死にかけのメイドさん②
──…この声は、誰……?
「ヨミばあ…ん…本当に術は上手く…んだよな…?…メイドさん…聴こえてるか分か…いですけど、もう大丈夫ですよ!」
「ヨミおばあ様…この方、全然顔の血色が良く…ないのですが本当…丈夫なのでしょうか…?」
「大丈…なのじゃ!もっとワシを信用す…じゃよ!!」
──耳に届くその声は、不思議と懐かしくて、優しくて、温かくて。
それは、まるで──
遠い記憶の底で誰かが呼んでいるような、そんな感覚でした。
(……どうして……わたくしは、こんなところに……?)
静かな深淵へと沈んでいく夢の途中で、
心だけが、どこか過去を探していた──
【朱塗りの鳥居、揺れる鈴の音、晴れたあの日の境内。】
忘れていたはずの匂いが、風の向こうでふと、胸を締めつける。
──わたくしが最初に「メイド」として雇われたのは、ちょうど二十歳の頃でございました。
それまでは、地元の高等学校を卒業してからというもの実家である神社にて、巫女として静かに奉仕の毎日を送っていたのです。
季節ごとに装いを変える社の境内。
その朝も、わたくしは白い息を吐きながら、鈴の音を手に清めの掃き掃除をしておりました。
背筋を正し、凛として──ただ、参拝客の願いと向き合い、祈りの言葉を胸に納めるだけの、静かで誠実な日々。
それは、穏やかで…けれど、どこか小さく閉じた世界でもありました。
──そんなある日。
ふとした拍子に、家系に代々伝わる“未来視”の力が、わたくしに告げたのです。
黒いコートを羽織り、路傍に膝をつく、ひとりの自分の姿。
痛ましいほど疲れ切ったその面影は、まるで見知らぬ誰かのようで……けれど、確かに“わたくし”だった。
「このまま神社に居続けても、いずれ自分は居場所を失ってしまう」
そんな漠然とした不安と焦燥に駆られたわたくしは実家の神職を離れ、偶然目に留まった“高級メイド募集”の張り紙にすがるように応募し、メイドとしての人生を歩み始めました。
それから8年──
誠実に仕え、努力を重ね、やがて“メイド長”の名を戴くまでに昇りつめ、
多くの妹メイドたちの信頼と視線を、その背中に受けていたのです。
ですが──それは唐突に、終わりを告げました。
主の破産、そして夜逃げ。
屋敷は解体、雇用は解消。
わたくしは最後の責任として、妹メイドたちの再就職先を探し、一人ひとり見届けたのです。
……けれど、最後の一人を見届けたその時、ようやく気づいたのでした。
「わたくし自身の居場所は、どこにも残っていなかった」と──。
未来視で見ていた“路傍に膝を着く自分”とは、
あのまま“神社に居た未来のわたくし”の延長ではなく、
メイドとして生きた“今のわたくし”だったのです。
精神も、身体も、魂も──すり減り、
気がつけば、あてもなく彷徨っていました。
けれど、ただ流れに身を任せていたわけではありません。
わたくしには、“最後の希望”がありました。
それは、かつて巫女として奉仕していた神社で父から聞かされた伝承──
「山深くに住まう妖狐の幼術師が、あらゆる呪いと導きを知る。その者の名は──」
最後にその存在を頼るべく、わたくしは峠を越え、山道を進み……穢れた心と身体を、どうか清めてほしい──
そんな祈りのような想いで山を彷徨っていたのでした。
そして──限界だったのです。
朦朧とする意識の中で、誰かに包まれながら、
気づけば、この屋敷の前に倒れていたのです。
──そう、すべてはこのときから始まったのです。
わたくしの、“運命”の再起動が。
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【時間を遡ること少し前】
「浪坊!」
リビングの扉が──バンッ!と音を立てて勢いよく開かれる。
風を巻き込むようにして現れたのは、紫紺の長髪をなびかせた狐耳の小柄な少女。
その金の瞳に宿る光は、齢を重ねた叡智と力を秘めており見た目こそあどけないが、その存在から放たれる圧は、明らかに“人間とは異なるもの”のそれだった。
純白に近い淡紫の和装の袖がふわりと宙を舞い、背中には風にふわりと浮かぶような大きなモフモフの狐の尻尾。
握られた錫杖には鈴が着いておりシャラン…と一度だけ、やさしく鳴る。
浪夜と七菜衣が幼い頃──冬休みと夏休みの間、世話になってきた狐の異妖、夜澄(ヨミ)。
ヨミはまっすぐ浪夜を見据えると、懐かしさも礼儀もすっ飛ばし、少女らしい軽やかさでぴょんっと床を踏み鳴らし、ヨミは迷いなく浪夜のもとへ歩み寄った。
