東雲綾乃、再び。
東雲綾乃とのカラオケイベントからさらに一週間ほどが過ぎた朝。
嵐の前の静けさ、ってやつかな?
あれから特に何事もなく平穏に過ごしていた僕は、バイトの出勤前にアパートの六畳一間でテーブルに座りながらポチポチとスマホを弄っていた。
東雲からのどうでもいいメールはスルーし、毎朝恒例の儀式、自分の名前を検索、いわゆるエゴサーチをかける。
声優、神坂登輝……検索結果ゼロ。
……まあ、いつもと変わらず。もはや知名度が一般人以下? 悲しいけど、これが現実だ。
そういえば、件のアニメはどうなったんだろう……と何気に検索したら、偶然にも今朝一番でサイト上に一般告知されていた。
累計100万部以上達成の大人気ライトノベル作品待望のアニメ化云々の文面と共に、放送時期とキービジュアル、それと同時に制作会社──加えていち早く声優キャスト陣まで告知されているようだった。
一旦スマホをテーブルの上に置いて、一呼吸する。
早る気持ちを抑えつつ、台所でインスタントコーヒーを淹れてから、改めてウェブサイトを観覧した。
「ぶほっ!?」
次の瞬間、飲んでいたコーヒーで蒸せてしまう。
そこには原作小説の挿絵からアニメ調に描かれたメインヒロイン『八城雛月』のビジュアルの隣に声優『橙華』なる長い黒髪の女? が紹介されていた。
「と、橙華って……?」
早速その名前をエゴサーチしてみる。すぐに何件もヒットした。
:新人キター
︰ワイ推し決定
︰prprしたい──
「……というか、結構バズってね?」
──って、すぐに柏木さんに電話する……出ない。もう一度……出ない。
再度──、切れた。
もうこうなったら直接事務所に乗り込むべきか、と思い立ったとき、スマホにピロリンとメール通知。
『──通達。今日から君は当社専属アイドル声優の〝橙華〟です。異議は認められません。ということでよろしくね』
「は?」
高速タップで再度柏木さん鬼電する……が、すべて不通。もはやテーブルで頭を抱えるしか出来ない。
すると今度は、東雲からの着信。
「この忙しい時に──」と、嫌々スマホに耳を傾ける。
「ああもう〜、何だよ……こっちは、お前の下らない話に付き合ってる場合じゃ、」
『ごきげんよう、〝橙華〟さん』
「……いえ、人違いです」
プチッ。即座に通話をオフ。
間を置かず再度、狭い部屋中に激しい着信音が鳴り響く。スマホの液晶には無情にも『東雲綾子』の文字が……しかし、このまま着信拒否し続ければ東雲はどんな行動を取るか予測不能だ。それだけ声優、東雲綾乃は悪い意味でやる時はやる。ちなみに奴は武闘派だ。
「…………も、もしもし、」
『私、東雲綾乃。今貴方のアパートの前に居るの』
プチッ。
(ええっと……マジ?)
トゥルルル──、
「……………もしも、」
『私、東雲綾乃。今貴方の部屋の前に居るの』
(──ってか、何のメリーさんだよ!? や、ヤバい。今すぐここから逃げなきゃ、)
ピンポーン──
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン──
僕こと声優、神坂登輝……いえ、橙華は改名と同時に声優人生というか、人生そのものが詰みそうです。