序章:エビデンスのない悲しみ
科学は光だ。それは混沌とした闇の世界に秩序と法則性をもたらす唯一の絶対的な光。私はその光だけを信じて生きてきた。
深夜の無菌ラボ。電子顕微鏡の冷たい接眼レンズを覗き込む。そこには数千倍に拡大された細胞の宇宙が広がっていた。美しい。完璧な生命の設計図。規則正しく並んだDNAの二重螺旋、精密に制御されたタンパク質合成、酵素反応の完璧な連鎖。そこには曖昧な感情や感傷の入り込む余地などひとかけらもなかった。
氷川莉子、三十一歳。大手製薬会社「フロンティア製薬」の新薬開発チーム、シニア・リサーチャー。東京大学薬学部を首席で卒業し、同大学院で分子生物学の博士号を取得。これまで三つの新薬開発プロジェクトに主要研究者として参画し、そのうち二つが実用化に成功している。私の仕事は病という生命のバグを科学の力で修正すること。証明可能なエビデンス(証拠)だけが私の、そして人類の未来を照らすのだ。
私の世界には感情という名の不確定要素は存在しない。愛も憎しみも、喜びも悲しみも、全て脳内の化学反応で説明できる現象に過ぎない。セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン。それらの分泌バランスが人間の感情を決定する。つまり感情とは制御可能な生化学的プロセスなのだ。
そう信じて疑わなかった私の完璧な世界観が、三年前の一つの出来事によって根底から覆されることになった。
だが三年前、私のその光は一度完全に消えた。
私の最愛の弟、陸が死んだ。二十一歳の若さだった。
陸は私の九つ下の弟で、幼い頃から科学に興味を示していた。医師である父の影響もあったが、何より私が研究室で見せる実験の様子に目を輝かせる純真な少年だった。「お姉ちゃんみたいに頭のいい研究者になりたい」が彼の口癖だった。高校時代には生物学オリンピックで全国三位の成績を収め、私と同じ東京大学理科一類に進学していた。
彼が患っていたのは全身性エリテマトーデス(SLE)の極めて稀な変異型だった。この自己免疫疾患は通常、関節痛や皮疹、蝶形紅斑といった比較的軽微な症状から始まり、適切な治療により寛解導入が可能な疾患だ。しかし陸の場合は最初からクラスIVのループス腎炎と中枢神経ループスを併発する最も重篤な型だった。
自己免疫疾患とは、本来外敵から身体を守るはずの免疫系が何らかの異常により自分の細胞や組織を攻撃してしまう病気だ。SLEの場合、B細胞が産生する自己抗体が全身の臓器を標的とする。特に腎臓と中枢神経系への侵襲は予後を大きく左右する重要な合併症とされている。
従来の免疫抑制剤??メトトレキセート、アザチオプリン、シクロフォスファミド??では効果が限定的で、彼の病状は急速に悪化していた。血清クレアチニン値は正常上限の三倍に上昇し、腎生検では半月体形成性糸球体腎炎の所見が確認された。さらに脳MRIでは多発性の白質病変が認められ、高次脳機能障害の兆候も現れ始めていた。
そんな時、私が開発チームの一員として関わっていた画期的な新薬『ルミナス-7』の第III相臨床試験が始まった。この薬剤は従来の非特異的免疫抑制とは異なり、TNF-α(腫瘍壊死因子アルファ)とIL-6(インターロイキン6)という特定の炎症性サイトカインをピンポイントで阻害する分子標的薬だった。
サイトカインとは免疫細胞間の情報伝達を担うタンパク質の総称で、その中でもTNF-αとIL-6は炎症反応の中核を担っている。『ルミナス-7』はこれらの分子に結合する人工抗体(モノクローナル抗体)で、炎症の根本的な原因を断ち切る革新的な治療法として期待されていた。
前臨床試験では驚異的な結果が得られていた。従来治療に抵抗性の関節リウマチ患者の90%以上で症状の著明な改善が認められ、SLEモデルマウスでは腎機能の完全な正常化が確認されていた。副作用も軽微で、従来の免疫抑制剤で問題となる感染症リスクの増加も最小限に抑えられていた。
陸は迷わずその治験に参加した。私は研究者として客観性を保つべきだったが、弟の命がかかった状況で冷静でいられるはずもなかった。
「姉さんが作った薬で治るなんて、運命だよね」
