終末アオハル 最終章①
「──ノエル声優プロダクションの《《佐伯比呂》》です。本日はよろしくお願いします」
ブースに踏み込んだ直後、《《私》》は退路を断ち切るように深く、深く一礼した。てか、東雲パイセンの圧力がヤバい……ぁ、い、いえ、背中に刺さる綾乃先輩の鋭い視線を、今はあえて思考のノイズとして切り捨てた。
「え、ええ、橙華さん、今日はどうしたんだい? あ、いや、こ、こちらこそ、よろしく」
いつもは顎を動かすだけの音響監督が、珍しく困惑を隠しきれず問いかけてくる。周囲のざわめきが、まるで遠い世界の雑踏のように遠のいていく。憧れの先輩、妻夫木さ……、いえ、《《翔太》》も、戸惑いを含んだ視線で私を見つめていた。
けれど、もう揺るがない。
ここで動揺や迷いを見せれば、これまでの苦労がパー……いえ、積み上げてきたすべてが灰燼に帰す。私は祈るように台本を抱きしめ、心の中で呪文を繰り返す。
(……大丈夫、私ならできる──)
そして──。
「──では、本番行きまーす!」
◇
──鉛色の空が、灰色の雨を降らせる。
遠い空で、世界の終わりを告げるかのように雷鳴が鳴り響く。
「──いよいよ、始まったな」
「……うん、そうだね」
アナログの時計の針は、重々しく正午を指している。
薄暗い教室の窓辺、私たちは二人きりで滲む窓の外を眺めていた。
教室には、私たち二人しかいない。紅葉さんには申し訳ないけれど、今だけは、彼との残された時間、この限られた二人きりの時間が尊く思えてしまう。
窓ガラスを叩きつける雨音は、次第に雷鳴の轟きに掻き消されていく。
私は翔太の横顔をそっと見つめ、囁いた。
「翔太は、やっぱり紅葉さんが……好き?」
その声が届いたのか、それとも聞こえなかったのか。翔太は窓の外から視線を動かさずに、ぽつりと語り始めた。
「……紅葉はさ、ほんと、昔から泣き虫なんだ」
胸がチクリと痛む。
私が知らない、二人だけの記憶。
そこに、自分はいない。
それでも、抑えきれない気持ちが喉の奥から込み上げてくる。
私は翔太のことが好き。たとえ、このまま世界が終わってしまっても構わない。だから、お願い、最後に──、
(キス、して……)
二度目の雷鳴が教室を震わせる。今、言わなければ、きっと後悔する。
「──私、私は……」
言葉を継ごうとした瞬間、息が止まった。声が出ない。唇を震わせるだけ。心臓の鼓動だけが激しく鳴り響く。
「佐伯、どうかしたか?」
「……ぁ、う、ううんなんでもない。そ、そう言えば、紅葉さん遅いね。きっと迷ってるんだよ」
私に、あなたを好きでいる資格なんてない。
「まさかー、物品庫、すぐそこだぞ?」
「いいの、早く彼女を向かいに行ってあげて」
笑って言った唇の裏で心は凍えていた。
「ほら、大事な幼なじみなんでしょう?」
だって、世界が終わるその瞬間、あなたの隣で微笑むのは。
偽りの私、なんかじゃない。
本物の、紅葉さん、なのだから。