「来てくれたか!ヨミばあちゃん!!」
「ヨミおばあさま、先程お話したメイドさんがこちらの方です!」
その金の瞳が、ソファーに横たわる女性を鋭く、しかし慈しむように細める。
「……ふむ、顔色は雪よりも白いのぅ」
しゅるり、と大きな尻尾が浪夜の腕の横をかすめる。
「脈は……かすかじゃが、生きておる。今は揺らすな、浪坊」
ヨミは掌をそっと女性の額へ添え、その温もりが額に染み込むように広がっていく。
「……うむ。寒さと何かとてつもない疲労、そして穢れがまとわりついとるな。
少しばかり、ワシがなんとかしてやろうぞ」
「助かりそうか…?」
ヨミは女性の額から手を離すと、ふっと唇の端を上げた。
「……浪坊、七菜嬢。ワシを誰だと思っておるのじゃ」
その言葉とともに、背の大きなモフモフの尻尾がゆるりと揺れ始め錫杖が独りでに立ち上がる。
ただの可愛らしい動きではない──毛先から立ちのぼる光は、淡い紫に染まり、空気を震わせた。
「……妖狐術式──漆界」
錫杖の鈴が、ちり……ん、と一度だけ響く。
その音を合図に、紫紺の長髪がふわりと浮き、金の瞳が妖しく輝いた。
「浪坊…この術式はワシだけでは成り立たないのじゃ…しかもこのメイド……何かとてつもない使命を背負っておるせいか術式展開後に成功したとて浪坊の魂の核までもが持っていかれるやもしれんのじゃ…ワシの長年の250年の勘がそう言うとるでな…だから浪坊、ここでお主がこのメイドを見捨──」
その言葉を遮るように浪夜が口を開いた。
「今すぐやってくれ!今までの人生で中途半端だった俺に出来る事があるのなら、1人の女性を救う事が出来るのなら──力になりたいんだ!!」
「浪夜お兄様…お兄様がいなくなってしまったら私が悲しみます!!ヨミおばあ様、私に協力させてください!」
「七菜嬢…気持ちはありがたいのじゃがお主では生命力で浪夜に劣りすぎているのじゃ…浪夜はバカだからなんとかなるかもしれんから一緒に決意の先を見守るのじゃ…」
「うぅっ…そうですね…浪夜お兄様は昔から元気だけは人一倍ありますし…子供の頃は割となんでもこなせましたから本当になんとかなるかもしれないので…浪夜お兄様、ファイトです!♡」
「ん?今俺ヨミばあちゃんと妹に馬鹿にされたか?」
そんなやり取りをしながらもヨミは再び集中していく。
「浪坊、メイドの胸元に手の平を構えるのじゃ──断りを外れし対の魂、お狐様の名の元に、在りし記憶の箱庭へ、集い廻りていざ帰らん、祝詞の歌に打ち震え、高級焼肉連れて行け、螺旋の契りを今ここに──ハーーーッ!!」
空気が変わる。
柔らかく温かな室内が、一瞬にして妖の気に満ちた結界へと塗り替えられていく。
尾の揺れとともに、紫のオーラのようなものが波紋のように広がり──女性の身体を優しく包み込み、穢れを払う。
「……よいか、これは魂に触れる術じゃ。静かに見守るのじゃぞ」
ヨミの声音は低く、しかしどこまでも頼もしい。
「もしかしてヨミばあちゃん──最近モンタオプレイした?今カッコよく詠唱中にクエスト名出てなかったか??」
モンタオ──モンスター・タオスンダーの略式で大人から子供まで大人気のハンティングアクションゲームの事である。クエスト名に秀逸なものが多く作品が出る事に長く愛されている。ヨミは基本山篭りで街に出ないので浪夜から貰ったゲームソフトで遊ぶ事がよくあるのだ。
「それにヨミおばあ様…お腹が減っているのでしょうか…?焼肉がどうのって…」
「なぁ、ヨミばあちゃん本当に大丈夫なんだよな?なんか怪しくないか??」
不安げなナナイの表情と浪夜がそのままヨミの顔を同時に覗き込む。
「妖狐術式は数字の"漆"の言霊がワシの口から発された時点で成立しておるからあとはメイド次第なのじゃ…」
「じゃあ、数字の漆の後に続いた詠唱は?」
「ノリなのじゃ、男の子はそういうの好きじゃろ?──こやん☆」
両手の指で狐の形を作りポーズを取るヨミは中身を知らなければ外見相応の可愛らしい狐少女。言い方を変えれば──のじゃロリババア。
「いや、そのポーズで誤魔化しても俺とナナイは昔から見てるから効かないから…って、ぬおっ!?なんか急に身体がダルくなってき…た……」
バタリとソファに倒れ込みメイドと重なる様に青ざめた表情でそのまま深い眠りに落ちていく浪夜。
「浪夜お兄様!?」「浪坊!?」
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意識が朦朧とする中、差し出された“温もりの手”──瞬間、"未来視の発動を確認"