あの時の彼の笑顔を、私は今でも覚えている。点滴室で『ルミナス-7』の初回投与を受ける前、彼は私にそう言って屈託なく笑った。その笑顔には病気への恐怖など微塵もなく、ただ未来への希望だけが満ちていた。
「僕、姉さんの研究の一部になれるんだね。なんか嬉しいよ」
彼の無邪気な言葉が今となっては胸に突き刺さる。私は彼を実験台にしていたのではないか。家族愛と科学者としての使命感の境界線が曖昧になっていたのではないか。
初回投与から48時間後、奇跡が起こった。陸の血液検査データは劇的に改善していた。抗核抗体価は1280倍から320倍に低下し、補体価(C3、C4)は正常範囲に戻った。尿蛋白も3+から1+に減少し、腎機能の指標である血清クレアチニン値も改善傾向を示していた。
「やったね、姉さん!」陸は検査結果を見て飛び跳ねて喜んだ。私も心の底から安堵した。科学の勝利だった。私たちの研究が実を結んだ瞬間だった。
しかし、その安堵は長くは続かなかった。
三回目の投与から一時間後。原因は予測不能なアナフィラキシーショック。I型アレルギー反応による急性の全身性過敏症だった。血圧の急激な低下、気道浮腫による呼吸困難、そして心室細動。緊急治療室で必死の蘇生術が行われたが、陸の心臓は二度と動くことはなかった。
科学の光が作り出した薬が皮肉にも彼の命の光を奪った。
アナフィラキシーは免疫系の暴走により引き起こされる。IgE抗体が関与するI型過敏反応で、肥満細胞や好塩基球からヒスタミン、ロイコトリエンなどの化学伝達物質が大量に放出される。これにより血管透過性の亢進、平滑筋の収縮、血管拡張が起こり、ショック状態に陥る。
問題は、なぜ陸だけがこの重篤な副作用を発症したのかということだった。同じ治験グループの他の被験者には軽微な副作用しか報告されていなかった。統計学的には極めて稀な事象だった。しかし科学に偶然はない。必ず原因があるはずだった。
以来私は罪悪感という名の終わりのない迷宮を彷徨い続けている。なぜあの時、副作用のリスクを予測できなかったのか。前臨床試験のデータに見落としがあったのではないか。私の科学は万能ではなかったのか。
私はその非合理で受け入れ難い現実を科学で上書きしようと必死だった。陸の死の明確な科学的因果関係を証明すること。それが残された私にできる唯一の弔いだと信じて。
研究に没頭する日々が続いた。ラボにこもり、データと向き合い、文献を漁り、世界中の研究者と議論を交わした。睡眠時間は日に三時間程度。食事も研究室で取るプロテインバーと栄養ドリンクだけ。同僚たちは私の変わり果てた姿を心配したが、私は止まることができなかった。
止まってしまえば、陸の死と向き合わなければならなくなる。それだけは耐えられなかった。
その日も私は陸の死に関する古い治験データを書庫の奥で見返していた。何百回と見直した無機質な数字の羅列。体温、血圧、血液生化学データ、血球計算値、免疫学的検査結果。その中で私は今まで見過ごしていた一つの奇妙な記述に気づいた。
陸が心停止したあの日、あの時間。同じ治験グループにいた別の被験者もまた原因不明の意識障害を起こしていたという記録。その被験者の名は「月読朔」。そして彼のカルテの片隅に担当医の走り書きでこう記されていた。
『??幻覚症状か?極めて整合性の取れた臨死体験(NDE)の詳細な証言あり。要、精神科コンサルト』
臨死体験。私の科学者としての理性がその非科学的な単語を拒絶した。脳が酸欠状態に陥った時に見るただの幻覚。神経学的には側頭葉の異常興奮、あるいは内因性DMTなどの幻覚様物質の分泌によるものと考えられている。科学的にはそう結論づけられているはずだ。
怒りと侮蔑が込み上げてきた。この月読朔という男は弟の悲劇的な死を自分のオカルト趣味のネタに利用したに違いない。許し難い冒涜行為だった。
私は彼の現在を徹底的に調べ上げた。そして愕然とした。彼は今、文星大学の文学部で准教授として教鞭を執っているという。その専門分野は「比較宗教学」。そして彼の個人サイトには堂々とこう掲げられていた。
『??専門:臨死体験(NDE)と現代における死生観の変容について』
許せなかった。私は真実を問い質すため、大学の彼の研究室のドアを叩いた。