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第四章:科学と愛の統合理論

 記者会見は成功した。私たちが提示した揺るぎないエビデンスの前にフロンティア製薬は全ての不正を認め謝罪した。


 会見には大手メディアだけでなく医学界の重鎮たちも参加していた。東京医科大学の薬理学教授、厚生労働省の薬事審議会委員、そして国際的な医学誌の編集者たち。彼らは私たちが提示したデータの重要性を即座に理解した。


 特に衝撃的だったのは、陸が記録していた副作用の発症パターンが、薬事承認後に市販された他の分子標的薬でも同様に報告されているという事実だった。この問題は『ルミナス-7』だけでなく、分子標的薬全般に関わる系統的な安全性評価の欠陥を示唆していた。


 近年承認されたトシリズマブ(関節リウマチ治療薬)、アダリムマブ(炎症性腸疾患治療薬)、ベリムマブ(SLE治療薬)といった分子標的薬で、特定のHLA型を持つ患者での重篤な副作用が相次いで報告されていた。しかしこれらは個別の事例として処理され、系統的な問題として認識されていなかった。


 私たちの告発により、分子標的薬の安全性評価における根本的な見直しが始まった。特に薬理遺伝学(Pharmacogenomics)の観点から、投与前のHLA遺伝子型検査の義務化が検討されることとなった。


 会見から一週間後、厚生労働省は分子標的薬の承認プロセスに関する緊急審査会を設置した。そして陸のデータを基にした新しい安全性評価ガイドラインの策定が始まった。


 弟の死は無駄ではなかった。彼の勇気ある行動は未来の多くの命を救ったのだ。彼の名誉は回復され、私は長かった罪悪感の迷宮からようやく抜け出すことができた。


 フロンティア製薬の黒田副社長は業務上過失致死罪で起訴された。薬事データの改竄と隠蔽工作により患者の生命を危険に晒したとして、製薬会社幹部としては異例の刑事責任を問われることとなった。


 一年後。私はフロンティア製薬を退職した。そして今は朔のいる文星大学のキャンパスにいた。私は薬学部ではなく文学部の博士課程に籍を置き新しい研究を始めていた。


 テーマは「意識と量子論、そして物語の創発に関する一考察」。科学と神秘の境界領域。答えのない問いを探求する旅。


 この一年間で私は多くのことを学んだ。臨死体験研究の最前線、量子物理学と意識の関係、そして宗教学や哲学における死生観の変遷。朔と共に過ごす時間は私の世界観を根本的に変えていった。


 私たちは新しい研究プロジェクトを立ち上げた。「境界領域科学研究所」と名付けたその小さな組織で、科学と人文学の学際的研究を進めている。


 具体的には、臨死体験の神経科学的メカニズムの解明、量子意識理論の検証、そして文化横断的な死生観研究などを手がけている。これまで科学と神秘として対立していた領域を統合的に理解しようとする試みだった。


 特に興味深い成果の一つは、瞑想状態の脳波と臨死体験者の脳波に共通するパターンを発見したことだった。どちらもガンマ波(30-100Hz)の異常な増加が見られ、通常の意識状態では観察されない脳領域間の同期現象が確認された。


 fMRI(機能的磁気共鳴画像)を用いた研究では、深い瞑想状態と臨死体験の記憶を想起した時の脳活動パターンに類似性があることも判明した。特にdefault mode network(DMN)の活動が抑制され、通常の自我意識が薄れる状態が共通して観察された。


 これは意識が通常の脳機能を超えた現象である可能性を示唆している。ただし私たちは「科学では説明できないから神秘的だ」という安易な結論には飛びつかない。現在の科学的知見の限界を認識しつつ、より精密な研究手法の開発を進めている。


 私たちの研究は『Nature Neuroscience』『Journal of Near-Death Studies』『Consciousness and Cognition』などの査読付き学術誌に掲載され、国際的な注目を集めるようになった。


 ある晴れた午後。私は朔の研究室で彼と紅茶を飲んでいた。窓から差し込む柔らかな光が私たちを包んでいる。桜の季節で、キャンパス全体が淡いピンクに染まっていた。


 私たちは結婚を決めていた。来月、小さな式を挙げる予定だ。弟の遺影を飾り、彼に報告するつもりだった。


「ねえ朔さん」


「ん?」


「……あなたのあのビジョンって本当に当たってたのかしらね?」


 私は悪戯っぽく笑った。


「さあ?どうでしょう」


 彼は穏やかに微笑んだ。


「……でも一つだけ確かなことがある」


 彼はそう言うと私の手を優しく握った。


「……今僕がここにいて君がここにいる。……それが僕たち二人だけの決して揺らぐことのないエビデンス(証拠)です」


 私たちは顔を見合わせて静かに微笑んだ。


 証明できないことだらけのこの不思議な世界で、たった一つ確かな光を私たちはその手に掴んでいた。それは恋という名の決して消えることのない温かいシグナルだった。


 愛の量子もつれ理論。私たちの意識は時空を超えて永遠に繋がっている。それは科学的仮説であると同時に、最も美しい愛の証明でもあった。


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