第一章:ボーダーランドの研究者
文星大学文学部の建物は、まるで時が止まったような古い石造りの建物だった。1920年代に建てられたというそのゴシック様式の校舎は、私が慣れ親しんだガラスとスチールの近代的な研究所とは対極的な世界だった。廊下には微かにカビの匂いと古い書物の匂いが漂い、壁には何十年も前の学術ポスターが色褪せて貼られている。
エレベーターは故障中で、私は五階まで階段を上った。途中、廊下ですれ違った学生たちは皆どこか牧歌的で、最先端科学の競争社会で生きる私には新鮮に映った。
月読朔の研究室は五階の奥まった場所にあった。廊下の突き当たり、角部屋。ドアには「比較宗教学研究室」と書かれた古い真鍮のプレートが掛かっている。私は深呼吸をして、躊躇なくノックした。
「どうぞ」
低く穏やかな声が聞こえ、私はドアを開けた。
そこは古今東西の宗教書や哲学書、民俗学の資料に埋め尽くされた埃っぽい異様な空間だった。天井まで届く本棚にはヘブライ語、ギリシャ語、サンスクリット語、チベット語、アラビア語の古典が所狭しと並んでいる。『ギルガメシュ叙事詩』『法華経』『神曲』『死者の書』『コーラン』『聖書』といった人類の死生観を記録した古典が、現代の臨死体験研究書、神経科学の専門書、量子物理学の教科書と肩を並べて本棚に収められている。
部屋の一角には瞑想用と思われる座布団が置かれ、もう一角にはチベット仏教の仏像や十字架、イスラムの書道作品などが飾られている。宗教の枠を超えた精神性の探求空間とでも言うべき、不思議な調和を持った部屋だった。
そしてその本の山の奥で、一人の男が静かにこちらを見つめていた。
月読朔。歳は三十代半ばだろうか。身長は170センチ程度で、少し癖のある黒髪と穏やかだが全てを見透かすような深い瞳を持っている。彼のその静かな佇まいは私の科学という名の鎧をいとも簡単に無力化してしまうような不思議な力を持っていた。
彼は手にしていた古い書物??チベット語で書かれた何かの経典のようだった??を静かに閉じると、私を見つめた。その視線は批判的でも警戒的でもなく、ただ深い慈悲に満ちていた。
「月読朔さんですね。私、フロンティア製薬の氷川莉子と申します」
私は努めて冷静に、ビジネスライクに切り出した。
「三年前の『ルミナス-7』の臨床試験の件でお話を伺いに来ました」
「……氷川さん」
朔は私の名前を聞くと少しだけ目を見開いた。そしてゆっくりと立ち上がると、深く頭を下げた。
「……陸くんのお姉さんですか」
彼が弟の名前を知っていたことに私は動揺した。しかし同時に、彼の口調に込められた深い悲しみと敬意に戸惑いを覚えた。これは私が想像していた軽薄なオカルト研究者の態度ではなかった。
だがすぐに平静を取り繕う。ここで感情的になってはいけない。
「あなたの研究については存じ上げています。……臨死体験でしたか」
私は最大限の皮肉を込めて言った。
「あなたのその非科学的な研究はインチキです。臨死体験など側頭葉の異常興奮か、あるいは脳内麻薬物質が見せるただの幻覚に過ぎない。ケタミンやDMTといった解離性麻酔薬でも同様の体験が報告されている。それが現代科学の見解です」
私の攻撃的な言葉にも朔は全く動じなかった。彼は静かに立ち上がると古い湯沸かし器で湯を沸かし、二つのマグカップにハーブティーを淹れ始めた。その所作は茶道のような静けさと丁寧さに満ちていた。
「……そうかもしれませんね」
彼は湯気の立つカップを私の前に置きながら静かに言った。
「……でもその『ノイズ』が時に人の命を救うこともある。……そしてその『幻覚』だけが伝えられる真実もある。……それをあなたもこれから知ることになる」
「何が言いたいの?」
私は苛立ちを隠せなかった。この男の掴み所のない態度が私をさらに苛立たせた。
「……どうぞ。カモミールです。……少しは落ち着く」
