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死にかけのメイドさん①

深い緑に囲まれ、まるで時間ごと取り残されたような古びた館──浪夜邸ろうやてい

その玄関ホールのど真ん中で、朝から天烏 浪夜(アマカラス ロウヤ/24歳)は、床に仰向けになったまま、まるで“この世の終わり”のような顔で天井を見つめていた。  

けれど彼は、誰にも助けを求めてはいなかった。  

この転居の目的は「自立」。  

天烏家財閥の御曹司として、己の力で立ち、何者にも頼らずに生きてみせる──それが浪夜なりの、ささやかな意地だった。……にもかかわらず、現実は。

「……腹、減った……もう、だめだ……」

頬はこけ、瞳は虚ろ。かつて子供の頃に“神童”と讃えられた男の姿はそこになく、ただ干からびた若者だけが横たわっていた。

(流行りのショート動画でサバイバル技術を大雑把に学んで川に行き魚を釣りスマホでキノコを調べ大丈夫だろうと思って食べてみたら…腹をくだしこの通りだ…それに…)

(……冷蔵庫、空。電子レンジ、壊れてた。炊飯器……無い……地頭は悪くない気がしていたのに…自身無くなってきたな…?)

浪夜は幼少期から親や周りに甘やかされ何不自由なく過ごし、いろいろな習い事に挑戦した結果、結局どれも中途半端な出来で終わり何も最後まで成し遂げることは出来なかった。

彼がこの別邸に引っ越してきてから、一週間。

高校卒業後、大人しく財閥の子会社で帝王学を学んでいれば良かったものを山暮らしの動画に憧れ、職を手放し“自立”を掲げて飛び出した末路がこれである。

──そのとき。

「お兄様っ……!? なにをしていらっしゃるのですか!?」 ブゥゥゥン…と車の走り去る音と共に玄関の扉が開かれ、澄んだ声が館内に響いた。  

朦朧とした意識の中、次に耳に届いたのは軽やかな足音──  カツン、カツン……現れた、ひとつの影。  

霞む視界の中、秋色のカーディガンがゆったりと揺れ、その下には柔らかな色味のワンピースがふわりと覗いている。肩まで届く栗色の髪が光を受けて微かにきらめきスーツケースを手にしたその姿はまるで童話から抜け出してきたように現実感が薄く──けれど、やけに懐かしい匂いがした。

「……浪夜お兄様? まさかとは思いますが……干からびていらっしゃるのですか?」

くす、と笑うような声が、柔らかく降ってくる。  

天烏 七菜衣ナナイ──浪夜の実の妹。  

若き人気ファッションデザイナーとして名を馳せる20歳。 だが今はただ、兄を心配してやって来た少女に過ぎなかった。

「様子を見に来ただけだったのに……まさか、こんな場所で“この世の終わり”みたいな顔して倒れているなんて……」

彼女はしゃがみこみ、兄の顔を覗き込んだ。

その俺と同じ藤色の瞳は、やさしい光を湛えている。心配も、呆れも、あたたかさも──ぜんぶ。

「……た、助けて……ナナイ……人の温もりが……スーパーカップのバニラしか……」

「もぉ……相変わらず仕方のないお兄様ですね♪」

額にそっと手を置きながら、ナナイは微笑んだ。

─────────────────────

【山間の屋敷は曇りがちの空の下、静かに時を刻んでいた。】

床に寝そべっていた浪夜は、ナナイの差し出したミネラルウォーターを受け取り一気に飲み干すとようやく上体を起こした。

首元まで汗ばんだシャツが張り付き、髪も少し乱れている。

「……ふぅ……生き返った…危うく女神様に御挨拶するところだったよ…ありがとうナナイ」

「当たり前です。お兄様、食事も水分も摂らずに……まるで野良犬のようでしたよ?」

「野良犬はもっとタフだろ……てか、ナナイ……どうして別邸のここなんかにいるんだ??」  

ナナイは浪夜のすぐ側に腰を下ろし、顔を覗き込みながら微笑みを浮かべ、けれど言葉の調子は容赦なかった。

「“浪夜邸で自立する”と宣言して出て行ったきり、ろくに連絡も無くなった兄がいたら、気にもなります!!それに私、ちゃんと連絡しましたよ!?」

「ん…?あぁ…スマホは今充電中で部屋に置きっぱなしに…って、いや、ほら……ナナイは俺と違って忙しいだろ。仕事も……俺はファッションセンスに疎いからあまり詳しくは無いけど人気らしいな??流石は天烏家の女だ…」

