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 ベルの音と一緒に入ってきた逢坂君は、いつもの無表情のまま店内を見回した。


「いらっしゃいませ。どうぞこの席へ」


 幸博パパが自然な流れで逢坂君を席へと案内する。


「好きなもの、頼んでいいからね」


 達也が柔らかい声で言うと、逢坂君は少し肩をこわばらせた。


「いえ……俺、そんな……」


 遠慮しているというより、どう振る舞えばいいのかわからないという感じ。


 そういうところ、ちょっと可愛いと思ってしまう。


 そんな空気を横からぶち破ったのは、常連の青柳さんだった。


「おいおい、若いの。君たちのアオハルはジジイの栄養なんだよ。遠慮して節約とかされたら、俺らの寿命が縮むだろ」


「青柳さん……言い方!」


 幸博が苦笑する。


「でもまあ、わかるよ。若い子が仲良くしてるのって、見てて元気出るよなぁ」


 幸博パパがニマニマした笑顔を私にぶつけてきた。


「唯は、暴れたり、恋したり、忙しい子だからねぇ」


 カウンター奥から達也も乗ってくる。


「暴れたかもだけど、恋は……まだよくわからないし……」


 つい、語尾が弱々しくなってしまうと、店内がどっと笑いに包また。


 すると、逢坂君の表情が少しだけ緩むのがわかった。


 ああ、よかったと、胸が少しあったかくなる。


「じゃあ……ホットコーヒーをお願いします」


 控えめな声で注文する逢坂君に、私は思わず口を挟む。


「お腹すいてたらホットサンドも美味しいよ。ツナとタマゴ、二種類がセットになってるの」


 彼は私の顔をじっと見つめる。


「……じゃあ、ホットサンドもお願いします」


 少しだけ照れたように言う。


 その瞬間、達也と幸博が目を輝かせた。


「はいよ、任せて!」


「アオハルセット、入りまーす!」


「ちょ、勝手にセットにしないで!」


 私が抗議すると、店内がまた笑いに包まれた。


 気づけば逢坂君も、ほんの少しだけ口元を緩めて座っている。


 なんだろう。


 こういう時間が続けばいいのにって、自然と思ってしまった。



 *



 喫茶店のドアを出ると、十月の夕焼けが街をまるごと染めていた。


 オレンジと薄紫が混じった空の色が、どこか胸の奥まで流れ込んでくる気がする。


 涼しい風が吹いて、昼の匂いが全部洗い流されていくみたいだった。


 駅までの道を、私と逢坂君は並んで歩く。


 彼は相変わらず感情をどこかに忘れてきたみたいな顔をしてたけど、さっきのお店で見せた横顔より、ほんの少しだけ柔らかい。


「……びっくりした?」


 急に逢坂君が尋ねてきた。


「昨日のこと」


「ああ……」


 私は首を横に振る。


「びっくりっていうより、怒りのほうが大きかったかな。私自身は、ああいうの、慣れてるし」


「うん」


「逢坂君を巻き込んじゃって、ごめんね。それが一番、申し訳ないと思ってる」


 しゅんとなって「ほんと。ごめん」と言うと、彼は小さく瞬きをした。


「俺の母親のこと、言われてたよな」


「うん」


 逢坂君は歩く速度をほんの少し落とした。


「うち……母親が二人いる。俺は人工授精で生まれた。小さい頃からけっこう言われてきた。普通じゃない、キモいって」


 感情の乗らない声で淡々と告白された瞬間、胸の奥がぐっと締めつけられた。


 そんなふうに言えるのは、悲しさとか怒りとか、当たり前に抱く感情を通り越した先にいるからだ。


 私も、もし昨日逢坂君の名前がなくて、自分だけが誹謗中傷されていたら、モップを振り回すほど、怒っていなかった。


 それは、もはや家族のことであれこれ言われることに対し、諦めの境地に入っているからだ。


「うちと、似てるね」


 呟くように言うと、逢坂君は小さく頷く。


「私も人工授精で生まれたの」


 自分でも驚くほどドライな声。


「私が生まれる前に幸博パパが達也パパと養子縁組したんだ。私は達也パパの戸籍に入ってる。だから、私から見たら、幸博パパはおじいちゃんになるってわけ。ま、法律上の話だけど」


「うちは、パートナーシップ」


 混乱せず、サラリと流してくれた。


 こういうところが、逢坂君といて楽なとこ。


 でもそっか。家庭環境が似てるからか。


 うちに来て、写真立ての中の普通に見えない家族写真をスルーしたところとか、幼稚園のおままごとの話とか。


 普通の人なら「あれ?」って疑問に思う部分を、彼なら「そうなんだ」で流せる。


 そして彼は普通じゃないと言われ続けてきたからこそ、普通にこだわる。


 今ならその気持ちがわかる。


「……学校で、待ってる」


 逢坂君がぽつりと告げる。


「え?」


「真鍋さんが来るの。待ってるよ」


 その言葉だけが妙にあったかくて、胸がじわっと熱くなる。


「それと、ありがとう」


 小さな声でそう言われて、心が温かくなったから、「うん」と、小さく頷いた。


 駅に着くと、逢坂君は軽く手を上げた。


「じゃあ、また学校で」


「うん。また学校で」


 見送るために立ち止まって手を振る。


 けれど、逢坂君の背中が遠ざかるにつれて、胸の中にぽっかり穴があくような感覚があった。


 なんだろう、この物足りなさ。


 そのとき、くるりと逢坂君が振り返った。


 そして、そのままの勢いで戻ってくる。


「え、ちょ……逢坂君?」


 一体どうした?


 逢坂君は私の目の前で立ち止まり、ぽつりと言った。


「……忘れてた」


「え、なにを?」


 たずねた瞬間、逢坂君の顔が近づいた。


「ちょ、ここ外! 駅前だよ!? 人いるし!」


 慌てて身を引くとと、彼は大真面目な顔になる。


「真鍋さん。目、瞑って」


「えっ──」


 条件反射みたいに目をつぶってしまう。


 次の瞬間、ふわりと唇が触れた。


 軽くて、優しくて、ちょっとだけくすぐったい。


 ああ、これだ。


 さっきまで感じていた物足りなさが、一瞬で吹き飛ぶ。


「じゃあ、またね」


 耳元に落とされたその声が、夕焼けよりも温かかった。

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