僕は男の娘?
──さして、何事もなかったかのように、榊美琴の一件は記憶の片隅にでも封印しておこうと決意した、翌日。
数少ない来期レギュラーのアニメ収録を録り終え、その帰り道だった。
例によって、肩の届く長い黒髪ウィッグ、紺色のロングキャミワンピにクリーム色のフリルネックブラウスを合わせた僕(橙華モード)は、駅の改札を抜ける寸前、何の因果か、某女性アイドル声優──東雲綾乃とエンカウントしてしまう。これがゲームなら、絶望のあまりコントローラーを投げ出しているところだ。
メガネとマスクで顔バレ対策はしていたつもりだが、ドメスティックバイオレンスな東雲には、そんな小細工は通用しない。
なので。
「ぁ……ええっと、あ、綾ちゃん、お疲れ、ぐ、偶然だね、じゃあ、私はこれで……」
透け感のある赤いシアートップスに、黒のタイトミニといった、まさに獲物を狩る直前の魔女……いや、真夏の令嬢といった風情の綾ちゃん(東雲)の横を、さり気なく素通りしようとした……が、案の定、ぐいっと両肩を掴まれる。やはり、僕のような雑魚キャラは捕食される運命らしい。
「……あ、あの、何かな?」
泣く泣く振り返ると、瞬き一つしない東雲が、僕の鼻先まで、ずいっと顔を寄せて。
クンクン──。
「……女の匂いがするわ」
なにこの女、……怖すぎだろ。
「まあ、いいわ」
「へ? ちょっ、待って──」
そのまま右手首をホールドされ、回れ右。東雲は、帰宅ラッシュをものともせず、じたばたと足掻く僕を、問答無用で駅の外へと引きずり出した。
◇
「──あ、あのぉ、それで東雲センパイ……ここは?」
全滅エンド真っしぐら、駅から連行されること、数十分。
例に漏れず、即死チート持ちの東雲綾乃によって連れ込まれたのは、普段の僕にはおよそ縁のない場所だった。
「そうね、無知な貴方に教えてあげるわ。ここは一般的に髪の美容──カットやパーマ、カラーリングを提供する施設よ」
「んなの見れば分かるっつーの!」
税込二千円とかの格安カットではない。いかにも芸能人御用達とおぼしき、英語だかフランス語だか判別不能な横文字のセレブな美容院。そこが東雲の目的地らしい……が。
「──こういう一見様お断り的な店は……」
「さあ、行くわよ」
「ってか、人の話を聞けよ!」
時刻は夜八時過ぎ。とっくに営業終了のはずだが、強引に押し込まれた店内で、閉店作業中のイケメン店員と鉢合わせた。
「──あ、申し訳ございません。本日の営業は終了して……」
「あはは、そうですよね! 失礼しました、すぐ帰ります!」
「あれ、綾姫じゃないですか! また来てくれたんですね」
「あ、綾姫?」
一転、ほうきを手にしたオシャレ店員が、僕の背後で腕を組む東雲を見て目を輝かす。……てか何だろう、この妙な既視感は。
「早速、頼めるかしら?」
「はい、喜んで! 本日はどのようなメニューに?」
「私はいいわ。今日は──この子をお願い」
「はへ?」
綾姫……。いや東雲は、僕の背中……じゃなく、スカートのお尻を乱暴に押す。ここにきて、まさかのセクハラかよ。
「……かしこまりました」
一瞬、愛想笑いを浮かべたイケメン君だったが、すぐさま営業スマイルに戻り「どうぞこちらへ」と僕をサロンミラーの前へエスコートする。
「では、メガネとマスクをお預かりしますね」
「ぁ、は、はい……」
イケメン特有のキラキラオーラを浴び、完全に毒気を抜かれた僕は、言われるがままLEDライトに照らされた鏡の前に腰掛ける。そこに映し出されたのは、現代メイクの技術で偽装した自分。
鏡越しにイケメン君が「へぇ」と含みのある顔をしたが、それ以上に東雲の悪役令嬢ムーブが普段の二倍(当社比)ムカつく。
それでもまあ、どうせ髪を整える程度だろう──と、高を括る僕に、プロの洗礼が下る。
「では失礼して、ウィッグを外しますね」
「え?」
流石は本職。僕の艶々黒ロングが偽物であることを瞬時に見抜いた。たぶん僕が「男」ってことも。
「ショートボブ、いけるかしら?」
「ええ、長さはギリギリですが可能です。ベリーショートも選べますが」
「そうね──」
二人の間で捕獲されたポケ◯ンのごとく縮こまる僕をよそに、何やら良からぬ裁断が進行していく。
僕の意思疎通はガン無視ですか……。まあ、分かっていたけど。
「では、始めていきますね」
イケメン店員の指先が、僕のボサボサな地毛に触れる。霧吹きから放たれた細かなミストが火照った顔を冷やし、現実感をじわじわと奪っていく。
迷いのない手つきで髪がブロッキングされ、耳元で「シャキ、シャキ」と、小気味いい金属音が鳴り響いた。
鏡の中では、野暮ったかった襟足が、みるみるうちに首筋に沿って綺麗に切り揃えられていく。
「……ふん、顔が小さいから、ラインを出すと映えるわ」
背後で品定めするように頷く東雲の鋭い視線が、ブラウスの背中にズキズキ突き刺さって痛い。
しれっと前髪にハサミが入る。絶妙な透け感で眉のラインがくっきりする。久しぶりに視界が広がった感じ。
仕上げにドライヤーの熱風で形を整えられると、そこにはボサボサだった僕の面影はどこにもなかった。
(ええっと……誰?)
丸みを帯びたマッシュベースのシルエット。
耳を少しだけ出したサイドの毛束が、かえって顎の細さを強調していて、ウィッグのような被り物感が一切ない、首筋を抜ける空気が、自分の髪であることを嫌でも自覚させる。
「……アリだわ」
「……アリですね」
(──お、おいっ、そこの二人! 真顔で納得し合ってんじゃ……ぁ、でも、ウィッグ無しの自分って……)
──まさかの、《《男の娘》》……だったりする、のかな?