「…ええ。ですから、今日も午前中の打ち合わせを一件キャンセルして来ました」

「……え、マジで? ごめ──」

謝罪の言葉を途中で遮るように、ナナイはスーツケースの中から少し大きめな保冷バッグを持ち上げた。  

「ですから、お兄様。こんなこともあろうかと──少しだけですが、こちらを持って来たんです!」

──ふんすっ!とドヤ顔でキメる妹はとても可愛らしかった。

「キャンセルした後、急いでスーパーに立ち寄って。……やっぱり、正解でしたね!」  

言葉と同時に漂う、保冷バッグの隙間から漏れる冷気。

「さあ、お礼と謝罪は私の作る“ご飯の後“で返していただきます、ご理解いただけましたか…浪夜お兄様?」

「お、おう…?」

ナナイは、ふわりと笑みを浮かべたまま立ち上がる。

「さっそく、キッチンへ案内してください!冷蔵庫内の材料の確認もありますし♪」

「……え、まさか。食材持ってきてくれたのか?」

「ええ。浪夜お兄様のことですもの、貯蓄という概念がすっぽり抜けているのでは無いかと思いまして?」

「ぐっ……否定できない…恐るべし妹の察知力…」

「ふふっ……やっぱり♪」  

その笑顔には、呆れも怒りもなかった。

ただ、“兄を放っておけない妹”の愛情が、やわらかく滲んでいた。

浪夜は頭をかきながらため息交じりに立ち上がる。

「……じゃあ、今日だけご飯作るの頼む。次からは俺がやるから、な!!」

「“今日だけ”って……何度目ですか、それ。高校生の頃からずっと、同じことを仰ってますよ?」

「……そうだっけ……?」

「うふふっ。バカな浪夜お兄様はこれだから……結局、ここでも私が支えてあげないとダメなんですから♡」

その声は、家の空気をあたためるように軽やかに響いた。

──浪夜は「帰れ」とは言わなかった。彼女も「帰る」とは言わなかった。誰にも頼まれていない。けれど、明らかに必要とされていた。

しかし、そうして始まった兄妹ふたりきりの生活もそう長くは続かなかった。

─────────────────────

【ナナイが完全に浪夜邸に居着き…外を吹く風は冷たく、気温は十二月上旬にしてはずいぶん低かった。空がうっかり気を許し、締めていた紐の口をゆるめれば、雪でも降ってきそうな気配が満ちている。】

暖かいリビングでソファーに横並びで座りながらお互いに違う本を読書していた。

「浪夜お兄様はいったい何の本をお読みになっているのですか?」

ナナイが気になるのも無理は無い。なぜなら浪夜の本はタイトルが逆さまだった。

「…ん?お、俺が読んでるのは表紙にも書いてある通り"サムライの心得"っていう作品だよ。ナナイにも後で貸してあげようか!?」

少し視線を泳がせながら問いかける様は非常に怪しい。

「お兄様が慌てている時は大抵嘘をついているものです…えいっ!」

「あっ!?南無三!!」

"侍の心得"のページとページの隙間から出てきたのは文庫本くらいの大きさでタイトルは"モテる男のデート術、気になるあの子とイチャイチャライフ♡~第5巻~"。

「ちょっ、ちょっと、部屋の換気でもしようカナ…!?ナナイ、わるいけど少し窓を開けるね!?」

言葉を遮るよう誤魔化しながらその他人には言えない、見えてはいけないようなタイトルの本を慌ててお腹へと隠しながら窓辺へ移動する浪夜。

「お兄様、今の本はいったい?」

ナナイは少しだけ眉間に皺を寄せ口を結び怒っているように見えなくもない…。

すると、浪夜が窓を開け、ぴゅーーーっと風が入り込んでくる。

「さ、寒すぎますお兄様!(寒さでガクガク)」

「ハハッ、大袈裟だなぁ!ナナイは~…って寒っ!!」

「うぅ~…私、キッチンに行って温かいお飲み物を淹れてきます!さっきの本は後ほど詳しく聞きますからね!?」タッタッタッ…とキッチンに向かって走り去る。

───────ドサァ!!!───────

「ん…?外から何か物音…誰かが俺の屋敷の前に不法投棄か!?許さん!!」ダダダッ!と屋敷の中を走りガチャ!っと玄関の扉を開く。

「玄関の外には誰もいないし、気のせいか…?一応塀の外を確認しておこ…ん!?」 (倒れていて顔は確認出来ず後ろ姿のみだがとても綺麗な銀髪でまるで天使のようだ…いや本物の天使を見たことは無いが…それに黒いコートを羽織ってはいるが内側にクラシカルメイド服…?所々ほつれており少しだけボロボロだが汚いという訳でもなく上品であり素材も見ただけでわかる良い物なのだろう…とても大事にされている…ってそうじゃない!)

【雪がチラホラ舞い降り始め寒くなってくる】

(──くっ!誰だか知らんがとりあえずこんな俺の屋敷の近くで野垂れ死にされても俺やナナイ…あと近くに住んでいるばあちゃんに変な噂が立ちかねない!!!一先ず声を掛けて見るか…)

「だ、大丈夫です…か?」

(!!なんて綺麗な顔立ちとこの瞳…は閉じていて見えないな、歳は俺より少し上か…ってこの女性、顔面蒼白じゃないか!!)

(救急車がこの屋敷に到着するまで最低でも10分…それじゃあ最悪の事態になる可能性がある…下手したら間に合わない!)

その時、ナナイがリビングにいない俺の事を探しに来たのか玄関ホール側から現れた。

「浪夜お兄様?どうなさ──そのお方はどうしたのですか!?」

「ナナイ、丁度いい所に来てくれた!ヨミばぁちゃんに連絡して大至急ここへ向かう様に連絡してくれ!俺はこの女性を安全な場所、一旦リビングへ運ぶ!!」

「分かりました…えーと、ヨミおばあ様は……」

そう言いながら妹はスマホを取り出し近所に住む──と言っても走って3分はかかる──どうにかしてくれるかもしれない人物へと電話を掛け始める。

倒れていたメイド服の彼女の背後には、誰かがいた形跡も気配もない──それでも、ここに現れたのだった。


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