彼のその全てを受け流すような態度に私は苛立ちを覚えた。だがその穏やかなハーブの香りが張り詰めていた私の心を少しだけ解きほぐしていくのも事実だった。
カモミールにはアピゲニンという化合物が含まれており、これがGABA受容体に作用して鎮静効果をもたらす。私の脳は無意識にそんな化学反応を分析していた。しかし同時に、この温かい香りには化学式だけでは表現できない何かがあることも感じていた。
「……三年前のあの日。……あなた、何を見たの?……弟に何があったの?」
私は本題を切り出した。声が震えているのを自分でも自覚していた。
「……それを知る前に、莉子さん」
彼が初めて私を下の名前で呼んだ。その声には不思議な温かさがあった。
「……あなた自身がまず見るべきものがあります」
彼はそう言うと私を研究室の奥にある巨大なデータベースサーバーの前へと導いた。この古びた部屋に不釣り合いな最新のコンピューター設備がそこにあった。
「……これは?」
「僕がこの十五年間で世界中から集めた約八千件の臨死体験の証言データです。……僕はそれを『ボーダーランド・スケープ』??境界領域の風景と呼んでいます」
彼はモニターに様々なデータを映し出していく。そこには文化や宗教、人種、年齢を完全に超えて驚くほど共通するパターンが存在していた。
体外離脱体験??自分を手術している医師たちを天井から俯瞰する感覚。暗いトンネルを高速で進んでいく体験。そしてその先に広がる圧倒的な光。先に亡くなった愛する人との再会。自らの人生の全てを一瞬で振り返るライフレビュー。そして「まだ時ではない」という声と共に現世への帰還。
「これは統計学的に見て極めて興味深い現象です」
朔は学者らしい口調で説明を始めた。
「臨死体験の報告は地理的、文化的背景に関係なく、驚くほど一致した要素を含んでいます。レイモンド・ムーディが1975年に『Life After Life』を発表して以来、世界中で数万件の症例が報告されていますが、その共通性は偶然では説明できないレベルに達しています」
画面には詳細な統計データが表示されていた。体外離脱体験:74.2%、トンネル体験:65.8%、光との遭遇:89.3%、生活回顧:63.1%、死者との遭遇:57.6%、帰還命令:78.4%。各項目の出現率が文化圏を問わず驚くほど一定していた。
データの奔流。私の科学者としての理性が悲鳴を上げる。
「……偶然よ。……ただの偶然の一致に過ぎないわ。人間の脳の構造が同じだから同じような幻覚を見るだけ!」
私は必死に反論した。
「……そうでしょうか」
朔は静かに言った。
「……では、これはどう説明しますか?」
彼は一つの症例ファイルを開いた。先天性の盲目、つまり生まれてから一度も光を見たことのない人物の臨死体験。その人物はこう証言していた。
『……初めて見えました。……光が。……そして先生たちの顔が。……私の母の顔が。……なんて美しい世界なんだろうと思いました。色というものがこんなに素晴らしいものだったなんて』
あり得ない。脳に視覚的な記憶情報が一切ない人間がどうやって具体的なビジョンを見ることができるというのだ。
「視覚野の発達していない先天盲の患者が視覚的な体験を報告するケースは、現在の神経科学では説明困難です」
朔は続けた。
「また、心停止中の患者が蘇生後に手術室の詳細な状況を正確に描写するケースも多数報告されています。これらは単なる幻覚では説明できません」
彼は別の症例を表示した。心停止で意識不明となった患者が蘇生後に「手術室の時計は3時17分を示していた」「看護師の一人が青いスニーカーを履いていた」「医師が隣の部屋から赤いファイルを持ってきた」といった、意識のない状態では知り得ない詳細を正確に証言したケースだった。