見えた未来は──
(穏やかに微笑み、子供達に見守られながら、老衰で静かに息を引き取る自分…)
(……ああ……この方となら……わたくしは──“最後まで”生きられる……)
彼はわたくしの“命の恩人”であり、“運命の主”なのだ…。
(……温かい……)
(……この感触……誰かの魂に、触れているような不思議な感覚……)
(声が……聞こえる……)
──やさしい声。心配そうな声。愛しい声。
すべてが、わたくしを守るように、そっと響いて──
(……ここは、もう……安心していい場所……)
(……この温もりに、身を委ねても……いいのですね……)
瞼は閉じたまま。けれど、意識はほんの少しだけ浮かびあがって──
言葉のひとつひとつが、胸の奥へと染み込んでいく。
……そのすべてが、優しくて。あまりにも、あたたかくて──
(……ありがとう……ございます……)
静かに、心の中でだけそう呟いて、
わたくしは微笑むように、再び──眠りへと身を預けました。
今度は、恐れも不安もない。
ただ静かに、安らかな“微睡み”のなかへ──
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(朝ごはんの良い匂い)
(……ふわりと鼻をくすぐる、出汁の香り……)
(……あたたかい……香ばしい……これは……味噌……汁……?)
(わたくしは──生きて……)
(生きて、いる……)
【そっと瞳が開かれる──】
天井には見知らぬ模様の天板、そして── 布団の中から指先を動かすと、それがきちんと“洗い立ての寝具”であることが分かる。
頬に触れる枕が優しくて、 近くの部屋から“小さな食器の音”と、“湯気の立つ湯の音”がする。
「………………ここは……」
(声が掠れている。だけど、不思議と……喉が潤っていく気がする)
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「お兄様!お味噌汁の香り、ちゃんとお部屋まで届いていますね♡今日の朝ごはんは、私のスペシャルです!メイドさんの分とちゃんとお兄様の分もありますよ♪」
「ありがとうナナイ。じゃあ──そろそろ声をかけてみようか」
浪夜は、そっとメイドのいる部屋の扉をノックした。
コン…コン…
「……おはようございます。気分はどうですか? 」
(未来視で視たとおりの……あの、“声”──)
「………………はい……もう…大丈夫です。入っても大丈夫です。」
黒髪に紫のメッシュが少し入った顔の整った青年とどこかこの青年と似た雰囲気を感じる可愛らしい少女…恐らく妹様が現れる。
(かすかな返事は、それでも──“確かな感謝と誓い”を含んでいた)
「なら良かった…まだお名前を聞いていませんでしたね。俺の名前は浪夜と言います。あなたの…お名前を伺っても?」
(浪夜…様…この方が……)
(“わたくしを拾い上げ”、命を繋いでくださった──)
(胸の奥が、じんわりと熱くなる。こんな感覚……もう、二度と味わえないと思っていた)
(身体を起こすと、掛け布団がサラリと肩を滑り落ち、
髪がふわりと揺れる──落ち着きのある“本来の黒髪”)
「あれ?昨日見た時は青髪だったような?」
不思議そうに髪をジロジロ見るのも当然だった。
(ゆっくりと体を起こし、深く、丁寧に一礼をする)
「……お目覚めの挨拶が遅れてしまいました。申し訳ありません。」
(視線をゆっくりと上げ、浪夜様の顔を、まっすぐに見つめる)
「わたくしの名は──ミコトと申します。」
「この命、以後すべて──浪夜様、あなたに捧げる覚悟でございます。」
その声はまだ少しかすれていて、それでも──
意志の通った、深く穏やかな“誓いの声”だった。
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【一言も発さなかったナナリー視点】
(わわ……こ、これは……!!)
(完ッ全に“運命”のやつです……!)
(うぅぅ……私の浪夜お兄様が……でも……それでも、ミコトさんは……とっても綺麗……)
(でも負けません!!)
浪夜邸に、新たな鼓動が刻まれた。
それは“誓い”と“決意”が交差する、運命の序章。
ナナイはただ黙って、その光景を胸に焼きつけた。
揺れる瞳の奥に凛とした強さが宿る。
誰に知られることもなく、心の奥底で、幼い頃に芽吹いていた小さな想い。
この日からこの邸はただの家ではなく──
“物語の舞台”となった。
不定期更新していきます。完結まで書ききります。