運命の人?
──少し昔の話をしようと思う。
あれはたしか僕、神坂登輝がまだ学生だった頃、高校三年生の時だ。
進路時期なのか、何だか教室が浮足立っているのを横目に、僕はそっとコンビニ袋を片手にぶら下げ、昇降口を出た。
そこからグランドを横切って向かうのは、普段だったら見向きもしない……いや、その存在すら忘れさられた建物。
「──つうか、相変わらず、不気味なとこだよな……」
それでも入口である木製の扉を潜り、おいそれとなく中へ入る。
何やかんやでここ──学舎である新校舎と違い旧校舎は、長い昼休みを憂鬱とするボッチにとって唯一無二の気疲れしない、まさにオアシスと呼べる場所だ。
てことで、そこからギィギィと軋む廊下を進み、目的地でもあるここで唯一施錠されていない古い備品庫のドアノブに手をかけた時、どういう訳か全身に悪寒が走る。
一瞬、このまま中に入っていいものかと躊躇ってしまったが、もう今更だ。思い切って扉を開けた──、
「うおっ!?」
刹那、思わず僕はその場で大きく仰け反ってしまう。
だってそこには、廃棄予定の埃がかぶった机や椅子に紛れて、不気味な雰囲気を醸し出す一人の女子が佇んでいたから。
驚きのあまり、そのまま硬直していると。
「せせ、先輩……お、お待ちしていました。えへ……えへへへ」
なんか喋った。
……うん、よくよく見れば、長い黒髪、鬱陶しい前髪で目元を覆い隠したその150センチちょいぐらいの小柄な女子は、表情は乏しくも口元だけを(もしかして笑っている?)微かに歪めていたりする。
それこそ、旧校舎に纏わる学校の怪談じみた風貌だが、そのどこか幼気な憎めない雰囲気も相まって、たぶん下級生の女子と思われる。少なくとも幽霊のたぐいではない……というか、思いたい。
まあ、何にしても、早々にこの場から退散した方がいいかも。
「ええっと、その……お邪魔しました。じゃあ僕はこれで……」
てことで、すぐさま後ろ足で部屋から出ようとした、その時だった。
「──ぁ、ままま、待ってくださいっ!」
その幽霊……いや、肩の先まで伸ばしたストレートヘアの制服女子が、避ける間もなく僕のすぐ目の前にぐいっと迫ってきて。
「へ? ちょちょ、ちょっと──ぁ……」
まさに一瞬の出来事で、たった今、一体何が起こったか全く理解が追いつかなかった。
頭が真っ白になった僕は、遠くの窓から溢れる春の日差しの中、舞い上がる埃にまみれながら冷たい床に仰向けで転がっていて、今この瞬間、見知らぬ下級生? ──重い前髪に隠されていた大きな二重まぶたを忙しなくパチパチとしている女子(あれ、結構かわいい?)に覆いかぶされている。
しかもその子は、ワシャワシャとした長い黒髪をだらりと垂らし、四つん這いで。
「せせせ、先輩、わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし……せ、先輩は、わ、わたしの──〝運命の人〟だから、えへへ、へ、へへへへへ…………」
そして、いつの間にやら瞳孔を限界まで見開き、僕を見つめながら、まるでうわ言のように何かを呟いていた。
「えへへ……センパイはわたしの、」
「あっ、ごめん! 思い切り転んじゃったよ、け、ケガはなかった?」
「ぇ、あ、はい……こ、こっちこそ、ごめんなさい……」
──で、結局。
あの時の僕は、偶然にも下級生と思しき女子に迫られた? というドキドキ感よりも、何故だかこの子にただならぬ恐怖を感じて……だから彼女を無理やり立ち上がらせた後、ひとり逃げるように旧校舎から立ち去った。
結果的にその見知らぬ女生徒とは、それっきりだったのだけど──
「──せせ、センパイ……、どうかしましたか?」
「……へ? どどど、どうもしないよ? そ、それよりも榊さん、じ、時間は大丈夫なのかな? これから収録とかあるんじゃ……」
「えへへ、大丈夫です。今日は一日オフですから。えへえへ、へ、へへへ」
僕(♂バージョン)と向かい合って座る彼女──榊美琴さんは、艶々なショートカットの前髪をくるくると指で絡ませつつ、ニンマリと口角を歪めた。
(──んで、たった今思い出したけど、あの時の女子に似てるような……つうか、雰囲気が全然変わっちゃったけど、そのものズバリのような気が……しないこともない)
「──あぁ、と、ところで神坂先輩……先輩は〝運命の人〟って信じますか?」
「ゲホっ…!」
突然すぎる榊さんの問いかけに──僕は口にしていたコーヒーでむせた。
〝運命の人〟っていう言葉に何か過去に聞き覚えが……あったような?
「あ、あのっ、わわ、わたし、学生時代、夢の中で運命の人と出会えたんです……! ぐぐ、偶然にも通っていた学校でその女の子とそっくりな人を見つけました。う、運命です。でもその人、男の人だったんです、けど……」
「……ゲホっゲホっ、は、はい?」
ん……てか、運命の人って、恋愛的にアレだよな、榊さんのカレシ候補だったら普通に男で良くないですか?
「け、けどその男の人……中性的な感じで女の人に見えなくも──」
(……つうか、突然何の話だよ……まま、まさか、違うよ、な……?)
「だ、だけどあの時はちょっと違うのかな……って、自分に言い聞かせて諦めました」
「あ、そそ、そうなんだ……」
(何だか良くわからないけど、本人が諦めたというのなら、しょうがないよな──)
「ででで、でも今やっと出会えたんです……! わたしが声優になれたのも偶然じゃなかったんです!」
「なっ……──」
興奮気味でテーブルを乗り出す彼女に対し、言い返そうにも、ぐっと言葉が喉に詰まる僕がいた。
「そそ、そうですよね! ととと──」
そして榊さんは。
──橙華さん!
恍惚とした、それでいて、とびっきりな笑顔(だよな?)を僕に向けた。
(──ちょ、だからっ、何でそうなるんだよ!?)




