VS。
◇
都心にひっそりと佇む、老舗のスタジオビル。予定より三十分の遅刻。
何度足を運んでも、ここは緊張と不安でメンタルが削られる。なにせ日本屈指の収録現場だ。僕みたいなネタ枠の底辺声優には、敷居が高すぎて足がすくむ。
ビルに入る前、百均のコンパクトで最終チェック。ヘアピンで留めたマッシュボブを手ぐしで整え、メイクのヨレを確認。よし、どこからどう見ても女子してる。……たぶん。
受付を済ませ、エレベーターで四階へ。アフレコルームへ続く長い廊下に差し掛かったところで──「ひゃい!?」と、キモい声が漏れた。我ながら悲鳴も女子っぽい。
「…………」
無言で腕を組み、壁に寄りかかる一人の女──ワインレッドのシースルーブラウスに、漆黒のタイトミニ。例に漏れず悪役令嬢ムーブした東雲綾乃がそこにいた。
塗りたぐったファンデが脂汗でだらだらと溶け出すのを感じ、反射的に回れ右……、しかけたが、寸前で踏みとどまる。
「ぁ……その、し、東雲、センパイ……収録、お疲れ様でㇲ」
全力の営業スマイル。
それで、東雲はといえば、シリアルキラーな眼光で僕を威圧するが、一言も発さない。
罵詈雑言は当たり前、いつ右手(顔面ストレートパンチ)、黒タイツのおみ足(膝蹴り)が飛んできてもおかしくない超危険な状況だが……今のところ、物理的被害はない。
逆に調子が狂う。
……いや、触らぬ神、触らぬ東雲に祟りなし、だ。
このまま素通りを──
ピコン。
このタイミングでメッセージ通知。
なんだか、とても嫌な予感がしたので、恐る恐るファンシーなトートバッグからスマホを取り出すと、画面には一言。
『オンナと同伴とはいい度胸ね』
(──いつ打ったんだよ!?)
と戦慄した、次の瞬間だった。
僕の背中にぴったりと、背後霊のごとく張り付いていたはずの《《彼女》》がひょっこりと顔を出し、そのままズカズカと東雲の正面まで詰め寄って──
と、あえて触れずにいたが、僕こと神坂登輝──もとい橙華のすぐ後ろには、地雷女子……いや、事務所の後輩、榊美琴がいた。
そう。あれから彼女は、僕から離れない。必然的に二人仲良くスタジオ入り。嬉しいような、死ぬほど嬉しくないような──、
(って、そんなことよりも美琴!(もうこうなったら呼び捨て)今の東雲を刺激するな──)
時すでに遅し。東雲がギロリと美琴をターゲットに捉えた。
(ぁ、ヤバっ……)
だか。
「東雲センパイ」
美琴は、一歩も引かなかった。
「──貴方、確か榊美琴、さんだったかしら?」
「はい、榊です、こうしてお話しするのは初めてですね、センパイ」
普段の陰気な負のオーラはどこへやら。美琴は毅然とした態度で、あの闇堕ちした悪役令嬢ムーブしている東雲と正面から向き合っている。凛とした表情も、はっきりとした声のトーンも、僕が知る彼女じゃない。
「ええ。貴方とは一度、ゆっくり話したいと思っていたわ」
「奇遇ですね、わたしもです。……でも残念。これから大事な収録ですので、続きはいずれ別の機会に、ええ、じっくりと」
「そ、そうね。楽しみにして、いるわ……」
(……え、何この空気?)
なぜ二人は、バチバチ牽制しあってるのか。つうか美琴さん、キャラ変しすぎじゃない? おまけにあの東雲が、明らかに腰が引けている。
すると美琴は。
「では、東雲センパイ。後ほど、マイクの前で」
「にたぁ〜」と、Jホラーな笑みを浮かべていた。そこはいつも通りなんだ。
「──ふ、ふふ、そうね、せいぜい私の足を引っ張らないことね」
東雲はテンプレのような捨て台詞を残し、颯爽と去っていった。その際、ギロリと僕を視姦することだけは忘れずに……ま、こっちはいつも通りだ。
「え、えへへ……。せせ、センパイ、わた、わたしたちも行きましょう……えへ、えへへ」
振り返った美琴は、いつもの地雷に戻っていた。サイコパスな薄ら笑いも、変わらず──
って、もしや美琴さん、二重人格ですか?