私の科学という名の完璧な砦に初めて亀裂が入った。
「さらに興味深いのは、量子物理学者たちが意識の本質について議論している内容と、臨死体験者の証言に奇妙な符号があることです」
朔はモニターに新しい資料を表示した。そこにはスチュアート・ハメロフとロジャー・ペンローズの名前があった。
「ハメロフとペンローズの量子意識理論では、意識は脳の微小管内で起こる量子現象であると仮説されています。微小管は細胞の骨格を構成するタンパク質の管状構造ですが、その内部では量子レベルのコヒーレンス(干渉性)が保たれている可能性があります」
量子論と意識。私が最近読み漁っている分野だった。確かにコペンハーゲン解釈における観測問題は、意識の役割について多くの疑問を投げかけている。
「もし意識が量子情報として存在するなら、それは物理的な脳死後も一時的に持続する可能性があります。量子もつれ(エンタングlement)のような現象を通じて、通常の時空を超えた情報交換が起こるかもしれません」
私は沈黙した。これは私が想像していた非科学的なオカルト論ではなかった。現代物理学の最前線で議論されている仮説だった。
「つまりあなたは、意識が脳を超えて存在すると言いたいの?」
「可能性として、です。科学は常に可能性を検討することから始まりますよね」
朔の言葉は私の科学者としての基本姿勢を突いていた。私たちは仮説を立て、検証し、否定または肯定していく。それが科学的方法論の根幹だった。
私はそれから毎日のように朔の研究室に通うようになった。弟の最後の瞬間に何があったのか知りたいという一心で。そして同時に、この目の前のミステリアスな男の正体を暴きたいという科学者としての探究心で。
私たちは対話を重ねた。科学と神秘。唯物論と唯心論。私たちの議論は常に平行線だった。だがその対話の中で私は気づいていった。朔もまた深い孤独を抱えているということに。
彼は八歳の時に母親を癌で亡くしていた。膵臓癌のステージIV。発見時にはすでに肝転移、腹膜播種を認める末期状態だった。当時の医療技術では為す術もなく、診断から三ヶ月で母親は旅立った。
「『お母さんはどこに行ったんだろう』……それが僕の研究の出発点でした」
朔は遠い目をして語った。
「キリスト教では天国、仏教では極楽浄土、イスラム教では楽園。でも本当のところはどうなんだろうって、ずっと考えていました」
その疑問が彼を宗教学の道へと導いた。大学では比較宗教学を専攻し、世界各地の死生観を研究した。チベットの死者の書、エジプトの死者の書、ケルトの輪廻思想、シャーマニズムの霊魂観。あらゆる文化の死に対する理解を比較検討していった。
そして二十五歳の時、彼の人生を決定づける出来事が起こった。
学生時代に登山中の滑落事故で一度死んだ。そして生還した。
「北アルプスの穂高岳でした。新雪の季節で視界が悪く、ルートを誤って滑落しました。頭部外傷による急性硬膜下血腫で心停止。ヘリコプターで救急搬送され、緊急手術。医師によると、約四分間の心停止状態だったそうです」
四分間。脳の不可逆的損傷が始まるとされる時間だった。
「その間に僕は……向こう側を見ました。境界の向こう側を」
その日から彼の世界は変わってしまった。彼には見える景色が他の人間とはあまりにも違いすぎたのだ。死の向こう側を垣間見た者だけが知る風景。それを理解してくれる人は誰もいなかった。
「……死の淵を一度でも見た者とそうでない者とでは、決して分かち合えない境界線があるんです。……僕はずっとその境界線の上で一人で生きている」
彼のその寂しそうな横顔。その瞳の奥に広がる深い孤独の淵。私はその淵に抗いがたいほど惹きつけられている自分に気づいていた。
彼の孤独を理解したい。彼の見ている景色を一緒に見てみたい。それは科学では決して証明できない非合理で厄介な感情の芽生えだった。