毎日、キスしてたくせに?」
「……うん」
「裸も見られたのに?」
「それはずいぶん前の話」
「信じられない。唯、あんた馬鹿?」
「でしょうね。異論はなし」
否定しない。失ってから愛に気づくなんて、私は世界一の愚か者だから。
「俺、逢坂んち知ってるよ。同中だから」
突如斜め前の席から声が飛んできた。
顔を向けると、そこにいたのは山本君だった。クラスの隅っこで、いつも高そうなヘッドフォンをつけている、地味で目立たない男子。彼もまた、私と同じように、教室というヒエラルキー社会において、光の当たらない場所にいる人間だった。
「え、山本君って」
美波はギョッとした顔で山本君を見た。
「私たちの話、聞いてたの?」
山本君は、ヘッドフォンを外して首にかける。
「聞こえてきたから。お前らの会話、校内放送かってくらいデカいし」
彼は、抑揚のない声で答えた。
「失礼な!」と、美波が口を尖らせる。
「つまり、あんなことやこんなことまで逢坂君としたことを、山本君に知られてたってこと?」
まさかという気持ちで、山本君に確認する。
「……まぁ」
スッと目を逸らされた。
「そのヘッドフォンの意味!」
彼の首にかけられた立派なヘッドフォンを指差す。
「ノイキャン切ってるから」
「ノイキャンの意味!」
「そんなものはない」と、ドヤ顔の山本君。
意外にノリが良くて、私の中の好感度がグググと上がる。
「あのさ、逢坂君と同中ってことは、連絡先も知ってるってこと?」
私は山本君に、一筋の光を見出す。
「知らないね」
「使えない奴」
美波が容赦なく切り捨てる。
山本くんの機嫌を損ねてはならぬと、慌てて彼の肩を持つ。
「ちょっと、美波。こちらにおわすお方は、先程逢坂君の家を知ってるとおっしゃってたじゃん。だよね、山本君」
「知ってるよ。家、駅の反対側の知る人ぞ知る、難攻不落の物件」
彼はそう言って、サバの味噌煮らしきものを口に放り込む。
「行くの?」
美波が核心を突いてきた。
「行きたいけど、『もう来ないで』って言っちゃったし。いまさら合わす顔がないって言うか……」
「あー、言っちゃった系ね」
山本君は、まるで恋愛マニュアルを読破した哲学者のような顔で頷いた。
「そういうの、最も非効率な感情論だから気にしても意味ないと思う。むしろ早めに当たって砕けとかないと、いつまでも引きずるよ? 時間を無駄に消費しちゃうよ?」
美波と私は顔を見合わせた。
「な、なんで山本君、恋愛マスターみたいな雰囲気だしちゃってるわけ?」
美波が問い詰める。
「僕は恋愛なんて、効率が悪いからやらない。だからこそ、傍観者として最も正確に分析できるってわけ」
山本君は淡々と、持論を展開した。
「で、行きたいんでしょ?」
彼は再び私に向き直った。その目は地味な見た目とは裏腹に、鋭い光を放っている。
「うん……でも、突然行っても迷惑じゃないかな?」
「あいつのクロッキー帳、お前が持ってるんだろ? あれ、あいつにとって生命線みたいなもんだから。それを返しに行くって理由なら、効率的っしょ」
私は再度驚いて、美波と顔を見合わせる。
「そこまで把握済みなの!?」
「人は見た目で判断しがちだから、コレをしてると油断して秘密をペラペラ勝手に話しだす。まさか俺がノイキャンを切ってるとも気づかずにね……ヒヒヒ」
山田君はヘッドフォンを触りながら、不気味に笑う。
「住所、地図にしてやる」
彼は引き出しからノートを引っ張り出し、迷いのない線で、最寄り駅から逢坂君の家までの完璧な地図を書き始めた。
「これ。最寄り駅の出口からの最短距離。途中に鳩の集会所と、やたらうるさい犬の家があるから、そこは避けた静かなルートにしてある」
「山本君さま、ありがとう!」
私は、山本君の優しい行動に、胸が熱くなる。
「礼はいらない。ただし、貸しイチな?」
「うん。山本君さまが困った時は何なりと、真鍋唯までお申し付け下さい!!」
「そん時は頼むわ」
彼はヘッドフォンをつけ直し、再び教室の隅の孤独な傍観者に戻っていった。
美波は、口をあんぐり開けたまま、私と手渡された地図を交互に見ていた。
「山本君って、地味なのに、めっちゃ情報強者じゃん。てか、電波でも受信してんの?」
「わかんないけど、背中を押してくれたのは確かだし。というか、絶対今の会話も聞かれてるよ?」
私が言うと、山本君がこちらを振り返った。
「松井美波、言っとくが俺は電波は受信していない。ノイキャンを切ってるだけだ」
「お、おう」
美波の顔が引きつる。
そんな彼女を見て、私は声を出して笑ってしまう。
それから、卵焼きを食べると、ちゃんといつもの美味しい卵焼きの味が戻っていた。




