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第五章:新しい光の誕生

 それから五年。私たちの研究は国際的な注目を集めるようになっていた。「意識の量子理論的解釈における臨死体験の位置づけ」という論文が『Nature Neuroscience』に掲載され、この分野の先駆的研究として評価された。


 私たちの「境界領域科学研究所」は今や世界中の研究者が注目する学際的研究機関となっていた。ハーバード大学、オックスフォード大学、東京大学との共同研究プロジェクトも複数進行している。


 特に画期的だったのは、量子もつれ状態にある光子を用いた意識の非局所性実験だった。この実験では、物理的に離れた場所にいる被験者同士の脳活動に相関が見られることを統計学的に証明した。サンプル数1000人での実験で、有意水準0.001の統計的有意差が確認された。


 これは意識が量子現象として機能し、空間的制約を超えた情報交換が可能であることを示唆する画期的な発見だった。


 しかし私たちにとってもっと大きな変化があった。私たちに一人の娘が生まれたのだ。名前は陸花りくか。弟の名前から一文字をもらった。


 陸花は今年で三歳になる。好奇心旺盛で、いつも「なんで?」「どうして?」と質問ばかりしている。まるで小さな研究者のようだ。


 興味深いことに、陸花は時々不思議なことを言う。


「リクおじちゃんが遊びに来てたよ」


 彼女がそう言った時、私と朔は顔を見合わせた。私たちは陸花に叔父のことを詳しく話したことはない。写真も見せていない。なのに彼女は正確に弟の特徴を描写する。


「優しい目をしてるの。そして『お姉ちゃんとお兄ちゃん、幸せそうだね』って言ってたよ」


 科学者である私はこれを子供の想像力として説明しようとした。しかし陸花の証言はあまりにも具体的で、単なる空想とは思えない詳細さがあった。


 もしかすると陸花には私たちには見えない世界が見えているのかもしれない。子供の意識は大人よりも柔軟で、通常の知覚を超えた現象に敏感なのかもしれない。


 陸花を抱きながら、私は弟のことを思う。彼が見ていた未来に私たちは確実に向かっている。科学と愛、理性と感情、物質と精神。これまで対立していた概念が調和した新しい世界観の中で。


 朔は今日も学生たちに「生と死の境界について」という講義をしている。私は研究室で新しい実験データを解析している。陸花は保育園で友達と遊んでいる。


 ごく普通の日常。でもそこには確かに小さな奇跡が満ちている。


 朔の講義は今や文星大学で最も人気の授業の一つとなっていた。文学部だけでなく、医学部、理学部、工学部の学生たちも聴講している。科学と人文学の境界を越えた新しい知のあり方を求める学生たちの熱意を感じる。


 私も週に一度、「生命科学と哲学」という特別講義を担当している。分子生物学の基礎から量子物理学、意識の問題まで、幅広いテーマを扱っている。


 学生たちからの質問は鋭く、時として私たち自身が考えもしなかった視点を提供してくれる。


「先生、もし意識が量子現象だとしたら、AIにも意識が芽生える可能性はありますか?」


「臨死体験で見る光は、物理的な光とは異なる性質を持つのでしょうか?」


「愛という感情は脳の化学反応なのか、それとも量子的な現象なのか、どちらだと思いますか?」


 こうした質問に答えながら、私は科学の新しい可能性を感じている。これまでの科学は客観性と再現性を重視し、主観的な体験を排除してきた。しかし意識や愛といった現象を理解するためには、主観と客観の統合が必要なのかもしれない。


 夕方、家族三人で弟の墓参りに行った。墓石に新しい花を供え、陸花の成長を報告する。風が頬を撫でていく。


「陸、ありがとう」


 私は心の中で呟いた。


「あなたのおかげで私は本当の光を見つけることができました」


 陸花が「ママ、お花きれいね」と言って墓前の菊の花に手を伸ばす。その小さな手に光が宿っているのが見えた。新しい命が持つ無限の可能性という光が。


 そして陸花は突然、空に向かって手を振った。


「リクおじちゃん、バイバイ」


 私と朔は空を見上げた。雲ひとつない青空が広がっている。でも確かに何かがそこにいるような気がした。見守ってくれているような、温かい存在が。


 科学者としての私は説明を求めた。しかし愛する女性、母親としての私は、ただその温かさを受け入れた。


 私たちは手を繋いで墓地を後にした。西の空に夕日が沈んでいく。でも私たちの心には新しい朝が始まろうとしていた。


 科学と愛が織りなす、美しい物語の新しい章が。


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